ふぅ。やっぱりこの瞬間は緊張するなぁ。覚悟を決めてと……よし、お邪魔します。
「こんばんは、紫」
返事はない、か。よしよしと。うん、今日もよく寝てるな。んじゃ、さっそく失礼しますと……ああ、やっぱりこのベッド、ふかふかで寝心地いいな。白玉楼もベッドにしてみようかな。天井もこんな感じの和洋折衷で……おっと、帽子はちゃんと脱がないとダメだぞ幽々子。シワが寄っちゃう。
静かだ。窓から入ってくるあの光は、星明りだろうか。まるで全部が死んでしまったみたい。音といったら、隣の寝息くらいのものだ。吸って、吐いて。吸って、吐いて……ふふっ、聞いてるだけで頬が緩んじゃいそう。
こうやって寝室に忍びこむようになってから、もうひと月くらいになるのか。気づかれないもんなんだな。最初は軽い冗談のつもりだったんだけど。でもさ、隣で寝てるんだぞ。暢気にも程があると思うな、私は。
「ねえそう思わない紫?」
なんて、聞こえてるわけないんだけどね。うふっ、近いなぁ。あんたって、こんな顔して寝るんだ……あはっ、やめてよ、寝息が顔にかかってくすぐったいってば、もう紫――ってダメだ。声出したら起こしちゃう。ああ、でも近い。胸がばくばくいってる。我慢できなくなっちゃう……
「手、触っていい?」
目の前に転がってる紫の手。ちょんちょんとつついて、小指をつまんで……うん、大丈夫そう。よし、頑張れ幽々子、覚悟を決めろ、もっと大胆に、えいやっと……ん、起きてないよね。ああ、温かい。そういえば手を繋いだことなんて、今までなかったかも。
「もう、1000年ぐらいの付き合いだってのにね」
小声で話しかけてみる。もちろん返事されたら大ピンチだ。こんなところを見られたら、ただじゃすまない。生きるか死ぬか、緊迫の一瞬である。
ところが紫ときたら、むにゃむにゃ寝言で返事するだけときた。いやいや、ちょっと待って。この場面でそれは反則でしょ? 面白すぎる。何よその間抜けな声。吹き出しそうになったじゃない。卑怯よ卑怯。
もう怒ったわ。起きてる時はさせてくれないこと、全部やってやる。今夜は遠慮しないって決めたんだから。まずは髪の毛かな。ベッドに広がる金色の、絹みたいな長い髪。いつもはなかなか触らせてくれないもんね。そーっと掬って……ああん、もう、何が「自信ない」よ。こんなにさらさらしてて、指に吸いついてくるじゃない。どれどれ、匂いはと……ふふっ、甘い。果物みたい。優しくて、懐かしい匂い。好きな香りだな。
どんどんいこう。そう、一度こうやってこの髪に顔を埋めてみたかったのよね。あ、柔らかいな。顔中が幸せでいっぱいになる。心臓が暴れて、口から飛び出しちゃいそう。なのに、こんなにも気持ちいい。こんなことなら無理矢理にでも触っておけばよかったな。
「ん……んん……」
やばっ! 起こしちゃったか?……ん、大丈夫みたいだ。寝返り打っただけか。いけないいけない、あんまりに夢中になって、相手が寝てたことをすっかり忘れていた。
「もぉ……驚かさないでよ」
お返しに、ほっぺをつっついてやろう。ふっふっふっ、思いしれい紫……ああん、何これ、ぷにぷにで気持ちいい。これは是非とももう一度……ぷぷっ、何よその顔。もしかしてこそばゆいのかな。もう一度つんつんと……
「ほら、紫ちゃーん。起きないともっとイタズラしちゃいますよー」
「ん、んぅ……んん」
ぷくく……もう止めて、その顔面白すぎるから。ダメだ、これ飽きない。絶対起きるまでやっちゃう。残念だけど自重せねば。あー、面白すぎて死ぬかと思った。ちょっとやりすぎちゃったかな? まぁ、一応謝っとくか。ごめんね、どうせ聞こえてないだろうけど。
でもさ、紫だって悪いんだよ。こないだだってずっと私のこと無視して、博麗の巫女とお茶飲んで話してばっかり。あの子といると、あんたいつも楽しそうだよね。あの子が神社に帰る時も、すごーく名残惜しそうな顔してた。あんたってさ、私と別れた後もあんな顔してくれるの?
それだけじゃない。あんたって一人の時とか、よくあの薬師のこと考えてるよね。ダメダメ、私の目はごまかせないんだから。私と一緒にいる時だってそう。ちょっと失礼だと思うな、うん。
こんなこと考えてないとでも思ってた? 私って、意外と執念深いんだよ。だからさ、ねぇ教えて紫。私と会えない時も、あんなふうに私のこと考えてくれるの? ずっと横にいると、たまに気になるんだよ。教えて、ねぇ?
「なんて、教えてくれるわけないか」
そう。あんたはいつだって話してくれないもんね。私の側にいる時も、いつもこっち見ないで、本音を言おうとしない。確かにさ、口に出さなくても紫の考えてることは何となく分かるよ。あんただって、私の考えてること大体は察してくれる。それはとっても嬉しい。
でも、言葉にしてほしいこともあるじゃない? 扇子で顔を覆ってはぐらかしたりしないで、こうやって見つめあって、いろんなことを言いあいたい時だってあるじゃない。それってワガママなのかな。こうやって、じゃれあって、笑いあうのって。聞かせて紫、ねぇ……なんて、ばっかみたいだね、私。応えてくれるわけないのにさ。
「ねぇ紫。昔の私ってさ、可愛かった?」
理由は知ってるよ。こないだ春を集めて西行妖を復活させようとしたことがあったでしょ。その時ね、ほんのちょっとだけ見えちゃったの。木の下に埋まってた子の記憶、昔の私の記憶。あれ、私だったんだね。
詳しいいきさつまではよく知らない。だって、あの子が見せてくれた記憶って、紫のことばっかりだったんだから。そう、あんたと過ごした思い出だけ。あの時の紫、とっても楽しそうだった……
きっとあの子、紫のこと大好きだったんだろうね。そして紫も、きっとあの子のことが大好きだった。でもだからって、あんたが罪を背負うことないと思うんだよ。あの子が自尽したのは、あんたのせいじゃない。もしそうだったら、私にあんな思い出見せてくれるわけないじゃない? だからね、私にあんな申し訳なさそうな顔向けること、ないんだよ。
そう、気づいてないと思った? さっき言ったじゃない。紫の考えてることは何となく分かるって。あんた、私といるといつも罪悪感で胸をいっぱいにしてる。ごめんなさいって顔してる。あんな笑顔でごまかせると思ってるの? あんただったらすぐ察せるはずでしょ。私があんたのこと、どう思ってるかなんてさ。
ふふっ……なぁんて話を、今ここでする私もまたズルいんだろうけどね。恐いじゃない? 私よりあの子の方が好きだなんて、もし言われちゃったらさ。そう。私は卑怯者で臆病者。だから、こうしてるだけで十分なの。
「けどさぁ、ずっと無視っていうのは失礼だと思うんだよねー。さすがに」
そうなんですよ。卑怯で臆病だから、どうしても紫を見てるといたずらしたくなっちゃうわけですよ。もし、何か一言でもいいから答えてくれたら許してあげるつもりだったけど、もうアウト。時間切れ。ずっと近くにいたのに、ずっと私に気づかなった償いくらいはしてもらわなくちゃね。ふふっ。
だからこれ、なんだか分かる? そう。お・さ・け。あんたのとっておき。1000年ものの超超古酒。確かに頼まれはしたけど、これはあくまで私から紫に対してのおしおき。そうやって暢気に寝てる間に、私たちで全部呑んじゃうから。まぁあんたはせいぜいぎゃふんとでも言ってればいいわ。
「さてと、そろそろ行こっかな」
妖夢もそろそろ心配してるだろうしね。あの子に嘘ついて毎晩ここに忍びこむの、けっこう大変だったんだからね。「幽々子様、一人でなんて危険です」って、最近ちっとも言うこと聞かないんだからあの子。ま、そりゃこんなところに単身忍び込んでたら、心配だってされるでしょうけど。
ん、もうじき迎えが来るのかな。このひと月、あんたの側にいられて楽しかった。それは本当に感謝してる。だから、もう一つだけワガママ聞いてもらっていい?
……ん、と。もう、ほっぺどころか唇までぷにぷにね、羨ましい。私のよりずっと柔らかいじゃない。
「それじゃさよなら。またいつか、縁があったら会いましょ」
んじゃ、行くとしますかね。遅刻したらまた次の満月まで帰れなくなっちゃうし。ま、それも悪くないかもしれないけど、"あいつ"は嫌がるだろうな。えと、どっちだっけ……この綿月のお屋敷は、どうにも造りが複雑だ。どうせ誰にも私の姿は見えないんだから、迷子になったって全然構わないんだけどね。っと、ああこっちだ。
「遅いですよ幽々子様」
あ、やっぱり妖夢怒ってる。心配させちゃったかな。ごめんごめん。
「ご苦労様、幽々子」
そんで、あんたは相変わらずなのね。そんな顔しちゃってさ。ほんとに、もう……
「久しぶり、紫」
*
紅魔館の図書館は、どうにもカビ臭くてたまらない。吸血鬼あたりは楽しそうにしてるけど、こんなところで水浴びして何が楽しいんだろうか。それともここしばらく、毎日みたいに月の海を眺めてたから、感覚が狂っちゃってるんだろうか。実物とだらだら間近で接していると、どうにもそこら辺が分からなくなる。実物より想像の方が、何倍も大きく、何倍も美しいというのに。
とはいえ、みんな楽しそうではある。私が綿月の家から盗ってきたお酒のおかげだろうか。だったらいいんだけどな、うん。あの魔法使いも巫女も、月のお姫様まで来てる。そして紫は永琳とふたり酒。あの薬師、えらい顔色が悪いな。ってことはうまくいったんだろう。
「完全勝利、おめでとう」
薬師のところから戻ってきた紫は、たいそう嬉しそうであった。それなら私も頑張った甲斐があったというものだ。まー頑張ったっていっても、一ヶ月の間、月の都をぶらぶらしてただけなんだけどね。
月のお酒を片手に、紫の口もたいそう滑らかだ。こいつがこんなによく喋るのは、久しぶりかもしれない。綿月の奴ら今頃悔しがってるでしょうねとか、あの時の永琳の怯えた顔、傑作だったわとか、そんな話ばっかだ。楽しそうな紫を見ているだけで私は満足だけど、欲を言えばもう少し話題の選び方には気を遣ってほしいもんである。ひと月ぶりに会えたってのに、他の女の話なんて私が聞きたいと思うかね? どうなんだい紫さん。
「そういえば、あの豊姫って子、あんたによく似てたわね」
だからまた意地悪したくなった。紫は「そうかしら?」と途端にふてくされた。分かりやすいなぁ。
「うん、よく似てた。思わず好きになっちゃいそうなくらい」
「ばか、止めてよ……」
明らかに妬いてる。うんうん、悪くない。紫のそういう素直なところ、大好きだ。
「冗談よ冗談。ねぇ、この後どうする。うちで呑み直す?」
「……うーん。今日はよしときましょう。幽々子も疲れているでしょう?」
でも、紫は応えてくれない。いつもこうやって距離をとられる。あの、申し訳なさそうな顔で。
分かる。きっと紫は私を汚したくないのだ。あの子みたいに苦しい思いをさせたくないのだ。そうであってほしい。もし、私といるとあの子を思い出すなんて理由で避けられてるのなら、私があの月人にしてたのと同じことを、もしあんたが私に対してしているのだとしたら、きっと耐えられないだろうから。
「またいつでも遊びに行くわ。だから、そんな顔しないで」
「別にそんなんじゃないわよ。付き合い悪いなぁって思っただけ」
こうして毎度のごとく、私たちの会話はうやむやとなる。紫はポンポンと私を慰めて、他の子たちの方へ向かっていく。別にいいのだ。あいつの隣にいられれば、私はそれで十分なのだ。
一ヶ月も月の都で毎晩そんな楽しいことをしていたのですかゆゆさま!
こりゃあその一ヶ月間、豊姫は悪夢にうなされたでしょうに。
ゆゆさまの記憶に関して疑問を感じましたけど、生前のゆゆさまが紫と幸せそうにしていたのなら、特別に文句は言いますまい。
最初、読み始めた瞬間何か違和感があるなーと思ったら、「綿月のお屋敷~」のくだりで漸く儚月抄ネタだと気付きました。
見事に惑わされました。こういうちゅっちゅも、あっていいかと思います。
ゆゆさまとゆかりん、充分可愛かったです。
前作に引き続き、面白い内容でした。
長文失礼いたしました。
それでは失礼いたします。
不快な気持ちを抱いてしまったのなら本当にすいませんでした。
朝になったら前作の方を読ませていただきます。
誠に申し訳ございませんでした。
大抵胡散臭い会話をしておしまいってのが多いので。