妖夢無双 ~剣法十番勝負~
序
一 対 鈴仙・優曇華院・イナバ
二 対 ミスティア・ローレライ
三 対 古明地こいし
四 対 比那名居天子
五 対 射命丸文
六 対 フランドール・スカーレット
七 対 十六夜咲夜
八 対 藤原妹紅
九 対 寅丸星
十 対 魂魄妖忌
跋
妖夢無双 ~剣法十番勝負~
序
剣法十番勝負。魂魄妖夢の長い一日は、妖怪の大賢者、八雲紫の暇つぶしにはじまる。結界の修復、紛争の調停、賢者たるものの務めを終えて、久方ぶりの休日を得た彼女が、今日一日の暇を如何んせんと考えたときに、真っ先に思い浮かべたのは旧知の親友が姿であった。早速、白玉楼へとスキマ開いて向かい出でれば、縁側にて一人、茶に庭景色に遊ぶ友、西行寺幽々子の姿があった。
幽々子:「あらぁ、紫じゃない」
紫:「ご無沙汰ね。どう? 最近何かあった?」
幽々子:「連絡もなしに突然やってくるところをみると暇だったのねぇ(忙しくても、頼りくらいはよこしてくれるものじゃないの? =最近、かまってくれないから、幽々子寂しい……チラ)」
紫:「ご挨拶ね……(う、これはちょっと、疎遠になったのを怒ってる? ご機嫌とっておかないとダメかしら?)」
そうしてしばし、八雲紫があれこれとこころ配らせて身辺のことを語り、釈明し、また彼方へ問わば、幽々子は紫の狼狽する姿に満足したと見えて、微笑携えて言う。
幽々子:「最近は特に何も無いけど……強いて言うなら、これかしら?」
そうして、懐より取り出だしたるは一本の巻物。
紫:「何かしらその巻物は?」
幽々子:「そぉねぇ。そうだわ。この巻物、紫に預けるわ。あなたなら、きっと面白くできるでしょうし(面白いことをしてちょうだい。そうしたら、許してあげる)」
紫:「あら、いいの?(もうちょっと、イジワルされちゃうかと思ったんだけど……)
幽々子:「いいわよ? (まぁ、あんまりイジワルするのもかわいそうだしね)」
そうして西行寺幽々子、左の人差し指を口元へとやおらそえ、真面目て言う。
幽々子:「ただし、中身は見ちゃだめよ。コレの中身を最初に見るべき人物はもう決まっているのだから」
紫:「へぇ、面白そうね。話を聞かせて、幽々子……」
はてさて、このような経緯から八雲紫に託されたこの巻物、実は魂魄妖夢の祖父、妖忌が書き残したという巻物である。彼の言い残したことには、まずこの巻物を明らめるべきは妖夢であるとのこと、またその際にはこの巻物を見るに相応しい時期を選ぶこと、以上の二つであった。
すなわちこの度、西行寺幽々子は、その時期が来たかどうかの選定を、八雲紫に託したのである。
もちろん、多少の愉悦を観る者にもたらす選定を、である。
その意を察して、八雲紫は(悪)知恵を働かせる。
紫:「そうね。小細工を弄するより、むしろ王道の計らいをしたほうが良いでしょう。そのほうが、妖忌の意にも適いそうだし、……ふふふ、やっぱり花火は盛大に打ち上げるに限るしね」
そうして、八雲紫は、剣術十番勝負を考案し、その下準備のために、式を遣わせて刺客に文をやる。
一方、そんなことになっているとは露も知らない魂魄妖夢は、今日も一人せっせと、広大な白玉楼の庭の手入れに精を出しているのであった。
一 対 鈴仙・優曇華院・イナバ
八雲紫のスキマに誘われて、魂魄妖夢が出た先は、猛々しき竹の林立すること隙間無い幻想郷の綿竹。迷いの竹林、そこであった。
妖夢:「ここは……迷いの竹林ですね」
紫:「一つ目はここに送っておいたわ。カケラはそれぞれ、十人の手練れに渡してあるから、一人一人倒していけばイヤでも集まるって寸法よ。まぁ、十人と言っても人じゃないのがほとんどだけど……(ニヤニヤ)」
妖夢:「やっぱりそんなことだったんですね……(はぁ、どうしてこのお方は、何でも面白おかしくしないと気がすまないのでしょうかねぇ)」
紫:「ほら、そんなこと言っている間に向こうから来てくれたみたいよ」
そうしてやってくるのは、迷いの竹林にあって永劫の時を刻む(正確には、「永劫に時を刻まない:永遠の静止状態」に「あった:現在は時を刻むようになっている」)月人の住まう館、永遠亭の住人たちであった。
一人は、八意永琳。その傍らにいるのは、因幡てゐ。そうして先頭を進み来るのは、鈴仙・優曇華院・イナバである。
鈴仙:「呼び出しておいて挨拶もないのね。ちょっと失礼なんじゃない?」
紫と妖夢をキツイ態度で出迎える鈴仙。しかし他の二人は、まるで紫の非礼に気も留めていない様子。長生きをしている者は、多少の無礼も意に介しない。また、長い生に飽きているため、このような暇つぶしを歓迎するものなのである。
さて、敵と相対することになった妖夢である。
だがどこか、気乗りしない彼女はこんなことを思ってしまう。
妖夢:(……というか、あの人スカート短すぎませんか? 見えちゃいますよ。どうしちゃったんでしょうか)
紫:(ふふふ。若さよ、若さ。見られてキャ~って言うのも楽しいワケ。わかる?)
妖夢:(はぁ。そうなんですか?)
紫:(見て御覧なさい。こうやって。ホラ!! まだ三センチは短くできるわ)
鈴仙:「ギャ~!! な、何すんのよ!!」
妖夢:(どう見ても嫌がってますけど……)
永琳:「ふふふ。うちのかわいい弟子をいじめるのは、そのくらいにしておいてあげてちょうだい」
紫:「あら、ごめんあそばせ」
てゐ:「いい写真が撮れたわ。よし!! 姫様にも見せてあげないと!!」
鈴仙:「ちょ、ちょっと!!」
永琳:「クスクス。面白いわね。何事も諦めが肝心よ、鈴仙」
鈴仙:「うう……ひどい」
永琳:「さてさて、話は聞いているわ。要は、あなたがばら撒いたこのカケラを、そこの庭師さんが集めている……ということで良いのよね?」
紫:「……ええ」
さて、話はこうである。
まず、八雲紫は魂魄妖夢に、先代の書き残した巻物があることを伝え見せた。そうして、その場で巻物を、十個のカケラに分割してしまったのだ。それをスキマにあらよっと放り込んで、「さて、探しに行きましょうか(微笑)」である。妖夢のほうも、「なるほど、分かりました。また、面倒なことに巻き込まれたのですね!!」と、案外簡単に了解(諦観)して、この通り、十番勝負に向かうことになったのである。
永琳:「なら、とっととはじめましょうか?」
鈴仙:「はじめるって、何をですか? お師匠様」
永琳:「単純な話よ。このカケラを相手は欲しがっている……なら、渡さないようにしないとね」
鈴仙:「なるほど! そういうことでしたら、こちらは数で勝っています。そのカケラが何なのか知りませんが、決して渡しはしません!!」
永琳:「何をいっているのウドンゲ。あなたが相手をするのよ?」
鈴仙:「え?」
永琳:「向こうはあの庭師一人で勝負にくるつもりよ。ならこちらも、無粋な真似はできないでしょう?」
鈴仙:「……そうですね。例え一対一でも負けるなんてことは有り得ないことですもの」
永琳:「そうよねぇ。あなたは私の弟子なんだからね。もし、仮に負けたりしたらどうなるか……よく分かっているものねぇ」
鈴仙:「……(え? あ、あぁ。あ~、ですよねぇ。拷問ですよねぇ)。ハイ、オシショーサマ。オイ、カカッテコイ!!」
妖夢:(あの人も大変そうだなぁ……)
そうして存外暢気に構えていると、八雲紫がたしなめて言う。
紫:「いいこと、妖夢。今回は弾幕勝負じゃないわよ。文字通りの真剣勝負。命を賭しての死合……」
紫の言葉に、むしろ妖夢は落ち着いた。
妖夢:「……心得ております」
対照的なのは、月のウサギである。
鈴仙:「ちょっと!! 真剣勝負だなんて聞いてないわよ!!」
永琳:「ウドンゲ。あなたはあなたの獲物で勝負に挑めばいいのよ」
鈴仙:「え? よろしいのですか?」
ニヤリと微笑み、懐より取り出だしたるは漆黒の自動式拳銃。鈴仙は冷たくまた見下すようにして言う。
鈴仙:「困ったわ。それじゃぁ、勝負にならないわね」
虎視眈々と微動だにもせず応じる妖夢。
妖夢:「随分な物言いですね。月の兎だか何だか知りませんが、飛び道具に臆することなどありません」
鈴仙:「あら。半人前風情が一丁前の口を利くのね!!」
拳銃にマガジンを装填しながら、不適に笑みを携える鈴仙。
鈴仙:「なら、余計な気遣いは無用よね。あなたの半霊共々、あの世に送り返してあげるわ」
二人を尻目に、涼しげな顔で紫は言う。
紫:「妖夢。分かっているわね? 相手は殺す気……こちらは決して殺してはなりませんよ」
妖夢:「承知……」
鈴仙:「クッ!! 馬鹿にしないでくれる!!」
永琳:「そのように冷静さを欠いていては勝負になりませんよ、ウドンゲ」
鈴仙:「うっ」
永琳:「まぁ、大概の傷なら何とかしてあげるから、どちらも遠慮せずやっちゃいなさいな」
鈴仙:(うぇぇ……)
そうしてまた、決闘者を尻目に笑い声をあげるのは、八意永琳と因幡てゐ。
何だか毒気を抜かれてしまって、少し拍子抜けした鈴仙だったが、果たしてそれが、吉と出るか凶と出るか。
鈴仙:「ねぇ、てゐ。もしかして師匠、私の緊張を解くためにわざと……」
てゐ:「ん? ……はぁ、何言ってるの鈴仙。 ハハハハ!! ナニソレ? ジョウダン? 私を笑わせたって勝負には勝てないんだからね??」
鈴仙:「……だよねぇ」
てゐ:「ホラホラ、それよりも勝負だよ。相手さん、やる気だよ」
鈴仙:「分かってる……」
両者対峙して距離をうかがう。
魂魄妖夢は、楼観剣を右手に縦て構え、腰を落とし、左手は前方に置き、重心のバランスを取る。縦に構えた剣を通して、彼我の間合いと発射される銃弾の筋を予測しているのだ。当然、鈴仙の身体の動きと目線から、いつ、こちらのどの部位を狙って引き金を引くのかも、見通している。
鈴仙はカチャリっとスライドを引くと、ゆっくりと拳銃を構え、目当てに照準する。その刹那、引き金を引く。何万回と繰り返した動作である。悠長に狙いを定める必要などないのだ。
しかし、瞬時の発砲でも、狂い無き連続射撃でも、妖夢が疾走はとらえられない。
鈴仙:(は、速い……)
マガジンに込められた弾丸の全てを使い切るまでもなく、妖夢の間合いに入れられてしまい、剣檄一閃、勝敗は決した。
右からの払い抜きより残心を終えて刀を鞘に納める。
キンっと音が響くと同時に、鈴仙の衣が散り散りと破れる。
鈴仙:「ぎゃぁあ~!!」
紫:「お見事!! 斬られた兎の毛だけが風に吹かれた様に舞う……これすなわち吹毛剣なり……」
鈴仙:「と、録るな~!!」
鈴仙の叫び虚しく、ばっちり姫様のお土産をこしられるてゐと永琳。
てゐ:「ウサ耳にネクタイ、ニーソックスで裸。しかも場所は竹林とあれば、なんだかよく分からないけれども撮ってしまいたくなるのが人情というものだよ……うん、いい仕事した!!」
永琳:「この企画物な感じがまたおつね……」
鈴仙:「し、師匠まで、ひどい……」
バッチグーのサインを出して応じる永琳とてゐ。
たまらずたじろぎ身体を隠す鈴仙。
そんな三人の光景を尻目に、紫と妖夢は一戦を振り返る。
紫:「剣士の死合は薄皮一枚の差で決するわ。あなたは誰とやり合っても滅多に遅れをとらないわね」
妖夢:「はぁ。太刀筋の見切りのことですか? それならば大分前に習得しておりますが……って、何を言っているのですか? 紫様」
紫:「ふふふ。気分よ、気分」
永琳:「気分でことが運ぶんだから暢気でいいわね。こっちはあなたと違って忙しいのよ?」
紫:「アラ。ごめんなさいね。でも、律儀にお付き合いいただいたようで……どうもありがとうございます(ぺこり)」
永琳:「まぁ、面白い画も録れたし。これはこれで……ねぇ?」
てゐ:「ねぇ?」
鈴仙:「ちょ、ちょっと!!」
紫:「それじゃ、次のカケラの場所まで。行きましょうか? 妖夢」
妖夢:(みなさん、好き勝手に人で遊ぶんだから、酷いものです……はぁ、仕方ありません)
妖夢、長息をついて答える。
妖夢:「こうなったら、最後までお付き合いいたしますよ」
紫:「そうこなくっちゃ♪」
剣法十番勝負。一本目、対鈴仙・優曇華院・イナバ。魂魄妖夢の勝利。
二 対 ミスティア・ローレライ
紫:「さて、妖夢。次の相手だけど、あなたにとっては、ちょっとした因縁の相手よ」
妖夢:「因縁の相手? さて、誰でしょうか。もしかして……霊夢?」
紫:「ふふふ、ちょっと違うわね。まぁ、行ってみれば分かるわ」
妖夢:「はぁ。分かりました。そうやって一々盛り上げて楽しんでらっしゃるのですね。よく分かります」
紫:「妖夢、考えてることが口にでちゃってるわよ……」
紫のスキマに誘われて、出た先に待ち受けているのは、ミスティア・ローレライ。夜雀の妖であった。
ミスティア:「うふふ、ようやく来たわね。待っていたわ。以前の恨み、ここで晴らしてあげる」
妖夢:「あ~……あの、どちらさまでしたっけ?」
ミスティア:「永夜異変の時に、貴方たちに酷い目にあわされた夜雀よ!!」
妖夢:「あぁ。思い出した。大した力量もないのに、邪魔をしようとした愚かな妖怪ですね」
ミスティア:「言ってくれるじゃないの……悪いけど、手加減はしないわよ」
妖夢:「もちろん。私は……そうですね。夜でないということで、多少あなたに不利ですから」
そう言って、妖夢は二振りの剣を鞘ごと取り、その場に投げ置いたのだった。
ミスティア:「ははは……人間風情が、嘗め腐って。良いわ、殺してあげる。この爪で、無残に切り刻んであげるわ!!」
妖夢:「どうぞ、できるようでしたら。ちなみに私は半分幽霊ですが……」
そう妖夢が言い終わる間も無く、ミスティアは空高く飛び上がり、鋭い爪をいっぱいに広げ、妖夢めがけて急降下する。決闘の場は開けた草原。飛ぶ鳥を邪魔するものなどはない!! 妖夢はミスティアが疾風の突撃を、瞬発力を頼りに、寸前で回避する。左に、右にと、跳び避ける妖夢。美しくまた悠然と舞い、しかして蜂のように刺し穿つミスティア。
ミスティア:「ハハハ!! 避けるばかりで、一向に攻勢には出られないようね。妖怪を嘗めた代償よ。死で償いなさい!!」
妖夢:「流石は鳥類。空中戦はお手の物と見えます」
ミスティア:「褒めたって、手心は加えてあげないわよ!!」
妖夢:「えぇ。是非とも全力で来て下さい」
ミスティア:「望みどおり、次の一撃で葬ってあげるわ!!」
そうして、ミスティアが一際高く飛び、一際速く降下して、妖夢の首を刎ねんと狙い定めて来る。風を裂いて来る突撃。そのミスティアに向かい、妖夢は近くの大石を足掛かりにし、大跳躍で飛び掛る!!
紫:「!! あれは!!」
空中でミスティアに掴みかかり、体勢優位に地面へと落下する妖夢。
ミスティア:「ぎゃぁ!!」
巻き上がる土煙。そこには、頭から地面へと落下したミスティアと、落下の直後、反動を利用して別地点に着地を決める妖夢の姿があった。
紫:「お見事!! これほど華麗な飯綱(いづな)落としは、今まで見たことがないわね」
妖夢:「大丈夫ですか?」
ミスティア:「きゅうぅ……」
紫:「ふふふ。しかも、落下の直前で、半霊をクッションにして敵を庇うとはね……」
妖夢:「まぁ、こちらは殺さない前提でしたし」
紫:「ほどよい運動にはなったかしら? 長い十番勝負、さて、次からはこう簡単にはいかないわよ……」
妖夢:(あんまりそういうのはご遠慮申し上げたいのですけどね~)
剣法十番勝負。二本目、対ミスティア・ローレライ。魂魄妖夢の勝利。
三 対 古明地こいし
紫のスキマに誘われて、出でたその先は薄暗い地底湖。あたりを見回すと、不気味に発光する石々、巨大な鍾乳洞、水の滴り落ちる音と、どこからか吹いてくる冷たい風ばかりの奇異なる世界が広がっていた。
妖夢:「ここは、もしや地底?」
紫:「えぇ、その通り。ここは秘境の地、地底にあってもさらに秘所。どう? こんなところ、今まで見たことないのではなくって?」
妖夢:「確かに。なんとも、不思議なところです……て、紫様、どうして出てこられないのですか?」
紫:「いえね、ホラ、ここは地底だから。あんまり、あからさまに私が行き来するわけにもいかないでしょう? 一応、私にだって体裁というものもあるのよ」
妖夢:「はぁ。今更という気もしなくはないですが、そうですね。えぇ、良い心がけだと思います」
紫:「あら? ありがとう。妖夢に褒められちゃったわ♪」
妖夢と紫が談笑していると、遠くからこだまするのは童女の高くかわいらしい声。
さとり:「ふふふ。楽しそうで良いことね。この場所もお気に召していただけたようで、幸いだわ」
妖夢:「あなたは?」
さとり:「私は地霊殿の主である、古明地さとりよ。あなたとは、はじめて顔を合わせるわね。名前は、魂魄妖夢。そう、西行寺家の庭師をしているのよね。そこの妖怪から聞いたわ」
妖夢:「はい。お初にお目にかかります。魂魄妖夢です。よろしくお願いします」
さとり:「こちらこそ。それで……なるほど。もう、二人と戦って来たのね。まぁ、大分余裕の勝利だったようすね。ふふふ、安心なさい。今度はそう簡単には行かないから」
妖夢:(?? どういうことだ。何も言っていないのに、勝手に得心しているぞ)
さとり:「ふふふ。私はさとり妖怪。人の心の内を読むことのできる妖怪なの。今日、あなたがどんな戦いをしてきたのかくらいは、その思念を探れば簡単に分かるのよ」
妖夢:「なるほど……では、次の相手はもしや……」
さとり:「いえ、次の相手は、私ではありません。私ではなく……そう、私の妹が相手をいたします」
妖夢:「あなたの妹君が?」
さとり:「えぇ。でも残念ですが、私と違ってあなたの心は読めません。まぁ、もっとも、読めないかわりに、なかなか厄介な力を身につけていますが……」
紫:「えぇ。どうもそのようね。さて、それでは妖夢。準備は良いかしら?」
妖夢:「はい。いつでも。それで、肝心の妹君は?」
紫:「あら? もう既に、あなたのすぐ近くにいるわよ?」
妖夢:「え!?」
さとり:「ふふふ、まずはこいしの姿を見つけることが、最初の試練というところかしら……」
妖夢:(なんだと??)
紫:「それでは、勝負開始!!」
妖夢:(一体……どういうことなのだ。まるでどこにも姿など見えないし、気配も感じられないが。とにかく、勝負がはじまったのは間違いない。しかし、本当にどこにも敵の姿が見られない……そうか!! 視界の外からの攻撃……例えば遠くからの射撃。いや、あるいは、気配を隠しての……)
そのとき、妖夢の第六感が危機を察知し、とっさに位置を変えると、先ほどまで妖夢のいた場所には、一本のクナイが地面に突き刺さっているのであった。
妖夢:(あ、危なかった!! しかし、これで分かった。敵は遠方からの攻撃ではなく、気配を消しての暗殺を狙っているのだ。しかし、先ほどの攻撃、一瞬違和感を覚えこそしたものの、殺気はまるでなかったぞ。この敵……相当な手誰に違いない!!)
妖夢は周囲に隈なく気を配り、一際大きく聳え立つ大石柱に背中を預け、不意打ちに備えた。
妖夢:(これならば背後からの一撃もし得まい。一度視認しさえすれば、決して逃さぬのだが……うっ!!)
瞬間、妖夢は前方に大きく跳ね飛び、二度三度と地面を転げ滑った。そうして、先ほどまで自身のいたところを見やると、そこにはクナイが二本地面に、追うようにして刺さっているのだ。
妖夢:(な、なんだと!! しかも、あのクナイの刺さった角度。恐ろしいことだが、敵はあの石柱の裏から攻撃してきたのだ。一体どうやって、私の警戒を逃れ、背後に回って来たのか。あるいは最初から、敵はあの石柱の裏にいた……ばかな!! それこそありえない。それならば、私が気配を察知しているハズだ……)
さとり:(ふふふ、あなたの動揺がよく伝わって来ますよ。しかし、本当に優れた剣士殿だこと。内面ではこれほど動揺していながら、その表情はいたって冷静そのものなのだから)
紫:(苦戦しているわね、妖夢。地底の主が妹、古明寺こいしは無意識の支配者。一切の気配を断絶して、行動することが可能な妖怪。辛うじてその気配を感知できるのは、彼女が攻撃に移った瞬間だけ。しかしそれも、ほとんど無に近いほどのもの。それを感知できるのは、さすが妖夢といったところかしら)
妖夢:(なんという気配遮断の妙術か。魂魄流は、暗殺術をも組み入れているが、その知見とお爺さまの厳しい修練……というか本気で殺しに来てたと思う……がなければ、必ずや敗れていたことだろう。さて、どうする、妖夢!!)
そう自己問答をする合間にも、不意の角度からクナイが放たれる!! 紙一重で交わす妖夢だが、何らの打開策も見出せず、次第次第に集中力を削がれていくことに焦りを感じる。
妖夢:(まずい、これではジリ貧だ……どうにかして、相手の位置を捕捉さえすれば……そうだ!!)
突如、妖夢は白楼剣を地面に突き刺し、楼観剣を持ち厳かに白楼剣の刃を打つ。すると、高く高く刃重ねの音が地底の秘所に響き渡る。その神妙な音の響きに身を委ね、魂魄妖夢は佇立瞑目して一切の構えを解いたのである。
紫:(妖夢、果たして何の策かしら!?)
さとり:(ま、まさか、なんと大胆な!? そんなこと、不可能よ!!)
瞬間、鍾乳洞の影よりキラリと光る刃が妖夢へと放たれる。その瞬間、妖夢は活眼して放たれたクナイの方向へと突進!! 身を捩って紙一重でクナイをかわすと、神速の刃突にて敵を迫り捉える!!
こいし:「わ、わわ!! び、びっくりしたぁ」
妖夢の刃は、こいしの喉元に突きつけられており、もはやこいしは身動きのとれない状況であった。
さとり:「なんという妙技!! 自らをおとりにすることで相手を動かし、地底湖にこだまする音を手がかりとして、こいしの位置を探りあてるとは……」
妖夢:「この刃を重ね打つ方法。本来は破魔の技なのですが、音に自らの意識を乗せることで、偵察に用いることにしたのです。半ば霊体の、私でなくては使えない技です。しかし、うまく成功してよかった……」
紫:「なるほど、幽体離脱の法をもちいたのね。ふふふ、面白いわ。魂魄流に、あたらしい技術が加わったのではなくて?」
妖夢:「いえ、これはお爺さまの技を真似ただけのものです。お爺さまはこの手法を用い、音に殺気を乗せることで、相手を卒倒させていましたから……」
紫:「それは恐ろしいわね。その奥義、会得したときは、是非とも私に見せてちょうだい」
妖夢:「まだまだ私にはとても……」
さとり:「いえいえ、なかなかどうして。あなたのような剣術家は、この地底にはおりません。皆、力こそ覇王の道と頼って、技を疎かにしがちですから。どうでしょうか? これからは地底の剣術指南役として、地霊殿に逗留されては。十番勝負など、うっちゃってしまって……」
妖夢:「勿体無いお言葉ですが、二君に仕えるつもりはございませんので」
さとり:「どうやら、そのようね。けんもほろろだわ。ふふふふ……」
そうして地上へと帰ることになった妖夢だが、どうやらこいしは遊び足りないらしい。
こいし:「また、遊びに来てね~♪」
そう言って、両手を挙げて妖夢を見送る。
妖夢:「ははは。えぇ、機会があれば……。(今度は、もっと穏健な遊びにしてくださいね)」
剣術十番勝負。三本目、対古明地こいし。魂魄妖夢の勝利。
四 対 比那名居天子
晴嵐を越えたところにある天上の丘からは、限りなく広がる白雲が絶景。白い霞の雲の上で、蒼衣青髪をたなびかせ、魂魄妖夢を待ち受けるのは、天人の姫、比那名居天子であった。
天子:「やっと来たわね。待ちくたびれたわよ」
紫:「あら、それはご免あそばせ。誰も彼も、一筋縄にはいかない相手ばかりだったから」
天子:「ふん。まぁ、いいわ。それより、早速はじめましょうよ」
紫:「ずいぶんと乗り気ね。何か、憂さを晴らさないとすまないようなことでもあったのかしら」
天子:「別に。ただ、ムカつくことはたくさんあってね。イライラしてるのは確かよ」
紫:「その理由、訊いてもよいかしら?」
天子:「理由? 簡単なことよ。何でもかんでも、私の思い通りにならないことが多すぎるのよ」
紫:「それだけ?」
天子:「そ。それだけ」
紫:「やれやれ。困ったものだわ。つまり、みんなが構ってくれなくて寂しいってことね。それならそうと、素直に言ったら、遊んであげるのにねぇ」
天子:「な、何言ってるのよ!! そんなんじゃないわよ!!」
紫:「じゃぁ、何なのかしら? 良かったら話してくれないかしら」
そう言われれば、素直に答えるのがこの比那名居天子であり、そうした素直な相手を煽って楽しむのが八雲紫である。
天子:「……みんな、私のことを軽んじてるのよ。態度でわかるわ。厄介者の、不良者だって。そのくせ、口では何も言わない。心の中で思ってることとは正反対のことを、微笑や沈黙や立ち回りで見せる。こういう、功利な嘘をつく小人どもが、私の身の回りには多すぎる。それが、ムカつくのよ」
紫:「ふふふ。なるほど。あなたの気持ち、分からなくもないわ。私も相応の地位にいるものとして、同じような不快を感じることは多いの。しかし、そもそも天人とは、きれいごとに身を固めた虚礼の民。噓を嘘で塗り固めた、心底卑しい民なのだから、それも仕方のないことでしょう」
天子:「ハ!! 地上を這う下賎の妖怪が、随分と偉そうに言うのね。ますますイラついてきたわ」
紫:「ふふふ、慌ててはイヤよ。あなたの相手は私ではないのだから。さぁ、妖夢。手加減は無用です。全力で、あの天人の鼻っ柱を折ってやりなさい」
妖夢:(二人とも、勝手に話を進めて……私のイシはドコにあるんでしょうか。ぐすん)
天子・妖夢の二者は、正面に対峙してその間合いはおよそ十間(十八メートル)。
やや離れた距離ではあるが、両人は通常の人間を超越した存在であり、この程度の距離は、むしろ一足の間合いである。
天子:「あんた、確か魂魄妖夢……だったかしら。西行寺家に仕える庭師よね」
妖夢:「はい。西行寺家当主、幽々子様にお仕えしている、剣術指南役兼庭師の、魂魄妖夢です」
天子:「ふぅん。それはご苦労なことね。で、あんたさ、冥界のお嬢様に仕えて、こうやってスキマの戯れに付き合わされて、不満とかって、感じたりしないの?」
妖夢:「そうですね。正直、少し困ったことではあります。お仕事もありますし、私にだってやりたいこと……読みたい本とか、ありますから。でも、別に不満とは思いません」
天子:「ふぅん。でもさ、今までに一度くらいは、不満を感じるようなこともあったんでしょう?」
妖夢:「う~ん……一度くらいと言われれば、どうか分かりませんけど……でも、特にはありません」
天子:「宴会の半日前に来るような非常識なヤツの下で働いていて? 神社の起工式の宴会のときにさ……」
妖夢:「う……その話はもうイイじゃないですか。ま、まぁ、ちょっと不満もないでもありませんが。でも、やっぱり特別不満というほどのことではありません」
天子:「そう。アンタ、幸せなヤツなのね」
妖夢:「はぁ」
天子:「良いことを教えてあげる。私はね、アンタみたいに、人に仕えてペコペコしてるヤツって、嫌いなの。さらには、アンタみたいにペコペコして仕えることに疑問も感じないヤツは、もっと嫌い」
妖夢:「む……ずいぶんな言われ方ですね」
天子:「ふふ。怒った?? そうね。少しは人間らしい感情もあるようね」
妖夢:(……なるほど、挑発か)
天子:「まぁ、でも、こんな犬っころを手飼いにして、好い気になってるなんて、アンタの主もたかが知れるわね。どうせなら、もう少しマトモな従者を雇えばいいのに。冥界に人なしと言えども、犬っころよりマトモなヤツくらいはいるでしょうに」
妖夢:「……」
天子:「そうそう。アンタ、先代の剣術指南役の残した巻物が欲しくて、こんな戯れに付き合ってるんだってね。ハハハ!! まだ、先代の影を追いかけているわけだ」
妖夢:「……」
天子:「ハン!! 王より王たる気概がないどころか、然るべき地位を得た後でも、卑屈になって、己の道を進むことができないなんてね!! 全く、どこまでも性根の腐ったヤツかしら。どう、悔しかったら、反論の一つでもしてみたら?」
妖夢:「……言いたいことはそれだけですか?」
天子:「ハハハ!! いい顔つきになったじゃない。隠そうとしても隠し切れないほどの憤りが、炎となって立ち昇っているのが見えるわよ」
妖夢:「ならば一つ言わせてもらいますが、貴方は自分の周りにいる、小人たちの利巧な立ち振る舞いが気に入らないのですよね」
天子:「えぇ、そうよ」
妖夢:「どうして、その人たちのことを放っておけないのですか? 私たち、というよりも紫様や霊夢や萃香さんに……まぁ、幻想郷にいる人達は、むしろ、思ったことをそのまま口に出してズケズケと相手の心の中に踏み込んでいくくらいのことをするものです。そういう方とだけ交流していれば、それで済む話じゃないですか」
天子:「何よアンタ。私に説教するつもり?」
妖夢:「いえ、そうではないのです。ただ……そうですね。結論を言ってしまうと、単純に、あなたはあなたが小人として見下す人達にこそ、認められたいと思っているだけじゃないのですか? つまり、その人たちというのは、そういう大切な人……例えば、家族、とか……」
天子:「ハ!! 口を開いたと思えば、自分勝手に私の人生を憶測するわけね。気に入らないわ」
妖夢:「あなたには言われたくありませんが……もはや、問答不要ですね」
天子:「そうね!! これ以上はおしゃべり不要よ!! さぁ、我が緋想の天を衝く様を見よ!!」
そう高らかに宣言すると、比那名居天子は緋想の剣を高々に掲げ、両眼見開き、雄叫びを上げる。
嗔火(しんか:火のように燃え上がる怒りの炎)熾(さかん)にして蒼天を覆い、あたかも崇徳院が御霊、白峰にて噴煙を吐くの逸話を目の当たりにするが如し。
天子が秘剣は、天上天下に怒号を発する!!
天子:「さぁ、我が一肚皮(いっとひ:腸いっぱい)の憤怨、その身に受けて焼け死ぬがよい!!」
紫:「なんて猛烈な怒りの念!! これは流石に、妖夢でも無理かも……」
圧倒的な威勢を示す天子が剣は、颶風(ぐふう:強く激しい風)を起こし、獰猛な唸り声を響かせる。その様は、まさに妖夢を喰らい殺そうとする龍が風の中に潜んでいるかと思わせるほどだ。
対する妖夢は、ただただ姿勢を低く伏せるように構えている。長刀の楼観剣は地に置き伏せ、用いるは白楼剣。居合いの構えにて、虎視眈々と気をうかがう。
紫:(これは……あたかも、竜虎相対するの図ね)
八雲紫も、固唾を呑んで見守る決戦。スペルカードルールもへったくれもない、真っ向からの真剣勝負。しかして、その技名を名乗りあげるは、常の習わしが故か、それとも性か。あるいは勝利を勢いに求めてのことか。
天子:「怒り狂え!! 万乗の剣(ばんじょう:兵車一万台。万乗の君は天子の意で、万乗の剣はすなわち天子の剣)!! これぞ、比那名居天子の緋想天!!」
竜巻の降るが如き大嵐を纏った天上人の憤りは、龍の吐く炎となって、万物一切を灰燼に帰す!!
妖夢:「……参る」
果たして獲物を狩り捕るときに、唸り吼える獣があるだろうか。虎は身を低く構え、全身のバネを限界まで引き締め、息を潜め、機をうかがい、気を内に充たし、脳内ではあらゆる状況を想定し、勝利を強くイメージするのだ。それであってこそ、雷撃のように瞬時に敵を捉え、必殺の一撃を喰らわせることができるのである。
剣伎「桜花閃々」は、あくまで弾幕の華美を添えたアレンジである。美しさを競う勝負ならば、なるほど、桜の花を咲かせ散らせもしようし、また幾重にも剣を重ねて見せることもしよう。だが、斬撃の真骨頂は、言うまでもなく、ただ一閃にて敵を切り伏せることにある。この技、「雷虎一閃」は、まさに死合のための剣技である。
妖夢は、駆けるや否や、瞬く間にその姿を消した。その神速を、八雲紫もしかとは捕捉できないほどであった。
「万乗の剣」。即ち「天子」の剣の名に恥じぬ天子の噴怨のもの凄まじさ。
「雷虎一閃」。虎の獲物を狩る様を模したその技こそは、魂魄流の奥義にふさわしき洗練・無駄のなさである。
勝負は一瞬でついた。
剣、正眼に振り下ろす天子が残心。
刀、右の胴を抜く妖夢が残心。
一陣、風が吹きぬける。
妖夢:「天上人の名に恥じぬ、見事な一撃でした」
膝をつく妖夢。その全身からは、とめどなく汗が流れ落ち、息絶え絶え、苦悶に顔を歪めている。
妖夢:「刹那でもタイミングを狂わせていれば、敗れていたのは私でした」
天子:「……」
妖夢:「貴方は私の到着を待ちわび、焦れていた。一方私は、強敵との連戦で、神経が研ぎ澄まされていました。その差が、勝敗を分かつことになったのでしょう」
天子:「……ハ。勝者が敗者に慰めをかける?? そんなもの……クソ喰らえよ……」
そう、最後に吐き捨てて、比那名居天子はその場に崩れ落ちた。
紫:「ここまで我を貫くとは。敵ながら天晴れ。本人は不要と言うでしょうけど、医者に連れて行ってあげるとしますわ」
そう言うと、紫は天子をスキマに運び入れ、姿を消した。
そうして、去る二人の後姿を眺めながら、妖夢は天子の幼く愚かではあるが、直く逞しい性を思い浮かべ、素直に賞賛を送りたい気持ちがするのに気がついた。
妖夢:(まさに光風霽月の一戦……非常な高揚が、なんとも心地良く爽やかだ。胸の高鳴りが、おさまるところを知らない)
そんな感情を抱くのは、妖夢にとって、はじめてのことなのである。
しばし時が過ぎて、八雲紫が戻り来る。
紫:「お待たせ妖夢。あの天人、肋骨が折れて内臓に刺さっていたようね。天人はその精強さにこそ驚くべきものがあるのであって、生命力が優れているわけではないからね。永遠亭に連れて行って正解だったわ」
妖夢:「そうですか。しかし、私もまだまだですね。あるいは、彼女を殺めていたかも知れない……神武不殺の境地には程遠いです」
紫:「ふふふ、なるほど。妖夢らしい慢心のなさね。ところで妖夢、先の対戦、勝敗を分かったのは果たして何かしら」
妖夢:「はい。恐らく、軍争(ぐんそう)にあるかと」
紫:「ほぉ。なるほど。その心を教えてちょうだい」
妖夢:「お答えいたします。まず、彼女は地の利を得ておりましたが、しかしながら有利になるような条件での勝負を求めて来ませんでした。これは彼女の英邁なる気質の故で、全くもって天晴れなものです。しかしながら、勝負の世界に個人のこだわりは無用です。私は彼女の挑発に乗るような形を見せながら、時間を稼ぎ、内に気を充実させることに成功しました。そうして、一対一の対決により有利な、一撃必殺の奥義を私は繰り出す準備ができました。それに対して彼女は、個人との決戦ではなく集団との対戦を想定した奥義を繰り出しました。これは私が以前、彼女の奥義である全人類の緋想天を見たことがあり、この技を引き出させるように誘引したためです。結果を見てみれば、本来は不利な戦いを強いられるはずの遅ればせた私が、いざ戦闘をはじめるにあたっては、より有利な状況で戦うことができるようになったのです。これは遠近の法です。この遠近の法こそが、つまり遅ればせて先んじることが、孫子の兵法書第七篇、軍争篇の真骨頂です」
紫:「見事なり。用兵の境地、しかと見せていただきました」
妖夢:「しかしそれも、結局は、相続く死闘により極限まで集中力が高まっていた私と、戦いを待ちくたびれていた彼女との境遇の違いがなくてはなりませんでした。また、彼女の英邁なる気質は本当に素晴らしいものでした。その覇王ぶりが敗因となりはしました。なりはしましたが……」
紫:「どうしたのかしら?」
妖夢:「私は……戦に勝って、勝負に負けた気が致します」
紫:「それはどうして?」
妖夢:「……正直、憧れます」
紫:「まぁ!!」
妖夢:「そうして、元気付けられます。」
紫:「良いわね!! まさかの天子×妖夢……キマシ!!」
妖夢:「紫様??」
紫:「い、いえ。なんでもないわ。続けてちょうだい」
妖夢:「はい。私はあの、本質的に自由であろうとして勢力旺盛に振舞う生活、自分の優越と実力との確信、意志の並び立つものを許さぬ強靭さ、豪勢な屈服しない人格、つまりは彼女の天性が、私に心底まで喜びと感謝を与えてくれることに気がついたのです。偉大な精神の内面に向かって開かれた眺めが、私の心を強固にして鍛錬させしむるのです。そうしてまた再起させるのです。つまり、何が言いたいかと申しますと、彼女と戦ったことで、元気がでて来たのです。彼女との戦いを思い返すと、あれほどではなくとも、その何分の一かの英邁さを、私も得たいと、そんな気持ちになるのです」
紫:(聞いた?? もうこれは間違いないわね。どうなの、幽々子? あなた的には……)
幽々子:(え~、イヤよあんなの。あんなのに仕えてたら、妖夢が過労死しちゃうじゃないの)
紫:(あんたが言うの!?)
幽々子:(何よ~。紫だって、たいがいなくせに……)
妖夢:「紫様? どうなされたのですか? スキマに向かって独り言などして……」
紫:「い、いえ。なんでもないわ。ふふふ。妖夢もあの天人も、同じ蒼天の気質を持っています。しかしあちらは晴朗で、あなたは厳粛……彼女の敗因は、自分よりも大きな力に頼ったこと。つまり、不完全であったこと、簡単に言えば自信に溢れすぎていたところです。しかしそれが、完全な敗北にはさせないだけの光輝を彼女に与えている……」
妖夢:「この勝負……はじまりは紫様のお戯れでありましたが、私にも何か、大きな意義が見えてきた気がします」
紫:「つまりは、キマシ??」
妖夢:「キマシってなんですか??」
紫:「い、いえ。なんでもないわ。それよりも……ふふふ、大いに結構よ。さぁ、それでは次の勝負に行きましょうか」
妖夢:「はい。充分休息も得ました。行きましょう」
紫:「覇気が漲っているわね。霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる……良き人に会えば良き人となり、逞しき人と会えば逞しき人となる。あの子には、とっっっっても、感謝すべきね」
妖夢:「はい。また今度、一戦交えたいものです」
紫:「よろしい。そのために先ずは、十番勝負、見事勝ち抜いて見せなさい」
剣法十番勝負。四本目、対比那名居天子。魂魄妖夢の勝利。
五 対 射命丸文
熱戦の興奮冷めやらぬ妖夢が、スキマに誘われて出でた先は、峡路、断崖に一筋の、人一人歩むことができるのみという場所であった。
妖夢:「こ、ここは? なんと言う魔所だ。僅かでも足を滑らせればそれでお終いじゃないか」
紫:「ふふふ。死合には、最適な場所ね。逃げ場なんて、どこにもない」
はたて:「えぇ、その通りよ。実際にここは、かつて幻想郷(となる場所)に死場を求めてやって来た猛者どもが決闘に用いたところなの。戦乱の世の中にあっては神の子として崇められた英傑も、太平の世の中にあっては鬼子として忌み嫌われる……彼らにとって、鬼神の集まる幻想郷こそが、太平の世の数少なき居場所だったわけね」
そう語りかけてくるのは、天狗の記者が一人、姫海棠はたてであった。
紫:「そうね。そんな死狂いが数多やって来た時代があったわね」
はたて:「今となっては、必要のなくなった場所だけどね」
紫:「そうしてあなたは、そんな死狂いの戦いを見ることができると聞いて、早速やって来たわけね」
はたて:「ふふふ。まぁ、そんなところよ」
妖夢:「して、私の相手は……」
文:「私がお相手いたします」
そう言って、傍らに立って語りかけてくるのは、天狗装束に身を包んだ射命丸文だった。
妖夢:「わ、いつのまに!?」
文:「今来たところですよ」
そうにっこりと微笑う文に、妖夢は戦慄した。
妖夢:(さ、流石は神速で名高き鴉天狗……一瞬で彼方より此方まで距離を詰めて来たというのか)
文:「さてさて、こんな場所で立ち話もなんなのですが……早速、剣術十番勝負」
ごくりと固唾を呑む妖夢。
文:「どんな試合をして来たのか、教えてもらっても良いですかね??」
紫:「あらら。やっぱりそのあたりは抜け目ないわね」
文:「新聞記者ですからね」
紫:「ふふふ。良いわ、報酬代わりよ。教えてあげるわ」
はたて:「私も私も」
妖夢:「ははは……」
少女、取材中………。
文:「なるほどなるほど。いやぁ、どの勝負も直接取材させて欲しかったですね」
紫:「真剣勝負なれば、部外者の覗き見禁止ですわ」
はたて:「あんたはちゃっかりいるんだけどね」
紫:「私はほら、案内役だし。アッシーちゃんがいないと大変でしょう?」
文:「確かに。スキマでの移動は便利ですからね」
そういうと、文は手帳を胸元にしまい妖夢の方を見て言う。
文:「さて、十番勝負のお話、興味深く聞かせてもらいました。特に興味をそそられたのは天子さんとの勝負です。貴方にとっても、特別な一戦になったのではありませんか?」
妖夢:「そうですね。確かに。しかし、真剣勝負に特別ではないものなどありません」
文:「ふふふ、なるほどその通り。しかし、まだ十番勝負の半ばにしてこの卓抜。いよいよ佳境に入ると思うと、どうにも私との一戦が、名戦の中に埋もれてしまうような気がして心配です」
妖夢:「貴方が私を破れば、十番勝負もそれまでです。それにこの魔所での決闘。敗れれば私は死ぬでしょう。空を飛ぶような無粋はいたしません。潔く死ぬのみです。なれば充分、特別な一戦となりましょう」
文:「あやや、これは見事なお覚悟。ふふふ、やはり天子さんの覇気に当てられたと見えますね。よろしい、ではどうでしょうか。次の勝負、互いに一閃のみというのは。先ほどの戦いもまた一閃勝負ではありましたが、今回は今回で、少し趣向が異なりますから、つまらないということはありませんでしょう」
妖夢:「なるほど。分かりました。そのご提案、お受けいたします」
文:「おぉ!! 受けていただけますか!! ふふふ、それでは二つ返事で良しと言ってくれたお礼です。もし、互いに一閃して決着がつかないようならば、妖夢さんの勝ちということにいたしましょう」
妖夢:「手心は無用です」
文:「おやや? それでは、私は空を飛んで帰ってしまって、妖夢さんが一人ここで飢えて死ぬのを待っても良いのですか?」
妖夢:「う……」
紫:「ふふふ。まぁ、その条件を受けなさい。場所と勝負の手法は相手の望むとおりなのだから、そのぐらいでなくては、勝負が平等なものにならないわ」
妖夢:「そうですね……分かりました。それでは、一閃勝負、参ります」
文:「えぇ、こちらこそ……」
対峙する二人の距離は先の勝負に倣い十間。中段に構える妖夢は楼観剣の一刀流。対する文は葉団扇を仰ぎ隻脚にて立ちうかがう様子。しかしてこれが、天狗の構えと言われれば、なるほど、そうに違いあるまい。久しく、その姿のまま、足元は微塵にも揺れ動かぬのである。
妖夢:(果たして、どのような一撃で来るのか。本命は神速を生かした突撃だろう。この距離……天狗相手にはあってないようなものだ。そうなれば恐らく……敗れる。ならば、ここはいっそのこと……)
妖夢、中段の構えを解き、楼観剣を地に刺し、白楼剣を取り出す。刃を下に向け眼前に横たえ、白刃に映る己が眼を見つめる。そうして自己暗示をかけることによって、限界以上の身体能力を引き出し、また極限まで高い集中力を発揮することができるようになるのだ。これを、「憑鬼の術」という。
紫:(ふふふ、やるわね、妖夢。一皮向けたじゃないの。これは真剣勝負故、今、天狗に仕掛けられれば、隙だらけの妖夢は必ず敗れる。しかし、もちろんあのブン屋がそんな無粋をするわけがない。臨機応変に、可能性の低いものは、例え死に直結するようなことであっても切り捨てるようなふてぶてしさも勝負には必要なのよ。あらゆる状況を想定して、対処していては、それはそれで敗北の理由となるのだから)
文:(へぇ……面白いじゃないですか。あんまり融通が利かない人だと思ってましたが、なかなかどうして。ふふふ、いやはや。図太いですね)
妖夢は白楼剣を鞘にしまうと、両肘を脇にそえ、両手を前に突き出し、拳を上に向けて握り、毛先足先にまで精気を漲らせるように、深く深く長息をつく。さらには全身の筋肉を練り上げる。これは長時間にわたる無呼吸運動に耐えるための日本古武術の特殊な呼吸法、「息吹き」である。
さらに妖夢は、「息吹き」を終えると、ゆっくりと地に刺していた楼観剣を引き抜き、中段に構えるが、その構え、一見して重心はやや後方に置かれ、体は半開きに近いという特殊さである。これは横隔膜に代表される胴の筋肉、即ち日常意識されぬ部分の筋肉、しかして極めて強靭な筋肉を瞬間的に解き放ち、爆撃の様な一撃を雷撃の如く放つ「爆雷」と呼ばれる中国武術の奥義を繰り出すために必要な体勢なのである。
魂魄流剣術の極義はここにあり。
即ち、技を磨き積み重ねることは人間と変わらず、しかもそれを一身に蓄えられることは寿命の概念なき霊が故である。そうして、力においては人を凌駕しており、それぞれの種族の良い特性のハイブリッドが、魂魄流剣術なのである。
そうしてその技は、三国の武芸諸術百派の奥義に精通したもので、しかも弛まぬ数百年の尽力は、それら全てを修得していささかの懈怠も示さないのだ。
文:(面白い!! 相手にとって不足なし)
にやっと笑みを浮かべたと思うと、文は葉団扇を右手に取り、左中段に構えた。
はたて:(まさか獲物に、葉団扇を使うの!? あ、もしかして、文!!)
予感的中。射命丸文は、その場で葉団扇を右に払った。すると瞬間、五つの手裏剣が様々な角度から物凄い速度で妖夢へと襲い掛かる!!
紫:「ま、まさかの搦め手!! 汚い、さすがは鴉天狗!! 汚い!!」
しかして直撃と思われたその瞬後、二つの手裏剣が真っ二つに断絶され、あとの三つは風切り音を残して妖夢の後方へと抜けて行った。
文:(は、速い!! 瞬間的なスピードならば、天狗に勝るとも劣らず……)
残心、刀を鞘にしまう妖夢。
はたて:(しかし、甘い!! なぜ葉団扇を用いたか!! 手裏剣の秘匿のみではない。あれは、風を操り、無限追尾の一閃を放たんとしてのこと!! 約定にしたがい、魂魄妖夢はもう刀を使えない!!)
背面、左右から迫り来る三つの手裏剣。妖夢は正面を向き、何らの動きも見せない。
文:(この勝負、私の勝ちですね!!)
その直後!!
妖夢、その場に渦を巻く!!
そうしてその両手には、見事三つの手裏剣が掴まれていたのだった。
紫:「お見事!! ふふふ、搦め手も通じないとはね。油断なんて微塵もなかった。さすがは妖忌が弟子ね」
文:「あ、あややややや……」
はたて:「……射命丸文、汚れ手を使ったにも関わらず魂魄妖夢に惨敗、か。良い記事が書けそうだわ」
文:「ひぃ!! ご、後生ですから、それだけは止めてください。はたてさ~ん」
妖夢:「……ぷふぁ!! い、いえ、紙一重でした。この技は、呼吸を止めていなくてはならないので、とても体の負担が重いのです。そう長くは維持できません」
文:「ほぉ、それは興味深い。ほら、はたて、こっちのほうが記事にして面白そうですよ」
はたて:「射命丸文は、このように事実の隠匿に躍起となっており……」
文:「ちょ、ちょっと、人の話を聞いてくださいよ~」
紫:「ふふふ。因果応報ってところかしらね」
剣術十番勝負。五本目、対射命丸文。魂魄妖夢の勝利。
六 対 フランドール・スカーレット
十番勝負も折り返しを迎え、やや疲れも見え始めた妖夢。肉体のリミッターをはずし、限界ギリギリの負荷を身体にかけての運動。当然、死合とはそういうものになる。のみならず、神経を激しく磨り減らすのであるから、さすがに妖夢も疲労を感じざるを得ないのだ。
しかし、連戦の疲労もまた、十番勝負の敵が一人である。
軽い水分の補給のみで、妖夢は次の戦いへと挑む。
そうしてスキマに誘われた先は、薄暗くただ広いばかりのがらんどうだった。
妖夢:「ここは……地下室?」
紫:「えぇ。その通り。紅魔館の地下深くにある、ただ暗く広いだけの空間よ」
妖夢:「はぁ。何のためにこんな部屋を設けたのでしょうか」
紫:「運動不足の解消らしいわよ」
妖夢:「運動不足? 吸血鬼の、ですか?」
紫:「えぇ」
妖夢:「なるほど。ここなら、日の光も入り込むことはありませんしね。ただ灯りといえば、無数に設けられた松明の灯りばかりです」
そうして、妖夢と紫が話をしていると、奥から「クスクス、クスクス……」という不気味な笑い声が響き渡って来た。
妖夢:「う! な、何ヤツ!」
紫:「どうしたのよ、そんなに狼狽して」
妖夢:「わ、私はどうも、こういうお化けが出てきそうなところが苦手で……」
フラン:「クスクス、クスクス。なぁに、もしかしてお化けが怖いの? 面白いお姉ちゃん」
紫:「笑われてるわよ?」
妖夢:「怖いものは仕方がないのです」
フラン:「うふふ。ねぇ、お姉ちゃんが、私の遊び相手なの?」
妖夢:「あ、遊び相手?」
紫:「えぇ。そうよ。こっちのお姉ちゃんが、貴方と剣で遊んでくれるわ」
フラン:「本当? わぁい!!」
そう言って、姿を現すのは、悪魔の妹であるフランドール・スカーレット。笑顔で掲げる両手の中には、彼女の体躯の三倍以上もある長大な剣が握られていた。
妖夢:「え?? えええええええ!?」
紫:「流石は吸血鬼ね。ざっと見たところ、長さ四メートル、重さ四百キロってところかしら?」
妖夢:「あ、あんなのを剣の中に入れないで下さい!! 鬼の金棒でもあれほど大きくはないですよ……」
フラン:「それじゃ、お姉ちゃん!! いっくよ~♪」
そうして、大上段から一気に振りかざすフランドールの大剣!!
とっさに横転しかわす妖夢だったが、剣戟の跡、破岩・木端微塵の様を見て流石に色を失う。
妖夢:(こ、こんな一撃を喰らっては、剣ごと叩き潰されてしまう!! とにかく避けて、隙を突いての一閃にかけるしかない。これだけの大剣、隙も大きいはず)
その妖夢の読みは外れる。
吸血鬼の俊敏と怪力とで、フランドールの大剣はぶんぶんと大きな音を立てて回る回る!! 太刀筋は滅茶苦茶、力の流動はまるで考慮せず、突いて払っての大嵐に、隙をうかがう暇もない。
妖夢:(く!! なんてでたらめな!! 力と速さのごり押しか。しかも、こう暗くては、なかなか相手が見えない……)
紫:(吸血鬼の強みが最大限活かせる地の利と装備。そうしてでたらめな技術。こんな相手とは今まで戦ったことがないでしょうね。ふふふ、軍争に敗れて、さて、どう挑む……)
何とか紙一重でフランドールの剣戟をかわし、距離をとる妖夢。その妖夢に向かって、フランドールが楽しそうに笑って言う。
フラン:「ふふふ。お姉ちゃん、私のことが良く見えないんでしょう? 人間って不便よね。暗いところじゃ眼が見えなくなっちゃうんだから。でも、フランは吸血鬼だから、明るいところよりも、こっちのほうが良く見えるくらいだよ♪ えへへ、すごいでしょう☆」
妖夢:(楽しそうに言ってくれる……しかし、これではジリ貧か? あるいは猛獣と対峙したと思って戦おうとも考えたが、予想以上に剣筋が自由自在だ。無理矢理太刀筋を変更して、コチラの首を落とすことも可能だろう。この子は幼く力で押すことしかしらないが、だからといって知恵が働かないわけではないのだ。しかし、あの剣に触れただけでコチラは致命傷を負うこと間違いない……まずいぞ。どうすべきか……)
フラン:「うふふ。お姉ちゃん、作戦タイムはもう良いかな?」
妖夢:(幼く力で押すことしかしらない、か。……よし、通じろ!!)
妖夢は構えを解き、両手を下にだらんと垂れさせた。いや、これは天地の構え。体の力をすっかり抜く、いわば休めの体である。
フラン:「あらら? 諦めちゃったの? 面白くないぞ~(怒)」
妖夢は全身の気配を影に同化させる。そうして、非常にゆったりとした歩調で、フランドールの側面へと移動する。その動きが、フランドールには、スローモーションのような、いや早送りのような、残像のある不思議な動きに見えるのだった。
フラン:「な、ナニコレ!! 手品??」
紫:(この歩法は、特殊な重心移動と足捌きで相手に目の錯覚を与えるもの。……流石は魂魄流。暗殺術の奥義まで教えに組み込んでいるとはね)
妖夢:(やはりこういった技術を用いてくる相手とは対戦の経験がなかったと見える。その暗所でも良く見える優れた目の力が仇となったな)
そうしてフランドールは、自分の首筋に妖夢の剣が当てられていることに気がついた。
フラン:「え? え、ウソ!! ま、負けちゃった……」
紫:「お見事。この勝負、妖夢の勝ちね。さて、勝因は?」
妖夢:「相手の有利な条件では勝負をしなかったことです。力で劣る相手には技で、技で劣る相手には心で。勝負の条件を、力から無理矢理に技と心へと引き込んだことが勝因です」
紫:「なるほど。しかし、自分の有利な条件に引き込めるだけの能力がなくては、当然その戦略は用いることができない。ふふふ、さすがだわ」
そのとき、地下に拍手の音がこだまする。
レミリア:「えぇ、全く。お見事……良い余興だったわ」
フラン:「あ、お姉さま!! ごめんなさい。負けちゃった……」
レミリア:「残念だったわね。もし勝てたらあのお姉ちゃんを、フランの新しいお人形さんにしてあげようと思ってたのに」
フラン:「え、本当!! やだ、フラン絶対あのお姉ちゃん欲しい」
妖夢:「本人を前にして、そういうことは言わないでください……」
紫:「しかしまぁ、紅魔館の主が覗き見だ何て趣味の悪い」
レミリア:「スキマ妖怪には言われたくはないけれども……ふふふ。まぁ、確かに非礼ではあったわね。お詫びに、軽食をこちらで用意させてもらうわ。フランの遊び相手にもなってくれたお礼を兼ねて、ね」
紫:「そうね。もうすっかりよい時間ね。妖夢、貴方もサンドイッチくらいは食べておかないと持たないでしょう」
妖夢:「そうですね。さすがに、ちょっとお腹が空きました」
そうして、紅魔館の茶会に招かれ、しばしの休憩を妖夢はとるのであった。
剣術十番勝負。六本目、対フランドール・スカーレット。魂魄妖夢の勝利。
七 対 十六夜咲夜
レミリア:「さて、我が紅魔館は、この十番勝負において二人の勇士を送り出すという栄誉を授かったわけだけれども、はてさて、その二人めは誰が良いかしらね。人選に困るわ」
紫:「ふふふ。まさか紅魔館に人なしとは仰いませんでしょう?」
レミリア:「もちろん!! むしろ、優れた人材が多すぎて、誰を選ぶべきか悩んでいるほどよ」
紫:「流石は安定の紅魔館。人気投票で上位を占めるだけのことはあるわ」
レミリア:「まぁね。Win版の原初にして北極だものね。貫禄の違いを見せてあげなくては」
そうしてしばしレミリア・スカーレットが思案顔をした後、「やはり」と言うことには、
レミリア:「咲夜。あなたを置いて他にはないわ。相手をしてやってちょうだい」
咲夜:「御意のままに」
そうして恭しくかしずくのは十六夜咲夜。先ほどまではいなかったはずの彼女が、視界の外より出でて来るは、かの時間操作の秘儀によるもの。
妖夢:(来るか、十六夜咲夜……)
決死の覚悟で気を張る妖夢を尻目に、咲夜は笑って言う。
咲夜:「ふふふ。お生憎様、私は死合なんて付き合うつもりはないわ。そうね、ちょっとしたゲームだったら、いくらでもお付き合いいたしますわ」
妖夢:「ゲーム?」
咲夜:「そう。簡単なゲーム。的当てよ。あら? 不満そうね。でも、本当に本気で死合をしたら……」
そう言った瞬間、咲夜は時間を止め、妖夢の首筋にナイフを当ててみせた。
咲夜:「ね? こうやって、時間を止めている間に、私はあなたを殺してしまうもの。それでは、あまりにもつまらないでしょう?」
紫:「そうね。そんなの、見ても少しも楽しくないわ」
妖夢:(確かに、天人のように刃が通らないほどの頑強さがあるわけでも、悪魔染みた再生力と生命力があるわけでも、あるいは複数の命があるわけでもない私では、彼女の能力には太刀打ちできない……)
レミリア:「えぇ、私もそのほうが楽しめて良いわ。どうかしら? 剣士様は、この条件では不満かな? ふふふふ……」
妖夢:「いえ。了解いたしました。魂魄流では手裏剣術も収めております。その妙技、ご覧に入れましょう」
レミリア:「それは楽しみね。ジャパニーズ・ニンジャ!! ふふふ、見てみたかったのよ」
こうして十番勝負の第七番は、的当てと相成ったのである。
咲夜:「さて、ルールはシンプル。互いに獲物を五回投げて、先に中心をはずしたほうが負け。六回目以降は、サドンデスで決着をつける。で、私の獲物は、もちろんナイフを使わせてもらうわ。良いわね?」
妖夢:「はい。それでは私は、クナイを使わせてもらいます」
レミリア:「え!! ジャパニーズ・ニンジャなら、こう、ギザギザのを、手の平から、シュシュッてやるんじゃないの??」
妖夢:「いや、それはちょっと違いまして……」
紫:「あらあら。そんなことをしたら、手を傷つけてしまうでしょう? 狙いも定まらないし、力も入らないし……」
レミリア:「それが、ミステリアスでオリエンタルなんじゃないの!! 分かってないわね」
紫:「まるで欧州に行けば、王子が白馬にまたがって、草原を走っているかのような妄想ね」
レミリア:「走っていないの?」
咲夜:「走っていませんよ、お嬢様……」
そうしてしばしの雑談を終えると、いよいよ勝負と相成った。
咲夜:「それじゃ、まずは私からいくわね」
妖夢:「どうぞ」
咲夜:「では、お言葉に甘えて……こんな感じで」
すると、その一瞬後には、的の中心には五つのナイフが刺さっているのだった。
妖夢:「うっ!!」
咲夜:「さぁ、どうぞ」
レミリア:「さすがは悪魔の従者ね」
紫:「こんなのは、騙される妖夢が悪いわ。まだまだね」
今回の勝負は的当て、である。当然、獲物は的に刺さらねばならぬ道理。となれば、先に五本のナイフを刺してしまい、的の中心の面積を削ることで、相手の妨害をすれば、それだけ有利になるのである。
妖夢:(しかも、ナイフは斜めに刺さっている……やられた。的の中心部分の面積が、もうほとんど残っていないぞ。クナイ四本……は、まずなんとかなるが、それ以降は……)
咲夜:「ふふふ。的当てのゲームとなって、少し気が緩んだかしら? いけないわね。剣士のあなたからすれば、死合というのは、真っ向勝負で互いに同意を得て、いざ尋常にとなるのでしょうけど、私からすれば、それはむしろ稀なケースよ。むしろ、命を賭けての戦いというのは、相手の虚をついて行うもの。その備え無きを攻めるが上策、というわけよ」
妖夢:(むむむ。まさに彼女の言う通りだ。私は魂魄流の暗殺術を、技として会得していたものの、その真髄である心得をまるで見に付けていなかった。その形を得るは易く、その心を知るは難い……お爺さまのお教えどおりではないか。深く、反省せねばならない……)
紫:「妖夢、反省を行うのは勝ってから、ですよ。よく思い出しなさい。此度の戦い、例え遊戯に他ならないとはいえ、あなたは西行寺と魂魄の名を背負っているのですから」
妖夢:「!? ……はい、紫様。此度の遊戯、敗れたときはこの妖夢、切腹仕りたく存じ上げます」
紫:「ふふふ、潔し。その際には、私が手ずから介錯仕る所存」
妖夢:「恐悦至極」
レミリア:「WOW!! ジャパニーズ・ハラキリとは、驚いたわ。日本に来たら、毎日河原でハラキリしてるかと思ったのに……」
紫:「欧州では毎日ギロチンや火あぶりがあるっていうのかしら?」
レミリア:「ないの?」
咲夜:「ありませんよ、お嬢様……」
そうした三人の雑談を尻目に、妖夢は策を練り、勝利の道を探る。
妖夢:(四本は可能だ。しかし五本目……いや、不可能ではない。しかし、どちらにしてもそれでは次、相手の番になってしまう。何せ、相手は時を止められるのだ。それこそ、なんでもし放題だ。それで、次は私となる。苦しい、非常に苦しい。サドンデスの末に、手詰まりになるのは目に見えている……どうする、どうする妖夢!!)
そうして思い悩んでいると、妖夢はふと祖父の教えを思い出した。
妖忌:「よいか、妖夢。物事に工夫は必要だ。何事も工夫して、うまくやる方法を考えねばならぬ。その毎日の積み重ねが、長いときを経て、容易に届かぬ隔たりとなる。わかるか?」
妖夢:「はい、お爺さま!!」
妖忌:「うむ。良い返事だ。だがな、妖夢。工夫というと、なにやら功利なやり方・回りくどい方法ばかりを思い浮かべるかも知れぬが、そうとも限らぬのが難しいところじゃ。ことによると、全然うまくもない、力技のほうが、かえって利巧なやり方だったりする」
妖夢:「と、言いますと?」
妖忌:「うむ。例えばじゃ。童に、小魚の身を残さぬようにすっかりきれいに食べつくせと命じたとしよう」
妖夢:「はい」
妖忌:「しかし、幼い人には、箸使いは難しいと見える。さて、お主ならどう助言する?」
妖夢:「……魚の上手な食べ方と、箸の正しい使い方を教え、手本を見せて、食べさせます」
妖忌:「ふふふ。如何にも。それも一つの方法じゃ。しかし、わしならそうは教えぬ」
妖夢:「では、どう教えられますか?」
妖忌:「手づかみで食えという。あるいは、骨ごと、噛み砕いてしまえばよいと教える。まぁ、多少喉や歯茎に骨が刺さるかも知れぬが、我慢しろと言ってやるか」
妖夢:「……しかし、手づかみは行儀が悪いですし、骨ごと食べるとなると、骨が刺さるから痛いのはイヤだと言って、童はきっとぐずります」
妖忌:「ハハハ。そうだな。確かに、確かに。これは、一本取られたかな。ハハハハ……」
この古い祖父とのやり取りに、妖夢は勝利の枝折を見た。
妖夢:(そうか。力技か。よし、それならば……これでどうだ!!)
妖夢、カッと活眼してクナイを構え、第一投を投じる。続けざまに、第二投、第三投、第四投とクナイを放つ。
レミリア:「やるじゃないの!! 息も尽かさぬ、見事な早業。そうして、刃の相間と相間を縫うようにして放つ見事な投擲術!! 咲夜もかくや、というほどだわ」
咲夜:「全くですわ。そうして、力があります。実に男らしい、まさに剣士の技ですわね」
紫:「さて、しかし、その力で女の謀りを挫くことができるかどうか……見ものね」
第五投と相なった時、妖夢はその場から三歩、後退した。そうして、助走の勢いを借りて、渾身の第五投を放つと、的の中心、咲夜のナイフが斜めに刺さったその先に、真っ直ぐと食い込むようにクナイが刺さった。
紫:「む、見事!!」
レミリア:「いや、まだ続けるみたいだよ!!」
妖夢は第五投の勢いをさらに借りて、気焔万乗の一撃を繰り出す。すると、第五投目のクナイと寸分違わず重なったクナイが、前のクナイを突き破り、的の中心部分は木端微塵に砕け散り、的そのものも、真っ二つに砕かれたのであった。しかし、確かにクナイの先には、的の欠片が刺さっている!!
咲夜:「参りましたわ。これでは、もう当てる的の中心がございません。私の負けです」
紫:「なるほど!! コロンブスの卵、といったところかしら?」
レミリア:「ハハハ!! いや、いいものを見せてもらったわ。フランもあなたのことを気に入っているようだし、どうかしら? 紅魔館に来ては。相応の待遇は保証するわ」
妖夢:「いえ、私には心に決めた主がございますので」
レミリア:「それじゃ、フランの婿に来てちょうだい」
妖夢:「いえ、私は女なので……」
レミリア:「でも日本では、あなたのような武士をマスラオと呼ぶのでしょう? そうしてマスラオは男でしょう?」
妖夢:「確かに益荒男は男ですが」
レミリア:「素晴らしい。これからはあなたのことを、マスラオ妖夢と呼びましょう」
紫:「良いわね。益荒男妖夢、カッコイイじゃない」
咲夜:「良かったですわね、益荒男妖夢さん」
妖夢:(いや、だから私、女なんですけどね……)
剣法十番勝負。七本目、対十六夜咲夜。魂魄妖夢の勝利。
八 対 藤原妹紅
紫:「さて、次の相手のところへ行くわよ」
そうしてスキマに誘われた先は、竹林にある藤原妹紅の家中であった。
妖夢:(う、煙たい……)
部屋一面に、煙が充満しているのは、待ちぼうけた証拠であろう。
妹紅:「ははは、ようやく来たか。いや、話を聞いてから、家でずっと待っていたんだけどね。なかなか来ないから、この通り。一日中、しけもくやってたものでね。すっかり我が家は煙たくなってしまった」
紫:「へぇ、これは見事な煙管ね。あなたの顔よりも大きいのではなくって? そこまで歌舞いた大煙管は、滅多にお目にかかれないわ」
妹紅:「ふふふ。これは昔、近江の国、老曾(おいそ)の森で遭遇した目一つの神と神遊びをしてな、戯れに勝利した証として受け取ったもので、まぁ、私の自慢の一品だ」
紫:「あら、それは興味深いお話ね。是非とも詳しくお聞きしたいところだわ」
妹紅:「お、乗り気だね!! 私も、話に付き合ってくれるのがいると嬉しいからな。特にお前さんみたいに、外の世界の話が通じるのは、ここには滅多にいなくてな。まぁ、過去語りをしたいのはやまやまなんだが……」
そうして、妹紅がちらりと見るは妖夢。
妹紅:「ふふふ。何だ、随分と滾ってるじゃないか。隠しても隠し切れないくらいだ。今日一日、漲るような勝負をして来たんだろう? 良いね。たまには、そういうのがないと、永い命は飽きてしまうよ」
妖夢:「急かして申し訳ありませんが、早速、死合っていただけませんでしょうか」
妹紅:「何だ、随分と乗り気だな」
妖夢:「……貴方のような達人との死合い。剣士として、心踊らぬわけがございません」
妹紅:「ハッハッハ。それが剣士の性だな。分かった。しかし、だからこそ、私も十全足るお前さんと戦いたい。もう少し休み、疲れを取れ。滋養の薬湯も飲め。安心しろ。慧音に用意させたものだ。こちらはもちろん、そちらも死合の覚悟で挑もうじゃないか」
そうして妖夢は慧音の用意した薬湯を飲むと、血は手先足先まで巡りに巡り、四肢軽く、神経の鋭敏なるは肌を撫でる風を感じるほどとなった。
妖夢:(死合いを所望との言葉、違わぬと見える。紫様の戯れによりはじまったこの十番勝負……しかし、真の達人と死合できるとは。ここで死ぬとも剣士の誉れ。しかし、勝って名誉を得るのは私だ)
慧音:「どうだ? 元気が湧いて来るだろう」
妖夢:「はい。おかげさまで。ありがとうございます。しかし、こう……ケホ、ケホ!!」
妹紅:「ハッハッハ。感覚が鋭敏になっているから、煙くて仕方ないのだな。さて、それじゃ、そろそろはじめるとしようか。まぁ、ここでは何だから、外に出よう。竹林の中、誰にも迷惑のかからないところで、な」
そうして、妹紅と妖夢は、竹林の中へと進み行く。歩むこと十分ほど、平らかに地が開ける。
妹紅、大煙管を吸いながら、揚々として語りかける。
妹紅:「さて、ここなら申し分ないだろう。妖夢、覚悟はいいな」
妖夢:「問答無用」
妹紅:「おう、潔し。では、蓬莱の人の形、千三百年の奥義を見よ!!」
妹紅、大煙管を深く深く吸うこと十秒、長息を吐かば平地を覆い、辺りの竹林、全て陰炎に包まれ、妖夢は四方を暗き炎にて囲まれる。四方を囲む陰炎の内は、ただ煙の覆うばかりで、眼もはっきりとは開けられぬほど。
妹紅:「ハ!!」
妹紅が掛声とともに両手を胸の前で強か一度打つと、不気味にこだまして竹林に音が響き渡った。実にこだまして聞こえること五度。その後、印を切り、結び、両手を前に押し出すと、たちまち陰炎が妖夢を襲う。妖夢、これを敢えて避けず、ただ腕で目を護るように構えるのみ。
その一瞬の後、妖夢の顔を上げた先に見えるは、藤原妹紅ただ一人にあらず。
地より轟きうねり狂う獰猛なる大蛇・生臭く温かい吐息が陰炎となって漂い来るほどのおぞましき夜叉・見るも恐ろしく鳥肌が立つような気味悪き大蛾。どの化物、一匹をとっても、身の丈は三丈(十メートル)を越すほどにある。
妖夢:(なんということか!! 蓬莱人は、このような悪鬼羅刹までしたがえるというのか……)
飄々として、不気味に笑みを携える妹紅。
妹紅:「ふふふ。確かに剣術忍術を私も収めているのは事実だが、むしろ真骨頂はこちらのほうでね。輝夜にしか見せたことがないとっておきさ」
悪鬼羅刹を前にして、妖夢は背中に冷たいものが伝わるのを感じた。
妖夢:(あの者ども……鬼にも肉薄せんとするか)
固唾を呑む妖夢であるが、妹紅のその口に、あの大煙管がずっとくわえられていることに気がついた。
妖夢:(いや、もしや、あるいは……)
妖夢は構えを解き、ただ白楼剣の一振りのみを持つ。そうして、自らの首筋に刃を這わせ、シュッと引くと、その刀身には薄く血が塗られたのである。そうして何らの力みなく、妖夢が悠然として大上段に構えるその速さは刹那にして、見るものには時が止まっているかのように感じられた。そうして剣を振り下ろすと、たちまち血が一条の光となって、紅く眩く陰炎を裂く。すると、あたかも氷の朝日に合うが如く、煙は四大分散して晴れ、羅刹は消え、ただそこにあるのは、一人蓬莱の人の形、藤原妹紅だけであった。
妹紅:「我が幻術を破るとは、お見事!!」
賞賛の拍手が響き渡る。周りを見渡せば、そこはなんと、藤原妹紅の邸宅からどれほども離れていない場所であった。
妖夢:(そうか!! 妹紅さんは、最初から、私を幻術にかけるための下準備をしていたのだな。そこに、私は招かれて、罠に落ちたというわけか。あの薬湯も、確かに滋養の薬には違いないが、血の巡りを良くして、幻術のかかりを良くするためのものだったのだ)
慧音:「いったいどうしたというのだ? 何やらぼそぼそと独り言を言いながら外に出たと思ったら、いつの間に戦いが終わったのだ?」
妹紅:「ははは、実はかれこれ、こういうことでな。まぁ、そういうわけさ」
慧音:「全く。お前が正々堂々の戦いをしたいというから、私は足を棒にして、薬草を取りに山まで行ったというのに」
妹紅:「いや、これはすまなかった。しかし、敵を欺くにはまず味方からというからな」
そんな二人のやり取りを見守りながら、妖夢は妹紅の見事な幻術に感心する一方で、どこか物足りないものも感じるのだった。
妖夢:(やはり……真っ向から、達人との一騎打ちをしたかった。それこそ例え、私が敗れることとなっても……)
しかし、その考えが、破滅をもたらす危険なものであることに気がついて、妖夢は「バカな考えだ。」と、忘れることにした。
紫:「ふふふ、真っ向勝負にも打ち勝ち、搦め手もきかぬ。恐れ入ったわ、妖夢。さぁ、残り二番。破竹の勢いで打ち破って見せなさい」
妖夢:「ハイ!!」
剣術十番勝負。八本目、対藤原妹紅。魂魄妖夢の勝利。
九 対 寅丸星
スキマに誘われて出でた先は、ただ荒涼として広がるばかりの岩場であった。
妖夢:「このような岩石砂漠が幻想郷にあるとは知りませんでした」
紫:「ふふふ。幻想郷は、人々の忘れ去られたものが到来する場所。およそ無いものが無いと言っても良いくらいの場所ですわ」
妖夢:「なるほど」
紫:「今回の相手は、少しばかり、人目を気にするものでね。ここで対決してもらうことになったのよ」
妖夢:「そうですか。了解しました。して、相手は」
星:「私です」
そうして、小高い岩の丘より飛び出でて来るのは、寅丸星。毘沙門天が地上に遣わせた僕である。
妖夢:「あなたが相手ですか。意外と言えば意外ですが……当然と言えば、当然でしょうか」
紫:「ふふふ、たまには息抜きではないけれども、武門の誉れとしては、そういう気持ちになるのは当然ですわ」
星:「お恥ずかしい話です。しかし、これも哀れな畜生の性と思って、お相手いただきたい」
妖夢:「こちらこそ、毘沙門天が遣いとあらば、刃を交わらせるのはこの上なく名誉なこと。正々堂々と戦いましょう」
星:「そう言ってもらえると、この背中に伝う冷たいものも引くというものです。さぁ、いざ尋常に」
妖夢:「ハイ!!」
そうして、妖夢が両刀と星が真槍とが火の粉散らして結び合う。互いに武芸の華を咲かせ、技数多披露して、その見事さに心躍らし、あたかも肝胆相照らし合うが如き気持ちがする。
その姿を見て、微笑を携える紫が傍に、音も無く出でるは小さな賢将。ナズーリンである。
ナズ:「やれやれ、何だか様子がおかしいと思っていたら、こんなことをしてたのか」
紫:「あら。これはこれは。お勤めご苦労様です」
ナズ:「まぁ、ご主人の監視が私の役目だからね」
紫:「彼女の行いを咎め、ご報告なされるのかしら?」
ナズ:「……まさか。こんなの、逢引と変わらないじゃないか。やれやれ。嬉しそうな顔をしちゃって。あれかな。剣で語るって言うのかね……」
紫:「ふふふ。えぇ、そうでしょうね。妖夢もすっかり、楽しそうで。でもねぇ、参ったわね」
ナズ:「何がだい?」
紫:「これじゃ、死合にならないわ」
ナズ:「まぁ、そりゃ、仏門に挑んで死合になるわけがないよ。虎の子のじゃれ合いってところだね。かわいいものだよ」
紫:「えぇ、本当に……」
そうして、妖夢と星が剣檄を結ぶこと一刻。妖夢、剣の柄で星の腹を強か打つと、もう一方の太刀の柄ごと顎を打ち上げる。そうして星がしどろもどろになったところを狙って、刃を首筋に当てる。
星:「ま、参った。急に動きが変わりましたから、困惑させられてしまいました」
妖夢:「今のは拳闘術で、シャトル・ブローという技です。腹部と顔面への攻撃を交互に行うことで、相手を混乱させる効果的な攻撃方法です。それを、剣技としてアレンジしました。最初の一撃を柄での肝臓打ちにしたのも、肝臓への攻撃は痛みが大きく、悶絶せざるを得ないためです」
星:「いや、全くお見事でした。まさか、舶来の拳闘術まで研究されているとは。あなたのような武士に敗れたとしても、決して不名誉にはなりません。これほど心地良い敗戦は初めてです」
妖夢:「過分なお言葉、勿体無い限りです。今日の勝利は、私にとっても格別なものです。猪口才な技に頼り、武運あって勝利を収めることができましたが、次は分かりません。また、お手合わせ願いたいと存じ上げます」
星:「えぇ!! こちらこそ!!」
そうして、二人は互いに礼を尽くして別れることになった。清々しい勝負。肉体の疲労と流れる汗の心地良さ。満足。そう、満足に違いない。違いないのだが、どこか、寅丸星は、非常な空しさを心の中で感じるのだった。
星:(……バカな。私は仏門に帰依した身。剣檄を交わらせ、武芸を競うことはあっても、生死を賭けた死合を望むなどはあってはならぬことだ。それどころか、勝敗を競う心だにあってはならぬもの。慎まねばならぬ。抑えねばならぬ)
そう、自らの奥底から滾り沸く獣性に目を瞑り、耳を塞ぐ星であったが、そのとき、傍らより呟く悪魔の囁きを聞いたのであった。
紫:「あら、本当にそれで良いのかしら?」
八雲紫が、スキマを通じて語りかけるのである。
紫:「えぇ、結構なことでしたわ。全く、素晴らしいお遊戯で。しかし、あれが本当に武門の真骨頂と言えるかしら? 最初から、敗れることを決めてかかった、形ばかりの試合にね」
紫の指摘は当たっていた。星は、この勝負を受けたときから、必ず敗北することと決めていたのだ。
紫:「ねぇ、あなた。そういう、勝敗にこだわらない姿を、もしかして尊いものと思っているのかも知れないけれど……本気で死合を望み、果たしてなく上を目指し精進を積み重ねる武士に対する姿勢としては、むしろ相手を侮辱するものになるとは思わないかしら? ホラ、御覧なさい。妖夢の後姿を。どうかしら? ここに来るときは、覇気で滾っていたのに、今ではすっかり、気が衰えてしまっているわ。萎えちゃったのよ。あなたの姿勢に、ね。それを、武門の誉れと、はてさて、毘沙門天も思うものかしらね」
その言葉に、寅丸星は苦悶した。
星:(確かにそうだ。もし私が彼女の立場であったならば、どうであろうか……)
紫:「私はね、あなたに怪物の本性を曝け出せと言っているわけじゃないの。努めて理性的に考えて欲しいのよ。道理を言うならば、むしろあなたは、その本領を発揮すべきではなくって? そう、妖夢の心意気に応え、毘沙門天の名誉を守るために……」
そう紫に誘われると、星は頭の中が、段々と白けていくのを感じた。考えはまとまらず、ただただ、脳裏深くに眠っていた、自己の本当の姿がちらつくのである。
八雲紫の言葉を、黙ってつっぷして聞いていた星であったが、ついに頭をもたげた。見張った目は異様に輝いている。
そして一言。
星:「私の、全力を見たくはありませんか」
その言葉に、妖夢はやおら振り返る。
妖夢:「全力、ですか」
星:「はい。私は、まだ全力を尽くしてはおりません。それを、見たくはありませんか?」
妖夢:「いったい、どういうことでしょうか?」
そう問い返された星は心が激してしまっていて、言葉はしどろであったものの、おおよそこんなことを答えたのである。
この度の戦いに挑むに当たって、自分は最初から敗北するものと決めていたこと。しかし本来、武士の戦いにおいて敗北とは死を意味するものであること。また、武門である以上は、強敵と出会い、敗れ死ぬことは、無念であっても恥ずかしいことではないものであること。
よって、元来死合に挑むべき姿勢としては、首尾よく勝利して相手の首級をあげられれば好し、神武不殺の境地に達すればなお好し、万一敵に討たれたとしても、それはそれまでであって、戦場の露と消えるも好し、同胞が仇を討ってくれればそれもまた好し、いずれにしても遺恨は残らぬのであるということ。
ところが、今回は、武門の誉れとなる一戦を約したにも関わらず、はじめから負けを定めるという、なんとも愚につかぬ姿勢で勝負に挑んでいたのである。これは、もっとも恥ずべきことであるし、またもっとも相手を屈辱するような振る舞いであるから、潔く自刃するが筋ではあるが、その汚名を返上せずに死ぬことはできぬから、再度機会を恵んで欲しいとのこと。
そばで控えていたナズーリンも、この星の言葉には黙っているよりほかにはなかった。
紫は一人、満足げに微笑んでいた。
妖夢は目を瞑りながら、星の言葉を聞いていたが、涙は頬を伝って流れていた。
妖夢:「……正直、その言葉をお待ち申しておりました。此度の戦いは、実に清々しいものでありました。しかし、あまりにも清きに過ぎておりました。それ故に、人間の腹の底から湧き出るような想いが、どこか欠けておりました。それでは、生命の息吹きを感じられぬのです。それを、私は、物足りなく感じるのです。あぁ、それが、私一人ではなく、あなたさまと共有されるものであったことが、本当に嬉しい。いざ、慎んで毘沙門天が地上の遣いの真髄を、この不肖魂魄妖夢、お受けいたします!!」
その晴朗快活な返事に、寅丸星は蘇った思いをした。
星:「まこと、光風霽月の感が致します。あなたのような武士と死合うことができて、私は本当に幸せものだ」
そういうと、寅丸星はふところより宝塔を取り出した。
そうして、天上に高々と振り上げると、容貌を巨大な猛虎に変えて、一飲みに飲み込む。すると、全身黄金に眩く輝き、またたくまに身の丈、実に四丈(十二メートル)ほどもある巨大な虎に変貌したのであった。
ナズ:「な、なんということをするのか!! ご主人、気は確かか!!」
紫:「ふふふ。さて、どうしたことでしょうか。なるほど、どうにも平生の彼女を見ていると、今日のことは正気の沙汰とは思えませんね。あるいは、悪い妖怪に誑かされでもしましたでしょうか……」
ナズ:「く、き、貴様……」
紫:「さて、なんであれもう、戻れはしません。後はただ、二人の死合を見守るだけ。そうでしょう?」
ナズ:「ふん、死合? そんなものにはならないよ。矛を取ってのお遊びならばまだしも、ご主人が真の力を見せたんだ。あるのはただ、一方的な虐殺だけさ。後悔するよ、妖怪の大賢者さん……」
紫:「さぁ、果たしてどうかしら……」
遥かに見上げる怪物を前にして、魂魄妖夢の燦々と輝く眼はどうか!! それどころか、その口元には笑みすら萌しているように見える。
その妖夢が鷹揚に、毘沙門天が化身は、轟き声を上げて応える!!
妖夢:「まこと見事な有様よ。この勢力旺盛なるは如何。ただこうしてその前に立っているだけで、精一杯だ!!」
ナズ:「な、何が精一杯な顔だ!! コイツ、もしかして楽しんでいるのか? おかしいなんてものじゃない。分かるだろう? 格が二つ三つ違うんだ。勝てっこないんだよ。殺されてしまうんだよ」
紫:「なるほど、それも道理ね。では妖夢、問いましょう。かかるとき さこそ命も惜しからめ」
妖夢:「武士と生まれし 誉れ知らずば」
ナズ:「と、とんだ死狂いだ……」
妖夢:「もとより、死合ならば死ぬも当然!!」
紫:「ふふふ。達人への道ならば、絶命の境地を脱するくらいのことはしてもらわないと。一流とはいつの時代も、不条理を越える使命を帯びているものよ」
妖夢:「さぁ、死地へと赴いた後は、ただひたすらに死力を尽くして戦うのみだ。魂魄妖夢、推して参る!!」
そう掛け声を上げると、妖夢は疾風を纏って大虎へと斬りかかった。
全力での一閃、確かに敵を裂いた。が、その鋼の如き体毛に阻まれ、ほとんど傷をつけることもできなかった。
しかし、その事実に色を失うどころか、むしろ猛然と気焔を増して襲い掛かる妖夢。
紫:(見事なり!! 戦いの道は、一に心、二に力、三に技ともいわれるほど、心の強さが肝要になるもの。平生はどうであれ、死に挑んで冷静さを増すか、あるいは勇気百倍して燃え上がるような人物でなくては真の達人とはなり得ない。普段はちょっと気弱で幼いように見えるところがあっても、いざとなればこの威勢。なんと直く逞しき性か!! まこと、魂魄流の跡継ぎに相応しい……)
ナズ:「どういうことだ? 力の差は歴然。アイツは先ほどから威勢よく、幾度も踊りかかってはいるが、一度も傷らしい傷をつけるには至っていない。むしろ、何度も手痛い反撃を受けているくらいだ。それなのに、どうして攻勢が止まない!! いや、止まないどころか……どんどん、その勢いは激しさを増しているくらいだ!!」
紫:「簡単なことよ。これほどの力量差があるのだもの。次の一撃はいままでよりも重い一撃でなくては、死ぬ。まともな反撃の機会を与えても死ぬ。攻勢に出る暇を与えても死ぬ。死なないためには、前よりも優れた一撃を、続けて打ち出すしかないのだから」
ナズ:「な、なんだそれは!! そ、そんな状況、そんな状況……逃げるしかないじゃないか!!」
紫:「逃げても死ぬんだから仕方ないでしょう!! 窮鼠猫を噛む、よ。窮地に一生を見出すしかないの。まぁ、そんなに喚かないで、静かに観戦していなさい」
妖夢の攻勢は、まさに獰猛颶風(ぐふう)と呼ぶべき勢いで、鬼神が乗り移ったかのようであった。しかも、それにも関わらず、その技の多様であるために、同じ攻撃は二度用いることがないのであった。剣術はもとより、時には創術や斧術の応用技をも見せ、それに暗殺術をはじめとする諸種の体術を組み合わせるのだ。間合いの取り方、力の入れ方、回避の仕方、虚の衝き方……複雑に絡み合っていて、次の一手がほとんど予想不可能なのである。
これがために、寅丸星は反撃に転じかねていた。
凄まじい勢いと、巧みな技術に加え、魂魄妖夢の攻撃が、悉く急所を狙ってくるために、油断ならないのだ。得てして優位にある場合には、危険を冒すを好まないものである。それは当然の選択なのだが、その当然の選択を取るが故に、あまりにも多くの機会を失してしまっていることに、寅丸星は気がついていなかった。魂魄妖夢は、実のところ、寅丸星が無理矢理に攻めに転じてきたならば、相打ちにすることすらもできないほどに、格下の相手だったからである。しかしその実力差を、気魄によって埋めた、この魂魄妖夢こそ見事と讃えるべきであろう。
紫:「見事なり、魂魄妖夢。その勇姿、確かに見届けました」
その八雲紫が言葉と同時に、妖夢の膝がガクンと落ちた。気力・体力の限界が訪れたのだ。すなわち、「詰み」である。彼女はもはや、かろうじて地に突き刺さった剣で身体を支えている状態である。
その隙を、寅丸星が見逃すわけもなく、神機到来と飛び掛る。
寅丸星が右に横薙ぎ、魂魄妖夢は横転して地に臥した。
ナズ:「あぁ!! 勝負あった!!」
そのときである。
星:「ぐぉおおおおおおおお!!」
寅丸星が、雄叫びを上げて悶え苦しみはじめたのだ。
ナズ:「こ、これはどうしたことだ!!」
紫:「見事よ、妖夢!! これぞ魂魄流必殺の無明逆流れ!!」
魂魄妖夢の誘引の計である。
迫真の連撃から予想される限界を囮とし、寅丸星の攻撃を誘ったのだ。その攻撃に対し、回避しながらの一撃をあびせる技が、無明逆流れ……ある盲目の天才剣士が編み出した秘儀をも、魂魄流剣術は収めているのだ。
紫:「立て!! 立つのよ妖夢!!」
右腕をほとんど断絶させられた手負いの虎に対して、追い討ちをかける絶好の機会のはずだが、魂魄妖夢は臥して動けなかった。魂ごと浴びせかける一撃を、幾度となく放った後である。全身の筋肉がこれ以上の運動を拒絶したのだ。
その妖夢を見て、怒り心頭に目をぎらつかせるのは寅丸星である。
妖夢:(万事休すか……!!)
そう妖夢の諦観と、寅丸星の追撃とが交差した直後、遠く、遥か遠くより、空気を裂いて二人のもとへ迫り来る炎の塊があった。
大空には雲ひとつない。風はただ僅かに砂を巻き上げるのみである。にもかかわらず、どうしたことであろうか。雷鳴が轟き、鳴りはじめたのである。
あの火の玉は何であろうか? 隕石か? 魔弾か? それともやはり、雷なのであろうか?
いや、あれは……超人聖白蓮である!!
聖:「南無三!!」
そう、凄まじい掛声とともに、落星の如き勢いで飛び蹴りを寅丸に食らわせる聖白蓮。星はその場から一キロほど先にある岩盤に叩きつけられ、めり込んで動かない。聖白蓮は真の達人……人外の獣を蹴り飛ばし、彼方大岩にめり込ませるのは、人越の超人の業である。
それを目の当たりにした妖夢の驚き。
妖夢:(こ、これが……真の達人!! 達人の中の達人、命蓮寺の聖白蓮が本気の一撃か!!)
妖夢は驚嘆のあまり言葉を失った。そうして聖白蓮の姿を直視するだけで、身動きが取れなくなった。祖父を彷彿とさせるほどに凄まじい気合を感じるのだ。
聖:「はぁ……その姿は、決して暴かないと誓ったはずですが。困ったものですね、星」
そうして、妖夢を見る聖。目が合わさると、妖夢は全く呼吸ができず、ただただ意識を失わないように歯を食いしばるばかりである。
聖:「まぁ、星にキツクお灸をすえるのは後にしましょうか。それよりも……見事ですわ、魂魄妖夢。まさか、本気の星に手傷を負わせるとは。あなたもそろそろ達人の域かしら」
そう言う聖からは、先ほどまでの凄まじい気魄は感じられなかった。むしろ親しみやすい雰囲気があるのだ。こうして気を自由自在に操ることができるのもまた、達人の業である。
ナズ:「お、遅いじゃないか!! 聖」
聖:「これでも音速を越えるスピードで来たのですが、何はともあれ心配だったでしょうね、ナズーリン。しかし急いで来たおかげで、服もこんなになってしまって……困りました」
事実、音速を超えて来た聖の衣服は全て燃え尽きてちりとなってしまっていたのだった。
紫:「ふふふ。さすがは脱いでもすごいのね。肉体美もここまでいくと、いや、私も負けを認めざるを得ませんわ。さぁ、これをどうぞ」
聖:「あら、ありがとうございます。さすがに裸は恥ずかしいですから、助かります。しかしあなたのような美しい人に褒められると、私のような者でも嬉しく思います。しかし……ふふ、便利なのですね、その能力」
紫:「えぇ。大変、重宝しておりますわ」
聖:「さぞ、悪い企みも多く起こせることでしょうね……」
紫:「ちょっとした、悪戯くらいには」
ナズ:「あ、そうだ聖!! コイツだ、コイツがご主人をけしかけたんだ!!」
聖:「なにやら、事情がありそうですね」
紫:「別に。特別なことはありませんわ」
一触即発の雰囲気。しかし、そこに割って入るものがいた。
星:「彼女の言う通りです、聖。別に、この妖怪は関係していません」
ナズ:「ご主人!! 大丈夫なのか??」
星:「かろうじて。幸い、肋骨にひびが入って右肩が外れて右腕が骨まで断たれてしまって後は全身痣と切り傷だらけになるくらいで済んだみたいだ」
ナズ:「ぜ、ぜんぜん大丈夫じゃないじゃないか!?」
星:「それよりも聖。今回のことは、私が妖夢さんとの死合を熱望し、そうして禁を破ったのです。彼女は関係ありません。これは、私一人の問題です」
ナズ:「ちょっと待ちなよ、ご主人」
星:「いいんだ、ナズ。私は、妖夢さんと死合えてよかったと思っている。後悔なんてない。その思いに偽りがない以上、これは誰の意思でもない。私の意思で行ったことだ」
そうして、聖と星とは互いの眼を見合ってしばし動かなかった。そうしてしばらく、聖は溜息混じりに言う。
聖:「そう。哀れな畜生の性だこと。しかして阿弥陀の如是は畜生にも及ぶもの。過ちを責めても仕方ありません。これよりは、いっそうの仏道修行に励みなさい」
星:「はい!!」
そうして、妖夢と星は顔を見合わせ、互いに笑みをかわすのであった。
その、晴れ晴れとした二人の顔付きを見て、何の言葉も言い挟む余地があるわけもなく、ただただ、これが武門の交わりよと、思い知らされるのみである。
聖、星を担ぎ、ナズーリンとともに寺へと帰る。
三人を見送り、遠くに後ろ姿を見守る妖夢と紫。
紫:「よくやったわ、妖夢。絶命の危機。窮地に活を見出すの精神を、しかと見させてもらいました」
妖夢:「そんな……この度の死合、私は間違いなく敗北していました。これは負け戦です。そうしてそれは、戦う前から明らかでした。それなのに、正直なところを言えば、私は死を前にして喜悦を見出したのです。全然生死を度外視してしまったのです。こんなことは、もってのほかのことです。冷酷な死生を分かつ戦いを前にして、そんな感情は何の特にもなりません」
紫:「ふふふ。そうかしら? 事実、あなたはこうして、友軍の救援、あるいは敵軍の内乱に乗じて、敗北を引き分けにすることができた。これは、勝ちにも等しいことではなくて?」
妖夢:「それは、結果論というものです」
紫:「そうでもないのよ。絶望は、何も肯定的なものをもたらさないわ。それよりは、楽観過ぎるところがあっても希望のほうがよっぽど良い結果をもたらすものだわ。それに、世の中には、負けると分かっていても戦わなくてはならないときがあるものなのだから……まぁ、何はともあれ、欠点を大いに補って余りあるほどの長所を確認できた一戦でした。百戦にもまさる戦果があったと言えましょう。ご苦労さま」
妖夢:「ありがとうございます」
紫:「十番勝負、九本目。対、寅丸星戦。魂魄妖夢の勝利よ。さぁ、いよいよ十番勝負もおおとりになったわね。気を引き締めて、挑みなさい」
妖夢:「ハイ!!」
十 対 魂魄妖忌
十番勝負も、最後の一戦を残すのみとなった。日も暮れかかり、赤々とした夕焼けに今日一日を思い返す。
妖夢:(あと、一戦か。何の因果と思ったこの十番勝負であったが、思いがけず充実したものとなった。この十番勝負を乗り越えたということが、あるいは、私にとって、大変な記念になるかも知れない)
そんなことを思いながら、スキマに誘われ出でた先は、広さこそ白玉楼とは比べるべくもないが、こじんまりとしていて見事に整った庭園を持つお屋敷の中庭であった。
周囲を見渡し、庭の造りを見ると、妖夢は驚愕した。
妖夢:「こ、これは……間違いない!! この庭の造りは、お爺さま。お爺さまが造営なされたのだ」
紫:「如何にも。この庭を造ったのは、他ならぬ妖忌です」
妖夢:「も、もしや……もしや紫様!! お爺さまが、ここにいらっしゃるのですか!!」
紫:「さて、どうかしら……」
紫がものあり気な顔で庭園作りを見やると、妖夢は焦らされてしまって仕方がない。
妖夢:「紫様。もしや、もしやと思いますが……この十番勝負の最後の相手は、まさか、お爺さまなのではありますまいか!!」
そう、妖夢が紫に問いかかると、
妖忌:「全く。煩いヤツじゃ。そんな大声を出すでない。みっともないぞ」
そうたしなめる声がする。姿を現したのは、他ならぬ魂魄妖忌であった。
妖夢:「お、お爺さま!!」
妖忌:「煩いと言うたが聞こえなんだか? このたわけが。本当に、お前はふつつかな女じゃ」
妖夢:「う……申し訳ありません。しかし、お爺さまも悪うございます」
妖忌:「ほぉ? なんじゃ?」
妖夢:「急に家を出られて、それぎり便りもありませんでした。あんまりではありませんか」
妖忌:「なんだ、そのぐらいのことで喚き散らしおるのか。まったく、かしがましい。女子のそういう性が、わしは嫌いじゃ」
妖夢:「女だからとか、そういうのは関係ないではありませんか」
妖忌:「やれやれ。そう、噛み付くな。全く、静かにせい」
妖夢:「むぅ……」
そうして妖夢と妖忌が二人、久しぶりの談笑を楽しんでいると、紫は何も言わずに距離を置き、一人庭の趣を見て楽しみはじめ、気がつけばどこかに消えているのだった。
妖夢:「あれ、紫さまは?」
妖忌:「ふむ。お一人で、庭を見てまわっていらっしゃるのだろう。やれ、気を使わせてしまったかな」
妖夢:「……紫様も、お優しいところがあるのですね」
妖忌:「ハッハッハ。なかなか、お前も言うようになったな」
そう言われると、なんだか妖夢は気恥ずかしくなって顔を赤らめる。だがこうして、祖父との久しぶりの再会を楽しんでもいられない。どうしても、確かめねばならぬことがあるからだ。
妖夢:「ところで……お爺さま。もしや、と思って伺うのですが」
妖忌:「おう、なんだ」
妖夢:「もしや、お爺さまが、剣術十番勝負、最後の相手でありましょうか」
妖忌:「ふふふ……そうだ、と言ったら?」
妖夢:「……お戯れを。妖夢如きでは、お爺さまの足元にも及びません」
妖忌:「はてさて。どうかな。それに、だ。例え勝てぬと分かっていても、戦うより他にないときというのもあるものじゃ」
そういうと妖忌は、妖夢と距離を取り、真向かいに対峙するのであった。
妖忌:「妖夢。剣を抜け」
妖夢:「本気ですか……」
妖忌:「ふふふ、本気も本気じゃ。もし、お主が剣を抜かぬというのならば、わしが一太刀にお主を斬るまでのことじゃ」
そういうと、妖忌は太刀を取り、上段に構え妖夢に向かい合う。
その姿を見て、妖夢は二つの相反する考えが頭に浮かんだ。
妖夢:(この構え……間違いない。何度も見た、あの威風堂々たる上段の構えだ。しかし、お爺さまが剣を取る? おかしい。お爺さまは、お爺さまは……獲物を握ることなく、殺気のみで相手を昏倒させることすらできる恐るべき達人だ!! あの構え、確かにお爺さまと寸分違わぬが、太刀を持ったお爺さまと対峙して、私風情が気を確かに持てるわけがない!! もしや、これは、私を試してのこと? いや、あるいは……)
そう考え至ると、妖夢は全身から気を発した。例え妖忌に遥か及ばずといえでも、妖夢が覇気も達人の域に肉薄している。この武威を前にして、無反応でいられるものは、よほど死生を度外視したものか、遥か格上の存在だけである。
妖夢はこう考えたのである。
あるいは祖父は、妖夢がどれほど成長したのかを知りたいのではないか。ならば、何も剣を握る必要はない。気当りだけで、力量はうかがえるからだ。また、もしかすると、この祖父が幻であるかも知れぬ。そうであれば、なおさら、この気当りが勝負を明かす端緒となるだろう、と。
するとそのとき、「うっ!!」と妖夢の後方から、驚き慌てる声がした。これを妖夢が見逃すわけがない。
すぐさま反転し、剣の柄で強かに相手の胴を討った。
するとその目の前にいるのは、腹部を手で押さえて悶絶している、八雲紫の姿であった。
妖夢:「ゆ、紫様!! あ、あわわ。申し訳ありません。まさか紫様がお戯れにこのようなことをなされるとは……」
紫:「いたたたたた。参ったわ、妖夢。降参よ。ちょっと手を貸してちょうだい」
さっと紫の傍にかけよった妖夢だが、おや? と小首を傾げる。
妖夢:(紫様は身嗜みに大変気をつけられるお方で、特に香水には念を入れていらっしゃる。時には清水に香木を浸したほどの、にわかには分からないほどの薄い香水を付けられることもあるが、今日のように一日外へおいでの場合には、どちらかと言えば香りの強いものをお召しになさるのが常だ。しかし……その香りがしない)
奇妙に思った妖夢は、少し紫から距離をとって問う。
妖夢:「失礼ながら紫様。先日、幽々子さまがお求めになられた外来の品は、何でしたでしょうか?」
紫:「な、何を言っているの妖夢? そんなの、忘れちゃったわ。そんなことよりも、ホラ。お腹が痛くって立てやしないわ。痣になっちゃったかも知れない」
妖夢:「紫様はご聡明な方で、十年でも二十年でも前のことを、昨日今日のように覚えていらっしゃるお方です。それこそ、小さい頃の恥ずかしい話や人の失敗談を語ることが大好きなくらいに(霊夢にはそれで大分嫌われたというのに止めないくらいに)!! それが、先日幽々子さまがお求めになられたものを忘れるわけがありません。紫様に化けて、私を謀ろうとするあなたは何者ですか!!」
そう言われると、降参して姿を現すのは、封獣ぬえである。
ぬえ:「うう、もう少しだったんだけどなぁ」
そう言って、ぬえが目配せをする先にいるのは妖忌……であったはずの、二ッ岩マミゾウ。そう、十番勝負最後の相手は、魂魄妖忌に化けた二ッ岩マミゾウと、八雲紫に錯覚させた封獣ぬえなのであった(より正確に言うならば、マミゾウが自身とぬえを変化させて、その変化が見破られないようにぬえがその能力を用いて細かい部分を誤魔化したのである)。
マミゾウ:「うむ、うむ。わしら二人の力をあわせても騙すことができぬとあらば、これはたまらん。降参じゃ」
そうして、勝敗が決すると、八雲紫がスキマ開いて出迎えに来た。
あらためて周囲を見回すと、なるほど、良い屋敷・良い庭園に違いないが、もしこれが本当に祖父の手によって造営されたとなると、いかにも手緩い。悪くはないが、どこか真に迫るところがない。あるいは意外性がない。厳格な妖忌は、確かに奇抜な発想をすることはないが、その博識と賢察を働かせ、非常に有名な型の模倣を、意外な場面で用いたり、あるいはそこに意外な調整を加えるのである。そこに、驚きがある。活眼させられ唸らされるような、そういう見事さがある。
それが、この庭にはない。だから、緊張を感じない。よくよく眺めて、ハッとさせられる何かがなくては、これを祖父の手によるものとは到底思えないのだ。
妖夢:(所詮、封獣ぬえが謀って見せた幻影か……)
そう思うと、どこか空しい気持ちがする一方で、やはり、祖父の偉大さを思わざるを得ない妖夢であった。
紫:「しかし、化けた姿だったとはいえ、私に暴力を振るうなんて……酷いわ、妖夢」
妖夢:「も、申し訳ありません……」
紫:「恨まれてるのかしら……」
妖夢:「そんなことありませんって!!」
剣術十番勝負。対 二ッ岩マミゾウ・封獣ぬえ。魂魄妖夢の勝利。
十一 対 魂魄妖夢
紫:「さて、これで十番勝負、全てに勝利したわけね。見事だったわ、妖夢。魂魄流の真髄、しかと堪能させてもらいました」
妖夢:「いえ、そんな。私などはまだまだ至らぬばかりで……」
紫:「ふふふ、謙遜は必要ないわ。此度の試練は、そもそも妖夢が達人としての域に達しているかどうかを試す儀式だったの。十人の猛者に勝利した後に、免許皆伝の証として、これを渡すようにというのが、先代妖忌からの言付けなのよ」
妖夢:「そ、そうだったのですか」
紫:「えぇ。さぁ、どうぞ受け取りなさい。これで貴方は、魂魄流剣術の師範代。晴れて達人を名乗れるようになったのよ」
妖夢:「ははぁ!! 慎んで、ちょうだいいたします」
紫:「うふふ。妖怪の大賢者、八雲紫が確かに授けました。これより、努、魂魄流剣術師範代の肩書きの重さを忘れるなかれ!! ……まぁ、とにかく、おめでとう」
妖夢:「ありがとうございます」
紫:「さぁ、それでは、早速幽々子のところへ帰りましょうか。私も、何が書かれているのか、楽しみだしね」
妖夢:「はい!!」
そうして、八雲紫と魂魄妖夢は、白玉楼へと戻ったのだった。
白玉楼。
そこには、一人庭に咲く白梅の香を、風伝いに楽しむ西行寺幽々子の姿があった。
八雲紫と魂魄妖夢の帰り来るのを見て言う。
幽々子:「妖夢、お帰りなさい。その様子だと、見事に十番勝負、全て勝利して来たようね」
妖夢:「はは!! 魂魄妖夢、確かに勝利して参りました。ここに、その証をご献上申し上げます」
幽々子:「確かに。妖夢、此度の働き、見事でありました。貴方の功績は格別にして、広く幻想郷中に、西行寺家の名を知らしめることになりました。また、魂魄流剣術が、名立たる剣術流派の中でも白眉中の白眉であることを明らかにいたしました。歴代の師範代も、さぞや喜んでいることでしょう」
妖夢:「勿体無いお言葉、恐悦至極と存じ上げます」
幽々子:「妖夢、これは褒美として遣わします。受け取りなさい」
妖夢:「慎んで、頂戴申し上げます」
そうして、免許皆伝の証は、再度妖夢の手に渡されることになった。
幽々子:「これよりあなたを、兵衛督(ひょうえのかみ)に任じます。またこれより、西行寺の姓を名乗ることを許します。魂魄は由緒ある家柄ではありますが、まだあなたを若輩者と侮って、その命に従うを潔しとせぬ者もありましょうから」
妖夢:「はは!! 格別のお許しを賜りまして、恐悦至極と存じ上げます!! これより、西行寺兵衛督妖夢として、主の名を穢すことなきよう、いっそうの精進を積み重ねてまいる所存にございます」
幽々子:「期待していますよ。さぁ、それでは、早速巻物をお読みなさい。そうして、教えてちょうだい。妖忌が、貴方にどんな言葉を残したのかね。私も、興味があるんだから」
妖夢:「はい、それでは……」
そうして、巻物の封を解くと、そこにはただ一文、次の言葉が記されていた。
「師はたづきなり。たどり行くには、いかで我がさす枝折のほかに習いやあらん」
妖夢:「こ、これは……」
幽々子:「うふふ、如何にも妖忌らしいわね」
紫:「もうちょっと、何か言葉があっても良いのにね」
幽々子:「あら、そんなことないわよ、紫。これで良いのです。妖忌はこれで、ね……」
紫:「そうなの? まぁ、幽々子がそういうなら、そうなのね」
そういう紫と幽々子のかたわらで、妖夢は困り顔で考えるばかり。
幽々子:「あら、分からないかしら? 妖夢?」
妖夢:「……つまり、剣術の道において、師となる人はただその標を示す存在でしかない。ですから、後は我流で道を極めよと」
幽々子:「あら、もっと広く見ても良いのよ。妖忌は、もう妖夢は充分に鍛錬を積んだのだから、後は妖忌の背中を追う必要なんかなくって、自分なりの境地を目指しなさいって、そう言ってくれてるのよ」
妖夢:「そうでしょうか? 私は、また甘えるなと叱られているような心地がします……」
幽々子:「うふふ。それはまた、どうして?」
妖夢:「おじいさまは、大変厳しい方でしたから。ですから、こう、さらに魂魄流を発展させるために研究と精進を欠かすな!! とか、言われてるような……」
幽々子:「それはね、妖夢。言葉少ないのは、妖忌なりの優しさなのよ。男の人は、不器用だから。一つ一つ、手解きを与えるよりは、自由に創意工夫を働かせて修練できるように、ただ威厳のみで導こうとするのよ。それしかできないの。だから、敢えて道半ばで、妖夢に後事を託したのよ」
妖夢:「……なんだか、実感が湧きません」
幽々子:「まぁ、そういうものよね。妖夢は本当は、おじいちゃんに甘えたかったんだもんね」
妖夢:「そ、そんなことは……」
幽々子:「さて、事の真偽はさておいて、今日はすっかり疲れたでしょう? そうね、久しぶりに、私がそばでも打ってあげるわ。ぱぁっと宴会というのも良いけど、貴方、そんな元気もないでしょう? 紫も、食べて行くわよね?」
紫:「えぇ。久しぶりに、ご相伴に預かることにしますわ」
そうして、幽々子が自ら台所に立って生そばを打ち、紫が「ちょっと、お着替えしてくるわね」と言い残して八雲の邸宅へ去って後、妖夢は一人静寂たる白玉楼の広大無辺な庭を見るに、何か、実感を伴わない、不思議な落ち着き(あるいは静けさ)を感じるのだった。
今まで、必死になって追いかけていたものが、ある日ふと、消え去ってしまった、そういうあっけなさに対する、戸惑いとでも言うべきものである。
妖夢は、何だか夢でも見ているような気持ちで、巻物を再度、開いて見た。
やはり、ただ短く、「師はたづきなり……」と書かれただけで、他には何も書かれていない。
(それだけ? それだけなのか?)
そういう気持ちが芽生えるのは、幽々子の言う通り、甘えたい気持ちから来るものなのだろうか。それとも、当然の疑問により生じる考えなのだろうか。あるいは今日一日が、あまりにも激しすぎたためのギャップから来る戸惑いなのだろうか。
そういう自問を交えながら見る巻物だが、その巻末に、小筆にて書かれた二句の証道歌を見つける。
「江月照松風吹 永夜清宵何所為(こうげつてらしせうふうふく えいやせいしょうなんのしよゐぞ)」
唐の永嘉玄覚、禅宗の本義本旨を説いた七言百六十六句の詩のうちの百三句と百四句。
「月は明るく川の上を照らし、さわやかな松風は吹いている。この永い夜の清らかな景色は何のためにあるのか。何のためでもない、天然自然にそうなのである」
この一句を添えて置かざるを得なかった、祖父の不器用な優しさをみて、ぐっと熱いものが込み上げてきた妖夢は、やにわに庭に飛び出して、箒を握り、歯を食いしばりながら涙を堪えた。
しかし、それも堪えかねて、佇立瞑目すること暫し、潸然として涙下った。
魂魄妖夢が、心の底から認めて欲しかった人に、はじめて認めてもらえたときである。
そうして、例え、己の道を進めと言われても、やはり妖夢が後を追うべきは、祖父より他にはないとの思いを確信したのであった。
妖夢はこのとき、幽々子に暇乞いをし、妖忌が後を追い、その生涯をとして会得したる武芸の真髄を、改めて請おうと決心した。これが、はじめて妖夢にとって、師や主の意向に背き、己の意思を貫こうとしたときである。あるいは、そのことが、本当の意味における、免許皆伝の証だったのかも知れない。
跋
魂魄妖夢、十番勝負を終えて翌朝。朝餉を終え、一人庭を眺めながら煎茶を楽しむ主のもとへと参り請う。
妖夢:「幽々子様、手前勝手を申し上げて恐縮なのですが、暇乞いをしとうございます」
幽々子:「あら、どうして?」
妖夢:「師に、最後の教えを請うためであります」
幽々子:「でも、それは困るわ。貴方がいなくては、家内のことをするものがいなくなるもの」
妖夢:「冥界の民より集ってくださいませ」
幽々子:「でも私、身の回りに沢山の人がいると、落ち着かなくて嫌よ」
妖夢:「どうか、我慢をしてはいただけませんでしょうか」
幽々子:「う~ん……そうねぇ。小間使いに、橙ちゃんでもよこしてもらおうかしら。ご飯くらいは、そうね。たまには、自分で作るのもいいかもしれないわね。でも、お庭のことはどうしましょうか」
妖夢:「男衆から、集ってください」
幽々子:「殿方を入れたくはないわね。う~ん……そうだわ。あの蓬莱人なんか、伊達に長生きしてないでしょう。庭の手入れくらい、できそうね。本当は嫌だけど、仕方ないかしら」
妖夢:「それでは……」
幽々子:「あぁ!! 剣術指南役!! どうしましょうか?」
妖夢:「う、確かに……」
幽々子:「そうね。そうだわ!! 藍に来てもらいましょう。ついでに、その日は藍に家事をしてもらうことにするわ」
妖夢:「しかしそれでは、紫様がお認めにならないでしょう」
幽々子:「大丈夫よ。その日は、紫にも来てもらうことにするから」
妖夢:「本当に大丈夫でしょうか?」
幽々子:「えぇ。大丈夫よ。でも、一つ困ったことがあるわ。あなたを兵衛督に異例の大抜擢をしちゃったのに、すぐいなくなるなんてトンでもないことだわ」
妖夢:「存じております」
幽々子:「存じているのに行っちゃうの?」
妖夢:「ハイ。どうしても、行かねばならぬのです」
幽々子:「でもそれでは、世間が納得しないでしょう。それに、魂魄の家名を汚すことにもなりますよ? もちろん、西行寺の名も」
妖夢:「それを言われると、妖夢は困ります」
幽々子:「そうでしょう? そうねぇ。困ったわねぇ。あぁ、そうだわ。うん。妖夢、これは兵衛督としての最初の仕事よ」
妖夢:「ハイ? なんでしょうか?」
幽々子:「妖忌ったら、虎符(軍の司令官が持つ銅製の割符)を持ったまま出て行っちゃったのよね。あれがないと、西行寺家の軍司として、妖夢の面目が立たないでしょう? だから、これは命令よ。妖忌から、虎符を取り返して来なさい」
妖夢:「は、はい!! それでは、大命を拝し、慎んでお受けいたします」
幽々子:「えぇ。あんまり遅くならないようにネ。気をつけていってらっしゃい……」
そう言って、旅支度をするため、部屋へと戻る妖夢。
その姿を見送る幽々子。
幽々子は、優しき面して一人ごちる。
幽々子:「さて、ようやく妖夢も、晴れて一人前になったって感じかしら。良かった良かった。問題はお仕事のほうだけど、まぁ、どうせ兵衛督って言ったって、ほとんど近衛府にお仕事持ってかれちゃってて、妖忌がいなくなってからは私がずっと兼任していたくらいだし、なんとかなるでしょう。でも……はぁ、どうもしばらくは、仕事慣れしない人がたくさん来て、身の回りが落ち着かなさそうねぇ。これも仕方のないことと、諦めるしかないかしら」
そうして、しばらくは騒がしくも少し寂しい毎日を、西行寺幽々子は送ることになった。
月見れば 人ぞ恋しき その人も 同じ思いに 月ぞ見るらむ
例え遠く離れていても、この月の下、同じように互いを思って月を見ているに違いない……そう、慰め慰め、西行寺幽々子は魂魄妖夢の帰る日を待ち望むことになるのであったが、それは決して、彼女一人だけではなかったのである。
序
一 対 鈴仙・優曇華院・イナバ
二 対 ミスティア・ローレライ
三 対 古明地こいし
四 対 比那名居天子
五 対 射命丸文
六 対 フランドール・スカーレット
七 対 十六夜咲夜
八 対 藤原妹紅
九 対 寅丸星
十 対 魂魄妖忌
跋
妖夢無双 ~剣法十番勝負~
序
剣法十番勝負。魂魄妖夢の長い一日は、妖怪の大賢者、八雲紫の暇つぶしにはじまる。結界の修復、紛争の調停、賢者たるものの務めを終えて、久方ぶりの休日を得た彼女が、今日一日の暇を如何んせんと考えたときに、真っ先に思い浮かべたのは旧知の親友が姿であった。早速、白玉楼へとスキマ開いて向かい出でれば、縁側にて一人、茶に庭景色に遊ぶ友、西行寺幽々子の姿があった。
幽々子:「あらぁ、紫じゃない」
紫:「ご無沙汰ね。どう? 最近何かあった?」
幽々子:「連絡もなしに突然やってくるところをみると暇だったのねぇ(忙しくても、頼りくらいはよこしてくれるものじゃないの? =最近、かまってくれないから、幽々子寂しい……チラ)」
紫:「ご挨拶ね……(う、これはちょっと、疎遠になったのを怒ってる? ご機嫌とっておかないとダメかしら?)」
そうしてしばし、八雲紫があれこれとこころ配らせて身辺のことを語り、釈明し、また彼方へ問わば、幽々子は紫の狼狽する姿に満足したと見えて、微笑携えて言う。
幽々子:「最近は特に何も無いけど……強いて言うなら、これかしら?」
そうして、懐より取り出だしたるは一本の巻物。
紫:「何かしらその巻物は?」
幽々子:「そぉねぇ。そうだわ。この巻物、紫に預けるわ。あなたなら、きっと面白くできるでしょうし(面白いことをしてちょうだい。そうしたら、許してあげる)」
紫:「あら、いいの?(もうちょっと、イジワルされちゃうかと思ったんだけど……)
幽々子:「いいわよ? (まぁ、あんまりイジワルするのもかわいそうだしね)」
そうして西行寺幽々子、左の人差し指を口元へとやおらそえ、真面目て言う。
幽々子:「ただし、中身は見ちゃだめよ。コレの中身を最初に見るべき人物はもう決まっているのだから」
紫:「へぇ、面白そうね。話を聞かせて、幽々子……」
はてさて、このような経緯から八雲紫に託されたこの巻物、実は魂魄妖夢の祖父、妖忌が書き残したという巻物である。彼の言い残したことには、まずこの巻物を明らめるべきは妖夢であるとのこと、またその際にはこの巻物を見るに相応しい時期を選ぶこと、以上の二つであった。
すなわちこの度、西行寺幽々子は、その時期が来たかどうかの選定を、八雲紫に託したのである。
もちろん、多少の愉悦を観る者にもたらす選定を、である。
その意を察して、八雲紫は(悪)知恵を働かせる。
紫:「そうね。小細工を弄するより、むしろ王道の計らいをしたほうが良いでしょう。そのほうが、妖忌の意にも適いそうだし、……ふふふ、やっぱり花火は盛大に打ち上げるに限るしね」
そうして、八雲紫は、剣術十番勝負を考案し、その下準備のために、式を遣わせて刺客に文をやる。
一方、そんなことになっているとは露も知らない魂魄妖夢は、今日も一人せっせと、広大な白玉楼の庭の手入れに精を出しているのであった。
一 対 鈴仙・優曇華院・イナバ
八雲紫のスキマに誘われて、魂魄妖夢が出た先は、猛々しき竹の林立すること隙間無い幻想郷の綿竹。迷いの竹林、そこであった。
妖夢:「ここは……迷いの竹林ですね」
紫:「一つ目はここに送っておいたわ。カケラはそれぞれ、十人の手練れに渡してあるから、一人一人倒していけばイヤでも集まるって寸法よ。まぁ、十人と言っても人じゃないのがほとんどだけど……(ニヤニヤ)」
妖夢:「やっぱりそんなことだったんですね……(はぁ、どうしてこのお方は、何でも面白おかしくしないと気がすまないのでしょうかねぇ)」
紫:「ほら、そんなこと言っている間に向こうから来てくれたみたいよ」
そうしてやってくるのは、迷いの竹林にあって永劫の時を刻む(正確には、「永劫に時を刻まない:永遠の静止状態」に「あった:現在は時を刻むようになっている」)月人の住まう館、永遠亭の住人たちであった。
一人は、八意永琳。その傍らにいるのは、因幡てゐ。そうして先頭を進み来るのは、鈴仙・優曇華院・イナバである。
鈴仙:「呼び出しておいて挨拶もないのね。ちょっと失礼なんじゃない?」
紫と妖夢をキツイ態度で出迎える鈴仙。しかし他の二人は、まるで紫の非礼に気も留めていない様子。長生きをしている者は、多少の無礼も意に介しない。また、長い生に飽きているため、このような暇つぶしを歓迎するものなのである。
さて、敵と相対することになった妖夢である。
だがどこか、気乗りしない彼女はこんなことを思ってしまう。
妖夢:(……というか、あの人スカート短すぎませんか? 見えちゃいますよ。どうしちゃったんでしょうか)
紫:(ふふふ。若さよ、若さ。見られてキャ~って言うのも楽しいワケ。わかる?)
妖夢:(はぁ。そうなんですか?)
紫:(見て御覧なさい。こうやって。ホラ!! まだ三センチは短くできるわ)
鈴仙:「ギャ~!! な、何すんのよ!!」
妖夢:(どう見ても嫌がってますけど……)
永琳:「ふふふ。うちのかわいい弟子をいじめるのは、そのくらいにしておいてあげてちょうだい」
紫:「あら、ごめんあそばせ」
てゐ:「いい写真が撮れたわ。よし!! 姫様にも見せてあげないと!!」
鈴仙:「ちょ、ちょっと!!」
永琳:「クスクス。面白いわね。何事も諦めが肝心よ、鈴仙」
鈴仙:「うう……ひどい」
永琳:「さてさて、話は聞いているわ。要は、あなたがばら撒いたこのカケラを、そこの庭師さんが集めている……ということで良いのよね?」
紫:「……ええ」
さて、話はこうである。
まず、八雲紫は魂魄妖夢に、先代の書き残した巻物があることを伝え見せた。そうして、その場で巻物を、十個のカケラに分割してしまったのだ。それをスキマにあらよっと放り込んで、「さて、探しに行きましょうか(微笑)」である。妖夢のほうも、「なるほど、分かりました。また、面倒なことに巻き込まれたのですね!!」と、案外簡単に了解(諦観)して、この通り、十番勝負に向かうことになったのである。
永琳:「なら、とっととはじめましょうか?」
鈴仙:「はじめるって、何をですか? お師匠様」
永琳:「単純な話よ。このカケラを相手は欲しがっている……なら、渡さないようにしないとね」
鈴仙:「なるほど! そういうことでしたら、こちらは数で勝っています。そのカケラが何なのか知りませんが、決して渡しはしません!!」
永琳:「何をいっているのウドンゲ。あなたが相手をするのよ?」
鈴仙:「え?」
永琳:「向こうはあの庭師一人で勝負にくるつもりよ。ならこちらも、無粋な真似はできないでしょう?」
鈴仙:「……そうですね。例え一対一でも負けるなんてことは有り得ないことですもの」
永琳:「そうよねぇ。あなたは私の弟子なんだからね。もし、仮に負けたりしたらどうなるか……よく分かっているものねぇ」
鈴仙:「……(え? あ、あぁ。あ~、ですよねぇ。拷問ですよねぇ)。ハイ、オシショーサマ。オイ、カカッテコイ!!」
妖夢:(あの人も大変そうだなぁ……)
そうして存外暢気に構えていると、八雲紫がたしなめて言う。
紫:「いいこと、妖夢。今回は弾幕勝負じゃないわよ。文字通りの真剣勝負。命を賭しての死合……」
紫の言葉に、むしろ妖夢は落ち着いた。
妖夢:「……心得ております」
対照的なのは、月のウサギである。
鈴仙:「ちょっと!! 真剣勝負だなんて聞いてないわよ!!」
永琳:「ウドンゲ。あなたはあなたの獲物で勝負に挑めばいいのよ」
鈴仙:「え? よろしいのですか?」
ニヤリと微笑み、懐より取り出だしたるは漆黒の自動式拳銃。鈴仙は冷たくまた見下すようにして言う。
鈴仙:「困ったわ。それじゃぁ、勝負にならないわね」
虎視眈々と微動だにもせず応じる妖夢。
妖夢:「随分な物言いですね。月の兎だか何だか知りませんが、飛び道具に臆することなどありません」
鈴仙:「あら。半人前風情が一丁前の口を利くのね!!」
拳銃にマガジンを装填しながら、不適に笑みを携える鈴仙。
鈴仙:「なら、余計な気遣いは無用よね。あなたの半霊共々、あの世に送り返してあげるわ」
二人を尻目に、涼しげな顔で紫は言う。
紫:「妖夢。分かっているわね? 相手は殺す気……こちらは決して殺してはなりませんよ」
妖夢:「承知……」
鈴仙:「クッ!! 馬鹿にしないでくれる!!」
永琳:「そのように冷静さを欠いていては勝負になりませんよ、ウドンゲ」
鈴仙:「うっ」
永琳:「まぁ、大概の傷なら何とかしてあげるから、どちらも遠慮せずやっちゃいなさいな」
鈴仙:(うぇぇ……)
そうしてまた、決闘者を尻目に笑い声をあげるのは、八意永琳と因幡てゐ。
何だか毒気を抜かれてしまって、少し拍子抜けした鈴仙だったが、果たしてそれが、吉と出るか凶と出るか。
鈴仙:「ねぇ、てゐ。もしかして師匠、私の緊張を解くためにわざと……」
てゐ:「ん? ……はぁ、何言ってるの鈴仙。 ハハハハ!! ナニソレ? ジョウダン? 私を笑わせたって勝負には勝てないんだからね??」
鈴仙:「……だよねぇ」
てゐ:「ホラホラ、それよりも勝負だよ。相手さん、やる気だよ」
鈴仙:「分かってる……」
両者対峙して距離をうかがう。
魂魄妖夢は、楼観剣を右手に縦て構え、腰を落とし、左手は前方に置き、重心のバランスを取る。縦に構えた剣を通して、彼我の間合いと発射される銃弾の筋を予測しているのだ。当然、鈴仙の身体の動きと目線から、いつ、こちらのどの部位を狙って引き金を引くのかも、見通している。
鈴仙はカチャリっとスライドを引くと、ゆっくりと拳銃を構え、目当てに照準する。その刹那、引き金を引く。何万回と繰り返した動作である。悠長に狙いを定める必要などないのだ。
しかし、瞬時の発砲でも、狂い無き連続射撃でも、妖夢が疾走はとらえられない。
鈴仙:(は、速い……)
マガジンに込められた弾丸の全てを使い切るまでもなく、妖夢の間合いに入れられてしまい、剣檄一閃、勝敗は決した。
右からの払い抜きより残心を終えて刀を鞘に納める。
キンっと音が響くと同時に、鈴仙の衣が散り散りと破れる。
鈴仙:「ぎゃぁあ~!!」
紫:「お見事!! 斬られた兎の毛だけが風に吹かれた様に舞う……これすなわち吹毛剣なり……」
鈴仙:「と、録るな~!!」
鈴仙の叫び虚しく、ばっちり姫様のお土産をこしられるてゐと永琳。
てゐ:「ウサ耳にネクタイ、ニーソックスで裸。しかも場所は竹林とあれば、なんだかよく分からないけれども撮ってしまいたくなるのが人情というものだよ……うん、いい仕事した!!」
永琳:「この企画物な感じがまたおつね……」
鈴仙:「し、師匠まで、ひどい……」
バッチグーのサインを出して応じる永琳とてゐ。
たまらずたじろぎ身体を隠す鈴仙。
そんな三人の光景を尻目に、紫と妖夢は一戦を振り返る。
紫:「剣士の死合は薄皮一枚の差で決するわ。あなたは誰とやり合っても滅多に遅れをとらないわね」
妖夢:「はぁ。太刀筋の見切りのことですか? それならば大分前に習得しておりますが……って、何を言っているのですか? 紫様」
紫:「ふふふ。気分よ、気分」
永琳:「気分でことが運ぶんだから暢気でいいわね。こっちはあなたと違って忙しいのよ?」
紫:「アラ。ごめんなさいね。でも、律儀にお付き合いいただいたようで……どうもありがとうございます(ぺこり)」
永琳:「まぁ、面白い画も録れたし。これはこれで……ねぇ?」
てゐ:「ねぇ?」
鈴仙:「ちょ、ちょっと!!」
紫:「それじゃ、次のカケラの場所まで。行きましょうか? 妖夢」
妖夢:(みなさん、好き勝手に人で遊ぶんだから、酷いものです……はぁ、仕方ありません)
妖夢、長息をついて答える。
妖夢:「こうなったら、最後までお付き合いいたしますよ」
紫:「そうこなくっちゃ♪」
剣法十番勝負。一本目、対鈴仙・優曇華院・イナバ。魂魄妖夢の勝利。
二 対 ミスティア・ローレライ
紫:「さて、妖夢。次の相手だけど、あなたにとっては、ちょっとした因縁の相手よ」
妖夢:「因縁の相手? さて、誰でしょうか。もしかして……霊夢?」
紫:「ふふふ、ちょっと違うわね。まぁ、行ってみれば分かるわ」
妖夢:「はぁ。分かりました。そうやって一々盛り上げて楽しんでらっしゃるのですね。よく分かります」
紫:「妖夢、考えてることが口にでちゃってるわよ……」
紫のスキマに誘われて、出た先に待ち受けているのは、ミスティア・ローレライ。夜雀の妖であった。
ミスティア:「うふふ、ようやく来たわね。待っていたわ。以前の恨み、ここで晴らしてあげる」
妖夢:「あ~……あの、どちらさまでしたっけ?」
ミスティア:「永夜異変の時に、貴方たちに酷い目にあわされた夜雀よ!!」
妖夢:「あぁ。思い出した。大した力量もないのに、邪魔をしようとした愚かな妖怪ですね」
ミスティア:「言ってくれるじゃないの……悪いけど、手加減はしないわよ」
妖夢:「もちろん。私は……そうですね。夜でないということで、多少あなたに不利ですから」
そう言って、妖夢は二振りの剣を鞘ごと取り、その場に投げ置いたのだった。
ミスティア:「ははは……人間風情が、嘗め腐って。良いわ、殺してあげる。この爪で、無残に切り刻んであげるわ!!」
妖夢:「どうぞ、できるようでしたら。ちなみに私は半分幽霊ですが……」
そう妖夢が言い終わる間も無く、ミスティアは空高く飛び上がり、鋭い爪をいっぱいに広げ、妖夢めがけて急降下する。決闘の場は開けた草原。飛ぶ鳥を邪魔するものなどはない!! 妖夢はミスティアが疾風の突撃を、瞬発力を頼りに、寸前で回避する。左に、右にと、跳び避ける妖夢。美しくまた悠然と舞い、しかして蜂のように刺し穿つミスティア。
ミスティア:「ハハハ!! 避けるばかりで、一向に攻勢には出られないようね。妖怪を嘗めた代償よ。死で償いなさい!!」
妖夢:「流石は鳥類。空中戦はお手の物と見えます」
ミスティア:「褒めたって、手心は加えてあげないわよ!!」
妖夢:「えぇ。是非とも全力で来て下さい」
ミスティア:「望みどおり、次の一撃で葬ってあげるわ!!」
そうして、ミスティアが一際高く飛び、一際速く降下して、妖夢の首を刎ねんと狙い定めて来る。風を裂いて来る突撃。そのミスティアに向かい、妖夢は近くの大石を足掛かりにし、大跳躍で飛び掛る!!
紫:「!! あれは!!」
空中でミスティアに掴みかかり、体勢優位に地面へと落下する妖夢。
ミスティア:「ぎゃぁ!!」
巻き上がる土煙。そこには、頭から地面へと落下したミスティアと、落下の直後、反動を利用して別地点に着地を決める妖夢の姿があった。
紫:「お見事!! これほど華麗な飯綱(いづな)落としは、今まで見たことがないわね」
妖夢:「大丈夫ですか?」
ミスティア:「きゅうぅ……」
紫:「ふふふ。しかも、落下の直前で、半霊をクッションにして敵を庇うとはね……」
妖夢:「まぁ、こちらは殺さない前提でしたし」
紫:「ほどよい運動にはなったかしら? 長い十番勝負、さて、次からはこう簡単にはいかないわよ……」
妖夢:(あんまりそういうのはご遠慮申し上げたいのですけどね~)
剣法十番勝負。二本目、対ミスティア・ローレライ。魂魄妖夢の勝利。
三 対 古明地こいし
紫のスキマに誘われて、出でたその先は薄暗い地底湖。あたりを見回すと、不気味に発光する石々、巨大な鍾乳洞、水の滴り落ちる音と、どこからか吹いてくる冷たい風ばかりの奇異なる世界が広がっていた。
妖夢:「ここは、もしや地底?」
紫:「えぇ、その通り。ここは秘境の地、地底にあってもさらに秘所。どう? こんなところ、今まで見たことないのではなくって?」
妖夢:「確かに。なんとも、不思議なところです……て、紫様、どうして出てこられないのですか?」
紫:「いえね、ホラ、ここは地底だから。あんまり、あからさまに私が行き来するわけにもいかないでしょう? 一応、私にだって体裁というものもあるのよ」
妖夢:「はぁ。今更という気もしなくはないですが、そうですね。えぇ、良い心がけだと思います」
紫:「あら? ありがとう。妖夢に褒められちゃったわ♪」
妖夢と紫が談笑していると、遠くからこだまするのは童女の高くかわいらしい声。
さとり:「ふふふ。楽しそうで良いことね。この場所もお気に召していただけたようで、幸いだわ」
妖夢:「あなたは?」
さとり:「私は地霊殿の主である、古明地さとりよ。あなたとは、はじめて顔を合わせるわね。名前は、魂魄妖夢。そう、西行寺家の庭師をしているのよね。そこの妖怪から聞いたわ」
妖夢:「はい。お初にお目にかかります。魂魄妖夢です。よろしくお願いします」
さとり:「こちらこそ。それで……なるほど。もう、二人と戦って来たのね。まぁ、大分余裕の勝利だったようすね。ふふふ、安心なさい。今度はそう簡単には行かないから」
妖夢:(?? どういうことだ。何も言っていないのに、勝手に得心しているぞ)
さとり:「ふふふ。私はさとり妖怪。人の心の内を読むことのできる妖怪なの。今日、あなたがどんな戦いをしてきたのかくらいは、その思念を探れば簡単に分かるのよ」
妖夢:「なるほど……では、次の相手はもしや……」
さとり:「いえ、次の相手は、私ではありません。私ではなく……そう、私の妹が相手をいたします」
妖夢:「あなたの妹君が?」
さとり:「えぇ。でも残念ですが、私と違ってあなたの心は読めません。まぁ、もっとも、読めないかわりに、なかなか厄介な力を身につけていますが……」
紫:「えぇ。どうもそのようね。さて、それでは妖夢。準備は良いかしら?」
妖夢:「はい。いつでも。それで、肝心の妹君は?」
紫:「あら? もう既に、あなたのすぐ近くにいるわよ?」
妖夢:「え!?」
さとり:「ふふふ、まずはこいしの姿を見つけることが、最初の試練というところかしら……」
妖夢:(なんだと??)
紫:「それでは、勝負開始!!」
妖夢:(一体……どういうことなのだ。まるでどこにも姿など見えないし、気配も感じられないが。とにかく、勝負がはじまったのは間違いない。しかし、本当にどこにも敵の姿が見られない……そうか!! 視界の外からの攻撃……例えば遠くからの射撃。いや、あるいは、気配を隠しての……)
そのとき、妖夢の第六感が危機を察知し、とっさに位置を変えると、先ほどまで妖夢のいた場所には、一本のクナイが地面に突き刺さっているのであった。
妖夢:(あ、危なかった!! しかし、これで分かった。敵は遠方からの攻撃ではなく、気配を消しての暗殺を狙っているのだ。しかし、先ほどの攻撃、一瞬違和感を覚えこそしたものの、殺気はまるでなかったぞ。この敵……相当な手誰に違いない!!)
妖夢は周囲に隈なく気を配り、一際大きく聳え立つ大石柱に背中を預け、不意打ちに備えた。
妖夢:(これならば背後からの一撃もし得まい。一度視認しさえすれば、決して逃さぬのだが……うっ!!)
瞬間、妖夢は前方に大きく跳ね飛び、二度三度と地面を転げ滑った。そうして、先ほどまで自身のいたところを見やると、そこにはクナイが二本地面に、追うようにして刺さっているのだ。
妖夢:(な、なんだと!! しかも、あのクナイの刺さった角度。恐ろしいことだが、敵はあの石柱の裏から攻撃してきたのだ。一体どうやって、私の警戒を逃れ、背後に回って来たのか。あるいは最初から、敵はあの石柱の裏にいた……ばかな!! それこそありえない。それならば、私が気配を察知しているハズだ……)
さとり:(ふふふ、あなたの動揺がよく伝わって来ますよ。しかし、本当に優れた剣士殿だこと。内面ではこれほど動揺していながら、その表情はいたって冷静そのものなのだから)
紫:(苦戦しているわね、妖夢。地底の主が妹、古明寺こいしは無意識の支配者。一切の気配を断絶して、行動することが可能な妖怪。辛うじてその気配を感知できるのは、彼女が攻撃に移った瞬間だけ。しかしそれも、ほとんど無に近いほどのもの。それを感知できるのは、さすが妖夢といったところかしら)
妖夢:(なんという気配遮断の妙術か。魂魄流は、暗殺術をも組み入れているが、その知見とお爺さまの厳しい修練……というか本気で殺しに来てたと思う……がなければ、必ずや敗れていたことだろう。さて、どうする、妖夢!!)
そう自己問答をする合間にも、不意の角度からクナイが放たれる!! 紙一重で交わす妖夢だが、何らの打開策も見出せず、次第次第に集中力を削がれていくことに焦りを感じる。
妖夢:(まずい、これではジリ貧だ……どうにかして、相手の位置を捕捉さえすれば……そうだ!!)
突如、妖夢は白楼剣を地面に突き刺し、楼観剣を持ち厳かに白楼剣の刃を打つ。すると、高く高く刃重ねの音が地底の秘所に響き渡る。その神妙な音の響きに身を委ね、魂魄妖夢は佇立瞑目して一切の構えを解いたのである。
紫:(妖夢、果たして何の策かしら!?)
さとり:(ま、まさか、なんと大胆な!? そんなこと、不可能よ!!)
瞬間、鍾乳洞の影よりキラリと光る刃が妖夢へと放たれる。その瞬間、妖夢は活眼して放たれたクナイの方向へと突進!! 身を捩って紙一重でクナイをかわすと、神速の刃突にて敵を迫り捉える!!
こいし:「わ、わわ!! び、びっくりしたぁ」
妖夢の刃は、こいしの喉元に突きつけられており、もはやこいしは身動きのとれない状況であった。
さとり:「なんという妙技!! 自らをおとりにすることで相手を動かし、地底湖にこだまする音を手がかりとして、こいしの位置を探りあてるとは……」
妖夢:「この刃を重ね打つ方法。本来は破魔の技なのですが、音に自らの意識を乗せることで、偵察に用いることにしたのです。半ば霊体の、私でなくては使えない技です。しかし、うまく成功してよかった……」
紫:「なるほど、幽体離脱の法をもちいたのね。ふふふ、面白いわ。魂魄流に、あたらしい技術が加わったのではなくて?」
妖夢:「いえ、これはお爺さまの技を真似ただけのものです。お爺さまはこの手法を用い、音に殺気を乗せることで、相手を卒倒させていましたから……」
紫:「それは恐ろしいわね。その奥義、会得したときは、是非とも私に見せてちょうだい」
妖夢:「まだまだ私にはとても……」
さとり:「いえいえ、なかなかどうして。あなたのような剣術家は、この地底にはおりません。皆、力こそ覇王の道と頼って、技を疎かにしがちですから。どうでしょうか? これからは地底の剣術指南役として、地霊殿に逗留されては。十番勝負など、うっちゃってしまって……」
妖夢:「勿体無いお言葉ですが、二君に仕えるつもりはございませんので」
さとり:「どうやら、そのようね。けんもほろろだわ。ふふふふ……」
そうして地上へと帰ることになった妖夢だが、どうやらこいしは遊び足りないらしい。
こいし:「また、遊びに来てね~♪」
そう言って、両手を挙げて妖夢を見送る。
妖夢:「ははは。えぇ、機会があれば……。(今度は、もっと穏健な遊びにしてくださいね)」
剣術十番勝負。三本目、対古明地こいし。魂魄妖夢の勝利。
四 対 比那名居天子
晴嵐を越えたところにある天上の丘からは、限りなく広がる白雲が絶景。白い霞の雲の上で、蒼衣青髪をたなびかせ、魂魄妖夢を待ち受けるのは、天人の姫、比那名居天子であった。
天子:「やっと来たわね。待ちくたびれたわよ」
紫:「あら、それはご免あそばせ。誰も彼も、一筋縄にはいかない相手ばかりだったから」
天子:「ふん。まぁ、いいわ。それより、早速はじめましょうよ」
紫:「ずいぶんと乗り気ね。何か、憂さを晴らさないとすまないようなことでもあったのかしら」
天子:「別に。ただ、ムカつくことはたくさんあってね。イライラしてるのは確かよ」
紫:「その理由、訊いてもよいかしら?」
天子:「理由? 簡単なことよ。何でもかんでも、私の思い通りにならないことが多すぎるのよ」
紫:「それだけ?」
天子:「そ。それだけ」
紫:「やれやれ。困ったものだわ。つまり、みんなが構ってくれなくて寂しいってことね。それならそうと、素直に言ったら、遊んであげるのにねぇ」
天子:「な、何言ってるのよ!! そんなんじゃないわよ!!」
紫:「じゃぁ、何なのかしら? 良かったら話してくれないかしら」
そう言われれば、素直に答えるのがこの比那名居天子であり、そうした素直な相手を煽って楽しむのが八雲紫である。
天子:「……みんな、私のことを軽んじてるのよ。態度でわかるわ。厄介者の、不良者だって。そのくせ、口では何も言わない。心の中で思ってることとは正反対のことを、微笑や沈黙や立ち回りで見せる。こういう、功利な嘘をつく小人どもが、私の身の回りには多すぎる。それが、ムカつくのよ」
紫:「ふふふ。なるほど。あなたの気持ち、分からなくもないわ。私も相応の地位にいるものとして、同じような不快を感じることは多いの。しかし、そもそも天人とは、きれいごとに身を固めた虚礼の民。噓を嘘で塗り固めた、心底卑しい民なのだから、それも仕方のないことでしょう」
天子:「ハ!! 地上を這う下賎の妖怪が、随分と偉そうに言うのね。ますますイラついてきたわ」
紫:「ふふふ、慌ててはイヤよ。あなたの相手は私ではないのだから。さぁ、妖夢。手加減は無用です。全力で、あの天人の鼻っ柱を折ってやりなさい」
妖夢:(二人とも、勝手に話を進めて……私のイシはドコにあるんでしょうか。ぐすん)
天子・妖夢の二者は、正面に対峙してその間合いはおよそ十間(十八メートル)。
やや離れた距離ではあるが、両人は通常の人間を超越した存在であり、この程度の距離は、むしろ一足の間合いである。
天子:「あんた、確か魂魄妖夢……だったかしら。西行寺家に仕える庭師よね」
妖夢:「はい。西行寺家当主、幽々子様にお仕えしている、剣術指南役兼庭師の、魂魄妖夢です」
天子:「ふぅん。それはご苦労なことね。で、あんたさ、冥界のお嬢様に仕えて、こうやってスキマの戯れに付き合わされて、不満とかって、感じたりしないの?」
妖夢:「そうですね。正直、少し困ったことではあります。お仕事もありますし、私にだってやりたいこと……読みたい本とか、ありますから。でも、別に不満とは思いません」
天子:「ふぅん。でもさ、今までに一度くらいは、不満を感じるようなこともあったんでしょう?」
妖夢:「う~ん……一度くらいと言われれば、どうか分かりませんけど……でも、特にはありません」
天子:「宴会の半日前に来るような非常識なヤツの下で働いていて? 神社の起工式の宴会のときにさ……」
妖夢:「う……その話はもうイイじゃないですか。ま、まぁ、ちょっと不満もないでもありませんが。でも、やっぱり特別不満というほどのことではありません」
天子:「そう。アンタ、幸せなヤツなのね」
妖夢:「はぁ」
天子:「良いことを教えてあげる。私はね、アンタみたいに、人に仕えてペコペコしてるヤツって、嫌いなの。さらには、アンタみたいにペコペコして仕えることに疑問も感じないヤツは、もっと嫌い」
妖夢:「む……ずいぶんな言われ方ですね」
天子:「ふふ。怒った?? そうね。少しは人間らしい感情もあるようね」
妖夢:(……なるほど、挑発か)
天子:「まぁ、でも、こんな犬っころを手飼いにして、好い気になってるなんて、アンタの主もたかが知れるわね。どうせなら、もう少しマトモな従者を雇えばいいのに。冥界に人なしと言えども、犬っころよりマトモなヤツくらいはいるでしょうに」
妖夢:「……」
天子:「そうそう。アンタ、先代の剣術指南役の残した巻物が欲しくて、こんな戯れに付き合ってるんだってね。ハハハ!! まだ、先代の影を追いかけているわけだ」
妖夢:「……」
天子:「ハン!! 王より王たる気概がないどころか、然るべき地位を得た後でも、卑屈になって、己の道を進むことができないなんてね!! 全く、どこまでも性根の腐ったヤツかしら。どう、悔しかったら、反論の一つでもしてみたら?」
妖夢:「……言いたいことはそれだけですか?」
天子:「ハハハ!! いい顔つきになったじゃない。隠そうとしても隠し切れないほどの憤りが、炎となって立ち昇っているのが見えるわよ」
妖夢:「ならば一つ言わせてもらいますが、貴方は自分の周りにいる、小人たちの利巧な立ち振る舞いが気に入らないのですよね」
天子:「えぇ、そうよ」
妖夢:「どうして、その人たちのことを放っておけないのですか? 私たち、というよりも紫様や霊夢や萃香さんに……まぁ、幻想郷にいる人達は、むしろ、思ったことをそのまま口に出してズケズケと相手の心の中に踏み込んでいくくらいのことをするものです。そういう方とだけ交流していれば、それで済む話じゃないですか」
天子:「何よアンタ。私に説教するつもり?」
妖夢:「いえ、そうではないのです。ただ……そうですね。結論を言ってしまうと、単純に、あなたはあなたが小人として見下す人達にこそ、認められたいと思っているだけじゃないのですか? つまり、その人たちというのは、そういう大切な人……例えば、家族、とか……」
天子:「ハ!! 口を開いたと思えば、自分勝手に私の人生を憶測するわけね。気に入らないわ」
妖夢:「あなたには言われたくありませんが……もはや、問答不要ですね」
天子:「そうね!! これ以上はおしゃべり不要よ!! さぁ、我が緋想の天を衝く様を見よ!!」
そう高らかに宣言すると、比那名居天子は緋想の剣を高々に掲げ、両眼見開き、雄叫びを上げる。
嗔火(しんか:火のように燃え上がる怒りの炎)熾(さかん)にして蒼天を覆い、あたかも崇徳院が御霊、白峰にて噴煙を吐くの逸話を目の当たりにするが如し。
天子が秘剣は、天上天下に怒号を発する!!
天子:「さぁ、我が一肚皮(いっとひ:腸いっぱい)の憤怨、その身に受けて焼け死ぬがよい!!」
紫:「なんて猛烈な怒りの念!! これは流石に、妖夢でも無理かも……」
圧倒的な威勢を示す天子が剣は、颶風(ぐふう:強く激しい風)を起こし、獰猛な唸り声を響かせる。その様は、まさに妖夢を喰らい殺そうとする龍が風の中に潜んでいるかと思わせるほどだ。
対する妖夢は、ただただ姿勢を低く伏せるように構えている。長刀の楼観剣は地に置き伏せ、用いるは白楼剣。居合いの構えにて、虎視眈々と気をうかがう。
紫:(これは……あたかも、竜虎相対するの図ね)
八雲紫も、固唾を呑んで見守る決戦。スペルカードルールもへったくれもない、真っ向からの真剣勝負。しかして、その技名を名乗りあげるは、常の習わしが故か、それとも性か。あるいは勝利を勢いに求めてのことか。
天子:「怒り狂え!! 万乗の剣(ばんじょう:兵車一万台。万乗の君は天子の意で、万乗の剣はすなわち天子の剣)!! これぞ、比那名居天子の緋想天!!」
竜巻の降るが如き大嵐を纏った天上人の憤りは、龍の吐く炎となって、万物一切を灰燼に帰す!!
妖夢:「……参る」
果たして獲物を狩り捕るときに、唸り吼える獣があるだろうか。虎は身を低く構え、全身のバネを限界まで引き締め、息を潜め、機をうかがい、気を内に充たし、脳内ではあらゆる状況を想定し、勝利を強くイメージするのだ。それであってこそ、雷撃のように瞬時に敵を捉え、必殺の一撃を喰らわせることができるのである。
剣伎「桜花閃々」は、あくまで弾幕の華美を添えたアレンジである。美しさを競う勝負ならば、なるほど、桜の花を咲かせ散らせもしようし、また幾重にも剣を重ねて見せることもしよう。だが、斬撃の真骨頂は、言うまでもなく、ただ一閃にて敵を切り伏せることにある。この技、「雷虎一閃」は、まさに死合のための剣技である。
妖夢は、駆けるや否や、瞬く間にその姿を消した。その神速を、八雲紫もしかとは捕捉できないほどであった。
「万乗の剣」。即ち「天子」の剣の名に恥じぬ天子の噴怨のもの凄まじさ。
「雷虎一閃」。虎の獲物を狩る様を模したその技こそは、魂魄流の奥義にふさわしき洗練・無駄のなさである。
勝負は一瞬でついた。
剣、正眼に振り下ろす天子が残心。
刀、右の胴を抜く妖夢が残心。
一陣、風が吹きぬける。
妖夢:「天上人の名に恥じぬ、見事な一撃でした」
膝をつく妖夢。その全身からは、とめどなく汗が流れ落ち、息絶え絶え、苦悶に顔を歪めている。
妖夢:「刹那でもタイミングを狂わせていれば、敗れていたのは私でした」
天子:「……」
妖夢:「貴方は私の到着を待ちわび、焦れていた。一方私は、強敵との連戦で、神経が研ぎ澄まされていました。その差が、勝敗を分かつことになったのでしょう」
天子:「……ハ。勝者が敗者に慰めをかける?? そんなもの……クソ喰らえよ……」
そう、最後に吐き捨てて、比那名居天子はその場に崩れ落ちた。
紫:「ここまで我を貫くとは。敵ながら天晴れ。本人は不要と言うでしょうけど、医者に連れて行ってあげるとしますわ」
そう言うと、紫は天子をスキマに運び入れ、姿を消した。
そうして、去る二人の後姿を眺めながら、妖夢は天子の幼く愚かではあるが、直く逞しい性を思い浮かべ、素直に賞賛を送りたい気持ちがするのに気がついた。
妖夢:(まさに光風霽月の一戦……非常な高揚が、なんとも心地良く爽やかだ。胸の高鳴りが、おさまるところを知らない)
そんな感情を抱くのは、妖夢にとって、はじめてのことなのである。
しばし時が過ぎて、八雲紫が戻り来る。
紫:「お待たせ妖夢。あの天人、肋骨が折れて内臓に刺さっていたようね。天人はその精強さにこそ驚くべきものがあるのであって、生命力が優れているわけではないからね。永遠亭に連れて行って正解だったわ」
妖夢:「そうですか。しかし、私もまだまだですね。あるいは、彼女を殺めていたかも知れない……神武不殺の境地には程遠いです」
紫:「ふふふ、なるほど。妖夢らしい慢心のなさね。ところで妖夢、先の対戦、勝敗を分かったのは果たして何かしら」
妖夢:「はい。恐らく、軍争(ぐんそう)にあるかと」
紫:「ほぉ。なるほど。その心を教えてちょうだい」
妖夢:「お答えいたします。まず、彼女は地の利を得ておりましたが、しかしながら有利になるような条件での勝負を求めて来ませんでした。これは彼女の英邁なる気質の故で、全くもって天晴れなものです。しかしながら、勝負の世界に個人のこだわりは無用です。私は彼女の挑発に乗るような形を見せながら、時間を稼ぎ、内に気を充実させることに成功しました。そうして、一対一の対決により有利な、一撃必殺の奥義を私は繰り出す準備ができました。それに対して彼女は、個人との決戦ではなく集団との対戦を想定した奥義を繰り出しました。これは私が以前、彼女の奥義である全人類の緋想天を見たことがあり、この技を引き出させるように誘引したためです。結果を見てみれば、本来は不利な戦いを強いられるはずの遅ればせた私が、いざ戦闘をはじめるにあたっては、より有利な状況で戦うことができるようになったのです。これは遠近の法です。この遠近の法こそが、つまり遅ればせて先んじることが、孫子の兵法書第七篇、軍争篇の真骨頂です」
紫:「見事なり。用兵の境地、しかと見せていただきました」
妖夢:「しかしそれも、結局は、相続く死闘により極限まで集中力が高まっていた私と、戦いを待ちくたびれていた彼女との境遇の違いがなくてはなりませんでした。また、彼女の英邁なる気質は本当に素晴らしいものでした。その覇王ぶりが敗因となりはしました。なりはしましたが……」
紫:「どうしたのかしら?」
妖夢:「私は……戦に勝って、勝負に負けた気が致します」
紫:「それはどうして?」
妖夢:「……正直、憧れます」
紫:「まぁ!!」
妖夢:「そうして、元気付けられます。」
紫:「良いわね!! まさかの天子×妖夢……キマシ!!」
妖夢:「紫様??」
紫:「い、いえ。なんでもないわ。続けてちょうだい」
妖夢:「はい。私はあの、本質的に自由であろうとして勢力旺盛に振舞う生活、自分の優越と実力との確信、意志の並び立つものを許さぬ強靭さ、豪勢な屈服しない人格、つまりは彼女の天性が、私に心底まで喜びと感謝を与えてくれることに気がついたのです。偉大な精神の内面に向かって開かれた眺めが、私の心を強固にして鍛錬させしむるのです。そうしてまた再起させるのです。つまり、何が言いたいかと申しますと、彼女と戦ったことで、元気がでて来たのです。彼女との戦いを思い返すと、あれほどではなくとも、その何分の一かの英邁さを、私も得たいと、そんな気持ちになるのです」
紫:(聞いた?? もうこれは間違いないわね。どうなの、幽々子? あなた的には……)
幽々子:(え~、イヤよあんなの。あんなのに仕えてたら、妖夢が過労死しちゃうじゃないの)
紫:(あんたが言うの!?)
幽々子:(何よ~。紫だって、たいがいなくせに……)
妖夢:「紫様? どうなされたのですか? スキマに向かって独り言などして……」
紫:「い、いえ。なんでもないわ。ふふふ。妖夢もあの天人も、同じ蒼天の気質を持っています。しかしあちらは晴朗で、あなたは厳粛……彼女の敗因は、自分よりも大きな力に頼ったこと。つまり、不完全であったこと、簡単に言えば自信に溢れすぎていたところです。しかしそれが、完全な敗北にはさせないだけの光輝を彼女に与えている……」
妖夢:「この勝負……はじまりは紫様のお戯れでありましたが、私にも何か、大きな意義が見えてきた気がします」
紫:「つまりは、キマシ??」
妖夢:「キマシってなんですか??」
紫:「い、いえ。なんでもないわ。それよりも……ふふふ、大いに結構よ。さぁ、それでは次の勝負に行きましょうか」
妖夢:「はい。充分休息も得ました。行きましょう」
紫:「覇気が漲っているわね。霧の中を行けば、覚えざるに衣しめる……良き人に会えば良き人となり、逞しき人と会えば逞しき人となる。あの子には、とっっっっても、感謝すべきね」
妖夢:「はい。また今度、一戦交えたいものです」
紫:「よろしい。そのために先ずは、十番勝負、見事勝ち抜いて見せなさい」
剣法十番勝負。四本目、対比那名居天子。魂魄妖夢の勝利。
五 対 射命丸文
熱戦の興奮冷めやらぬ妖夢が、スキマに誘われて出でた先は、峡路、断崖に一筋の、人一人歩むことができるのみという場所であった。
妖夢:「こ、ここは? なんと言う魔所だ。僅かでも足を滑らせればそれでお終いじゃないか」
紫:「ふふふ。死合には、最適な場所ね。逃げ場なんて、どこにもない」
はたて:「えぇ、その通りよ。実際にここは、かつて幻想郷(となる場所)に死場を求めてやって来た猛者どもが決闘に用いたところなの。戦乱の世の中にあっては神の子として崇められた英傑も、太平の世の中にあっては鬼子として忌み嫌われる……彼らにとって、鬼神の集まる幻想郷こそが、太平の世の数少なき居場所だったわけね」
そう語りかけてくるのは、天狗の記者が一人、姫海棠はたてであった。
紫:「そうね。そんな死狂いが数多やって来た時代があったわね」
はたて:「今となっては、必要のなくなった場所だけどね」
紫:「そうしてあなたは、そんな死狂いの戦いを見ることができると聞いて、早速やって来たわけね」
はたて:「ふふふ。まぁ、そんなところよ」
妖夢:「して、私の相手は……」
文:「私がお相手いたします」
そう言って、傍らに立って語りかけてくるのは、天狗装束に身を包んだ射命丸文だった。
妖夢:「わ、いつのまに!?」
文:「今来たところですよ」
そうにっこりと微笑う文に、妖夢は戦慄した。
妖夢:(さ、流石は神速で名高き鴉天狗……一瞬で彼方より此方まで距離を詰めて来たというのか)
文:「さてさて、こんな場所で立ち話もなんなのですが……早速、剣術十番勝負」
ごくりと固唾を呑む妖夢。
文:「どんな試合をして来たのか、教えてもらっても良いですかね??」
紫:「あらら。やっぱりそのあたりは抜け目ないわね」
文:「新聞記者ですからね」
紫:「ふふふ。良いわ、報酬代わりよ。教えてあげるわ」
はたて:「私も私も」
妖夢:「ははは……」
少女、取材中………。
文:「なるほどなるほど。いやぁ、どの勝負も直接取材させて欲しかったですね」
紫:「真剣勝負なれば、部外者の覗き見禁止ですわ」
はたて:「あんたはちゃっかりいるんだけどね」
紫:「私はほら、案内役だし。アッシーちゃんがいないと大変でしょう?」
文:「確かに。スキマでの移動は便利ですからね」
そういうと、文は手帳を胸元にしまい妖夢の方を見て言う。
文:「さて、十番勝負のお話、興味深く聞かせてもらいました。特に興味をそそられたのは天子さんとの勝負です。貴方にとっても、特別な一戦になったのではありませんか?」
妖夢:「そうですね。確かに。しかし、真剣勝負に特別ではないものなどありません」
文:「ふふふ、なるほどその通り。しかし、まだ十番勝負の半ばにしてこの卓抜。いよいよ佳境に入ると思うと、どうにも私との一戦が、名戦の中に埋もれてしまうような気がして心配です」
妖夢:「貴方が私を破れば、十番勝負もそれまでです。それにこの魔所での決闘。敗れれば私は死ぬでしょう。空を飛ぶような無粋はいたしません。潔く死ぬのみです。なれば充分、特別な一戦となりましょう」
文:「あやや、これは見事なお覚悟。ふふふ、やはり天子さんの覇気に当てられたと見えますね。よろしい、ではどうでしょうか。次の勝負、互いに一閃のみというのは。先ほどの戦いもまた一閃勝負ではありましたが、今回は今回で、少し趣向が異なりますから、つまらないということはありませんでしょう」
妖夢:「なるほど。分かりました。そのご提案、お受けいたします」
文:「おぉ!! 受けていただけますか!! ふふふ、それでは二つ返事で良しと言ってくれたお礼です。もし、互いに一閃して決着がつかないようならば、妖夢さんの勝ちということにいたしましょう」
妖夢:「手心は無用です」
文:「おやや? それでは、私は空を飛んで帰ってしまって、妖夢さんが一人ここで飢えて死ぬのを待っても良いのですか?」
妖夢:「う……」
紫:「ふふふ。まぁ、その条件を受けなさい。場所と勝負の手法は相手の望むとおりなのだから、そのぐらいでなくては、勝負が平等なものにならないわ」
妖夢:「そうですね……分かりました。それでは、一閃勝負、参ります」
文:「えぇ、こちらこそ……」
対峙する二人の距離は先の勝負に倣い十間。中段に構える妖夢は楼観剣の一刀流。対する文は葉団扇を仰ぎ隻脚にて立ちうかがう様子。しかしてこれが、天狗の構えと言われれば、なるほど、そうに違いあるまい。久しく、その姿のまま、足元は微塵にも揺れ動かぬのである。
妖夢:(果たして、どのような一撃で来るのか。本命は神速を生かした突撃だろう。この距離……天狗相手にはあってないようなものだ。そうなれば恐らく……敗れる。ならば、ここはいっそのこと……)
妖夢、中段の構えを解き、楼観剣を地に刺し、白楼剣を取り出す。刃を下に向け眼前に横たえ、白刃に映る己が眼を見つめる。そうして自己暗示をかけることによって、限界以上の身体能力を引き出し、また極限まで高い集中力を発揮することができるようになるのだ。これを、「憑鬼の術」という。
紫:(ふふふ、やるわね、妖夢。一皮向けたじゃないの。これは真剣勝負故、今、天狗に仕掛けられれば、隙だらけの妖夢は必ず敗れる。しかし、もちろんあのブン屋がそんな無粋をするわけがない。臨機応変に、可能性の低いものは、例え死に直結するようなことであっても切り捨てるようなふてぶてしさも勝負には必要なのよ。あらゆる状況を想定して、対処していては、それはそれで敗北の理由となるのだから)
文:(へぇ……面白いじゃないですか。あんまり融通が利かない人だと思ってましたが、なかなかどうして。ふふふ、いやはや。図太いですね)
妖夢は白楼剣を鞘にしまうと、両肘を脇にそえ、両手を前に突き出し、拳を上に向けて握り、毛先足先にまで精気を漲らせるように、深く深く長息をつく。さらには全身の筋肉を練り上げる。これは長時間にわたる無呼吸運動に耐えるための日本古武術の特殊な呼吸法、「息吹き」である。
さらに妖夢は、「息吹き」を終えると、ゆっくりと地に刺していた楼観剣を引き抜き、中段に構えるが、その構え、一見して重心はやや後方に置かれ、体は半開きに近いという特殊さである。これは横隔膜に代表される胴の筋肉、即ち日常意識されぬ部分の筋肉、しかして極めて強靭な筋肉を瞬間的に解き放ち、爆撃の様な一撃を雷撃の如く放つ「爆雷」と呼ばれる中国武術の奥義を繰り出すために必要な体勢なのである。
魂魄流剣術の極義はここにあり。
即ち、技を磨き積み重ねることは人間と変わらず、しかもそれを一身に蓄えられることは寿命の概念なき霊が故である。そうして、力においては人を凌駕しており、それぞれの種族の良い特性のハイブリッドが、魂魄流剣術なのである。
そうしてその技は、三国の武芸諸術百派の奥義に精通したもので、しかも弛まぬ数百年の尽力は、それら全てを修得していささかの懈怠も示さないのだ。
文:(面白い!! 相手にとって不足なし)
にやっと笑みを浮かべたと思うと、文は葉団扇を右手に取り、左中段に構えた。
はたて:(まさか獲物に、葉団扇を使うの!? あ、もしかして、文!!)
予感的中。射命丸文は、その場で葉団扇を右に払った。すると瞬間、五つの手裏剣が様々な角度から物凄い速度で妖夢へと襲い掛かる!!
紫:「ま、まさかの搦め手!! 汚い、さすがは鴉天狗!! 汚い!!」
しかして直撃と思われたその瞬後、二つの手裏剣が真っ二つに断絶され、あとの三つは風切り音を残して妖夢の後方へと抜けて行った。
文:(は、速い!! 瞬間的なスピードならば、天狗に勝るとも劣らず……)
残心、刀を鞘にしまう妖夢。
はたて:(しかし、甘い!! なぜ葉団扇を用いたか!! 手裏剣の秘匿のみではない。あれは、風を操り、無限追尾の一閃を放たんとしてのこと!! 約定にしたがい、魂魄妖夢はもう刀を使えない!!)
背面、左右から迫り来る三つの手裏剣。妖夢は正面を向き、何らの動きも見せない。
文:(この勝負、私の勝ちですね!!)
その直後!!
妖夢、その場に渦を巻く!!
そうしてその両手には、見事三つの手裏剣が掴まれていたのだった。
紫:「お見事!! ふふふ、搦め手も通じないとはね。油断なんて微塵もなかった。さすがは妖忌が弟子ね」
文:「あ、あややややや……」
はたて:「……射命丸文、汚れ手を使ったにも関わらず魂魄妖夢に惨敗、か。良い記事が書けそうだわ」
文:「ひぃ!! ご、後生ですから、それだけは止めてください。はたてさ~ん」
妖夢:「……ぷふぁ!! い、いえ、紙一重でした。この技は、呼吸を止めていなくてはならないので、とても体の負担が重いのです。そう長くは維持できません」
文:「ほぉ、それは興味深い。ほら、はたて、こっちのほうが記事にして面白そうですよ」
はたて:「射命丸文は、このように事実の隠匿に躍起となっており……」
文:「ちょ、ちょっと、人の話を聞いてくださいよ~」
紫:「ふふふ。因果応報ってところかしらね」
剣術十番勝負。五本目、対射命丸文。魂魄妖夢の勝利。
六 対 フランドール・スカーレット
十番勝負も折り返しを迎え、やや疲れも見え始めた妖夢。肉体のリミッターをはずし、限界ギリギリの負荷を身体にかけての運動。当然、死合とはそういうものになる。のみならず、神経を激しく磨り減らすのであるから、さすがに妖夢も疲労を感じざるを得ないのだ。
しかし、連戦の疲労もまた、十番勝負の敵が一人である。
軽い水分の補給のみで、妖夢は次の戦いへと挑む。
そうしてスキマに誘われた先は、薄暗くただ広いばかりのがらんどうだった。
妖夢:「ここは……地下室?」
紫:「えぇ。その通り。紅魔館の地下深くにある、ただ暗く広いだけの空間よ」
妖夢:「はぁ。何のためにこんな部屋を設けたのでしょうか」
紫:「運動不足の解消らしいわよ」
妖夢:「運動不足? 吸血鬼の、ですか?」
紫:「えぇ」
妖夢:「なるほど。ここなら、日の光も入り込むことはありませんしね。ただ灯りといえば、無数に設けられた松明の灯りばかりです」
そうして、妖夢と紫が話をしていると、奥から「クスクス、クスクス……」という不気味な笑い声が響き渡って来た。
妖夢:「う! な、何ヤツ!」
紫:「どうしたのよ、そんなに狼狽して」
妖夢:「わ、私はどうも、こういうお化けが出てきそうなところが苦手で……」
フラン:「クスクス、クスクス。なぁに、もしかしてお化けが怖いの? 面白いお姉ちゃん」
紫:「笑われてるわよ?」
妖夢:「怖いものは仕方がないのです」
フラン:「うふふ。ねぇ、お姉ちゃんが、私の遊び相手なの?」
妖夢:「あ、遊び相手?」
紫:「えぇ。そうよ。こっちのお姉ちゃんが、貴方と剣で遊んでくれるわ」
フラン:「本当? わぁい!!」
そう言って、姿を現すのは、悪魔の妹であるフランドール・スカーレット。笑顔で掲げる両手の中には、彼女の体躯の三倍以上もある長大な剣が握られていた。
妖夢:「え?? えええええええ!?」
紫:「流石は吸血鬼ね。ざっと見たところ、長さ四メートル、重さ四百キロってところかしら?」
妖夢:「あ、あんなのを剣の中に入れないで下さい!! 鬼の金棒でもあれほど大きくはないですよ……」
フラン:「それじゃ、お姉ちゃん!! いっくよ~♪」
そうして、大上段から一気に振りかざすフランドールの大剣!!
とっさに横転しかわす妖夢だったが、剣戟の跡、破岩・木端微塵の様を見て流石に色を失う。
妖夢:(こ、こんな一撃を喰らっては、剣ごと叩き潰されてしまう!! とにかく避けて、隙を突いての一閃にかけるしかない。これだけの大剣、隙も大きいはず)
その妖夢の読みは外れる。
吸血鬼の俊敏と怪力とで、フランドールの大剣はぶんぶんと大きな音を立てて回る回る!! 太刀筋は滅茶苦茶、力の流動はまるで考慮せず、突いて払っての大嵐に、隙をうかがう暇もない。
妖夢:(く!! なんてでたらめな!! 力と速さのごり押しか。しかも、こう暗くては、なかなか相手が見えない……)
紫:(吸血鬼の強みが最大限活かせる地の利と装備。そうしてでたらめな技術。こんな相手とは今まで戦ったことがないでしょうね。ふふふ、軍争に敗れて、さて、どう挑む……)
何とか紙一重でフランドールの剣戟をかわし、距離をとる妖夢。その妖夢に向かって、フランドールが楽しそうに笑って言う。
フラン:「ふふふ。お姉ちゃん、私のことが良く見えないんでしょう? 人間って不便よね。暗いところじゃ眼が見えなくなっちゃうんだから。でも、フランは吸血鬼だから、明るいところよりも、こっちのほうが良く見えるくらいだよ♪ えへへ、すごいでしょう☆」
妖夢:(楽しそうに言ってくれる……しかし、これではジリ貧か? あるいは猛獣と対峙したと思って戦おうとも考えたが、予想以上に剣筋が自由自在だ。無理矢理太刀筋を変更して、コチラの首を落とすことも可能だろう。この子は幼く力で押すことしかしらないが、だからといって知恵が働かないわけではないのだ。しかし、あの剣に触れただけでコチラは致命傷を負うこと間違いない……まずいぞ。どうすべきか……)
フラン:「うふふ。お姉ちゃん、作戦タイムはもう良いかな?」
妖夢:(幼く力で押すことしかしらない、か。……よし、通じろ!!)
妖夢は構えを解き、両手を下にだらんと垂れさせた。いや、これは天地の構え。体の力をすっかり抜く、いわば休めの体である。
フラン:「あらら? 諦めちゃったの? 面白くないぞ~(怒)」
妖夢は全身の気配を影に同化させる。そうして、非常にゆったりとした歩調で、フランドールの側面へと移動する。その動きが、フランドールには、スローモーションのような、いや早送りのような、残像のある不思議な動きに見えるのだった。
フラン:「な、ナニコレ!! 手品??」
紫:(この歩法は、特殊な重心移動と足捌きで相手に目の錯覚を与えるもの。……流石は魂魄流。暗殺術の奥義まで教えに組み込んでいるとはね)
妖夢:(やはりこういった技術を用いてくる相手とは対戦の経験がなかったと見える。その暗所でも良く見える優れた目の力が仇となったな)
そうしてフランドールは、自分の首筋に妖夢の剣が当てられていることに気がついた。
フラン:「え? え、ウソ!! ま、負けちゃった……」
紫:「お見事。この勝負、妖夢の勝ちね。さて、勝因は?」
妖夢:「相手の有利な条件では勝負をしなかったことです。力で劣る相手には技で、技で劣る相手には心で。勝負の条件を、力から無理矢理に技と心へと引き込んだことが勝因です」
紫:「なるほど。しかし、自分の有利な条件に引き込めるだけの能力がなくては、当然その戦略は用いることができない。ふふふ、さすがだわ」
そのとき、地下に拍手の音がこだまする。
レミリア:「えぇ、全く。お見事……良い余興だったわ」
フラン:「あ、お姉さま!! ごめんなさい。負けちゃった……」
レミリア:「残念だったわね。もし勝てたらあのお姉ちゃんを、フランの新しいお人形さんにしてあげようと思ってたのに」
フラン:「え、本当!! やだ、フラン絶対あのお姉ちゃん欲しい」
妖夢:「本人を前にして、そういうことは言わないでください……」
紫:「しかしまぁ、紅魔館の主が覗き見だ何て趣味の悪い」
レミリア:「スキマ妖怪には言われたくはないけれども……ふふふ。まぁ、確かに非礼ではあったわね。お詫びに、軽食をこちらで用意させてもらうわ。フランの遊び相手にもなってくれたお礼を兼ねて、ね」
紫:「そうね。もうすっかりよい時間ね。妖夢、貴方もサンドイッチくらいは食べておかないと持たないでしょう」
妖夢:「そうですね。さすがに、ちょっとお腹が空きました」
そうして、紅魔館の茶会に招かれ、しばしの休憩を妖夢はとるのであった。
剣術十番勝負。六本目、対フランドール・スカーレット。魂魄妖夢の勝利。
七 対 十六夜咲夜
レミリア:「さて、我が紅魔館は、この十番勝負において二人の勇士を送り出すという栄誉を授かったわけだけれども、はてさて、その二人めは誰が良いかしらね。人選に困るわ」
紫:「ふふふ。まさか紅魔館に人なしとは仰いませんでしょう?」
レミリア:「もちろん!! むしろ、優れた人材が多すぎて、誰を選ぶべきか悩んでいるほどよ」
紫:「流石は安定の紅魔館。人気投票で上位を占めるだけのことはあるわ」
レミリア:「まぁね。Win版の原初にして北極だものね。貫禄の違いを見せてあげなくては」
そうしてしばしレミリア・スカーレットが思案顔をした後、「やはり」と言うことには、
レミリア:「咲夜。あなたを置いて他にはないわ。相手をしてやってちょうだい」
咲夜:「御意のままに」
そうして恭しくかしずくのは十六夜咲夜。先ほどまではいなかったはずの彼女が、視界の外より出でて来るは、かの時間操作の秘儀によるもの。
妖夢:(来るか、十六夜咲夜……)
決死の覚悟で気を張る妖夢を尻目に、咲夜は笑って言う。
咲夜:「ふふふ。お生憎様、私は死合なんて付き合うつもりはないわ。そうね、ちょっとしたゲームだったら、いくらでもお付き合いいたしますわ」
妖夢:「ゲーム?」
咲夜:「そう。簡単なゲーム。的当てよ。あら? 不満そうね。でも、本当に本気で死合をしたら……」
そう言った瞬間、咲夜は時間を止め、妖夢の首筋にナイフを当ててみせた。
咲夜:「ね? こうやって、時間を止めている間に、私はあなたを殺してしまうもの。それでは、あまりにもつまらないでしょう?」
紫:「そうね。そんなの、見ても少しも楽しくないわ」
妖夢:(確かに、天人のように刃が通らないほどの頑強さがあるわけでも、悪魔染みた再生力と生命力があるわけでも、あるいは複数の命があるわけでもない私では、彼女の能力には太刀打ちできない……)
レミリア:「えぇ、私もそのほうが楽しめて良いわ。どうかしら? 剣士様は、この条件では不満かな? ふふふふ……」
妖夢:「いえ。了解いたしました。魂魄流では手裏剣術も収めております。その妙技、ご覧に入れましょう」
レミリア:「それは楽しみね。ジャパニーズ・ニンジャ!! ふふふ、見てみたかったのよ」
こうして十番勝負の第七番は、的当てと相成ったのである。
咲夜:「さて、ルールはシンプル。互いに獲物を五回投げて、先に中心をはずしたほうが負け。六回目以降は、サドンデスで決着をつける。で、私の獲物は、もちろんナイフを使わせてもらうわ。良いわね?」
妖夢:「はい。それでは私は、クナイを使わせてもらいます」
レミリア:「え!! ジャパニーズ・ニンジャなら、こう、ギザギザのを、手の平から、シュシュッてやるんじゃないの??」
妖夢:「いや、それはちょっと違いまして……」
紫:「あらあら。そんなことをしたら、手を傷つけてしまうでしょう? 狙いも定まらないし、力も入らないし……」
レミリア:「それが、ミステリアスでオリエンタルなんじゃないの!! 分かってないわね」
紫:「まるで欧州に行けば、王子が白馬にまたがって、草原を走っているかのような妄想ね」
レミリア:「走っていないの?」
咲夜:「走っていませんよ、お嬢様……」
そうしてしばしの雑談を終えると、いよいよ勝負と相成った。
咲夜:「それじゃ、まずは私からいくわね」
妖夢:「どうぞ」
咲夜:「では、お言葉に甘えて……こんな感じで」
すると、その一瞬後には、的の中心には五つのナイフが刺さっているのだった。
妖夢:「うっ!!」
咲夜:「さぁ、どうぞ」
レミリア:「さすがは悪魔の従者ね」
紫:「こんなのは、騙される妖夢が悪いわ。まだまだね」
今回の勝負は的当て、である。当然、獲物は的に刺さらねばならぬ道理。となれば、先に五本のナイフを刺してしまい、的の中心の面積を削ることで、相手の妨害をすれば、それだけ有利になるのである。
妖夢:(しかも、ナイフは斜めに刺さっている……やられた。的の中心部分の面積が、もうほとんど残っていないぞ。クナイ四本……は、まずなんとかなるが、それ以降は……)
咲夜:「ふふふ。的当てのゲームとなって、少し気が緩んだかしら? いけないわね。剣士のあなたからすれば、死合というのは、真っ向勝負で互いに同意を得て、いざ尋常にとなるのでしょうけど、私からすれば、それはむしろ稀なケースよ。むしろ、命を賭けての戦いというのは、相手の虚をついて行うもの。その備え無きを攻めるが上策、というわけよ」
妖夢:(むむむ。まさに彼女の言う通りだ。私は魂魄流の暗殺術を、技として会得していたものの、その真髄である心得をまるで見に付けていなかった。その形を得るは易く、その心を知るは難い……お爺さまのお教えどおりではないか。深く、反省せねばならない……)
紫:「妖夢、反省を行うのは勝ってから、ですよ。よく思い出しなさい。此度の戦い、例え遊戯に他ならないとはいえ、あなたは西行寺と魂魄の名を背負っているのですから」
妖夢:「!? ……はい、紫様。此度の遊戯、敗れたときはこの妖夢、切腹仕りたく存じ上げます」
紫:「ふふふ、潔し。その際には、私が手ずから介錯仕る所存」
妖夢:「恐悦至極」
レミリア:「WOW!! ジャパニーズ・ハラキリとは、驚いたわ。日本に来たら、毎日河原でハラキリしてるかと思ったのに……」
紫:「欧州では毎日ギロチンや火あぶりがあるっていうのかしら?」
レミリア:「ないの?」
咲夜:「ありませんよ、お嬢様……」
そうした三人の雑談を尻目に、妖夢は策を練り、勝利の道を探る。
妖夢:(四本は可能だ。しかし五本目……いや、不可能ではない。しかし、どちらにしてもそれでは次、相手の番になってしまう。何せ、相手は時を止められるのだ。それこそ、なんでもし放題だ。それで、次は私となる。苦しい、非常に苦しい。サドンデスの末に、手詰まりになるのは目に見えている……どうする、どうする妖夢!!)
そうして思い悩んでいると、妖夢はふと祖父の教えを思い出した。
妖忌:「よいか、妖夢。物事に工夫は必要だ。何事も工夫して、うまくやる方法を考えねばならぬ。その毎日の積み重ねが、長いときを経て、容易に届かぬ隔たりとなる。わかるか?」
妖夢:「はい、お爺さま!!」
妖忌:「うむ。良い返事だ。だがな、妖夢。工夫というと、なにやら功利なやり方・回りくどい方法ばかりを思い浮かべるかも知れぬが、そうとも限らぬのが難しいところじゃ。ことによると、全然うまくもない、力技のほうが、かえって利巧なやり方だったりする」
妖夢:「と、言いますと?」
妖忌:「うむ。例えばじゃ。童に、小魚の身を残さぬようにすっかりきれいに食べつくせと命じたとしよう」
妖夢:「はい」
妖忌:「しかし、幼い人には、箸使いは難しいと見える。さて、お主ならどう助言する?」
妖夢:「……魚の上手な食べ方と、箸の正しい使い方を教え、手本を見せて、食べさせます」
妖忌:「ふふふ。如何にも。それも一つの方法じゃ。しかし、わしならそうは教えぬ」
妖夢:「では、どう教えられますか?」
妖忌:「手づかみで食えという。あるいは、骨ごと、噛み砕いてしまえばよいと教える。まぁ、多少喉や歯茎に骨が刺さるかも知れぬが、我慢しろと言ってやるか」
妖夢:「……しかし、手づかみは行儀が悪いですし、骨ごと食べるとなると、骨が刺さるから痛いのはイヤだと言って、童はきっとぐずります」
妖忌:「ハハハ。そうだな。確かに、確かに。これは、一本取られたかな。ハハハハ……」
この古い祖父とのやり取りに、妖夢は勝利の枝折を見た。
妖夢:(そうか。力技か。よし、それならば……これでどうだ!!)
妖夢、カッと活眼してクナイを構え、第一投を投じる。続けざまに、第二投、第三投、第四投とクナイを放つ。
レミリア:「やるじゃないの!! 息も尽かさぬ、見事な早業。そうして、刃の相間と相間を縫うようにして放つ見事な投擲術!! 咲夜もかくや、というほどだわ」
咲夜:「全くですわ。そうして、力があります。実に男らしい、まさに剣士の技ですわね」
紫:「さて、しかし、その力で女の謀りを挫くことができるかどうか……見ものね」
第五投と相なった時、妖夢はその場から三歩、後退した。そうして、助走の勢いを借りて、渾身の第五投を放つと、的の中心、咲夜のナイフが斜めに刺さったその先に、真っ直ぐと食い込むようにクナイが刺さった。
紫:「む、見事!!」
レミリア:「いや、まだ続けるみたいだよ!!」
妖夢は第五投の勢いをさらに借りて、気焔万乗の一撃を繰り出す。すると、第五投目のクナイと寸分違わず重なったクナイが、前のクナイを突き破り、的の中心部分は木端微塵に砕け散り、的そのものも、真っ二つに砕かれたのであった。しかし、確かにクナイの先には、的の欠片が刺さっている!!
咲夜:「参りましたわ。これでは、もう当てる的の中心がございません。私の負けです」
紫:「なるほど!! コロンブスの卵、といったところかしら?」
レミリア:「ハハハ!! いや、いいものを見せてもらったわ。フランもあなたのことを気に入っているようだし、どうかしら? 紅魔館に来ては。相応の待遇は保証するわ」
妖夢:「いえ、私には心に決めた主がございますので」
レミリア:「それじゃ、フランの婿に来てちょうだい」
妖夢:「いえ、私は女なので……」
レミリア:「でも日本では、あなたのような武士をマスラオと呼ぶのでしょう? そうしてマスラオは男でしょう?」
妖夢:「確かに益荒男は男ですが」
レミリア:「素晴らしい。これからはあなたのことを、マスラオ妖夢と呼びましょう」
紫:「良いわね。益荒男妖夢、カッコイイじゃない」
咲夜:「良かったですわね、益荒男妖夢さん」
妖夢:(いや、だから私、女なんですけどね……)
剣法十番勝負。七本目、対十六夜咲夜。魂魄妖夢の勝利。
八 対 藤原妹紅
紫:「さて、次の相手のところへ行くわよ」
そうしてスキマに誘われた先は、竹林にある藤原妹紅の家中であった。
妖夢:(う、煙たい……)
部屋一面に、煙が充満しているのは、待ちぼうけた証拠であろう。
妹紅:「ははは、ようやく来たか。いや、話を聞いてから、家でずっと待っていたんだけどね。なかなか来ないから、この通り。一日中、しけもくやってたものでね。すっかり我が家は煙たくなってしまった」
紫:「へぇ、これは見事な煙管ね。あなたの顔よりも大きいのではなくって? そこまで歌舞いた大煙管は、滅多にお目にかかれないわ」
妹紅:「ふふふ。これは昔、近江の国、老曾(おいそ)の森で遭遇した目一つの神と神遊びをしてな、戯れに勝利した証として受け取ったもので、まぁ、私の自慢の一品だ」
紫:「あら、それは興味深いお話ね。是非とも詳しくお聞きしたいところだわ」
妹紅:「お、乗り気だね!! 私も、話に付き合ってくれるのがいると嬉しいからな。特にお前さんみたいに、外の世界の話が通じるのは、ここには滅多にいなくてな。まぁ、過去語りをしたいのはやまやまなんだが……」
そうして、妹紅がちらりと見るは妖夢。
妹紅:「ふふふ。何だ、随分と滾ってるじゃないか。隠しても隠し切れないくらいだ。今日一日、漲るような勝負をして来たんだろう? 良いね。たまには、そういうのがないと、永い命は飽きてしまうよ」
妖夢:「急かして申し訳ありませんが、早速、死合っていただけませんでしょうか」
妹紅:「何だ、随分と乗り気だな」
妖夢:「……貴方のような達人との死合い。剣士として、心踊らぬわけがございません」
妹紅:「ハッハッハ。それが剣士の性だな。分かった。しかし、だからこそ、私も十全足るお前さんと戦いたい。もう少し休み、疲れを取れ。滋養の薬湯も飲め。安心しろ。慧音に用意させたものだ。こちらはもちろん、そちらも死合の覚悟で挑もうじゃないか」
そうして妖夢は慧音の用意した薬湯を飲むと、血は手先足先まで巡りに巡り、四肢軽く、神経の鋭敏なるは肌を撫でる風を感じるほどとなった。
妖夢:(死合いを所望との言葉、違わぬと見える。紫様の戯れによりはじまったこの十番勝負……しかし、真の達人と死合できるとは。ここで死ぬとも剣士の誉れ。しかし、勝って名誉を得るのは私だ)
慧音:「どうだ? 元気が湧いて来るだろう」
妖夢:「はい。おかげさまで。ありがとうございます。しかし、こう……ケホ、ケホ!!」
妹紅:「ハッハッハ。感覚が鋭敏になっているから、煙くて仕方ないのだな。さて、それじゃ、そろそろはじめるとしようか。まぁ、ここでは何だから、外に出よう。竹林の中、誰にも迷惑のかからないところで、な」
そうして、妹紅と妖夢は、竹林の中へと進み行く。歩むこと十分ほど、平らかに地が開ける。
妹紅、大煙管を吸いながら、揚々として語りかける。
妹紅:「さて、ここなら申し分ないだろう。妖夢、覚悟はいいな」
妖夢:「問答無用」
妹紅:「おう、潔し。では、蓬莱の人の形、千三百年の奥義を見よ!!」
妹紅、大煙管を深く深く吸うこと十秒、長息を吐かば平地を覆い、辺りの竹林、全て陰炎に包まれ、妖夢は四方を暗き炎にて囲まれる。四方を囲む陰炎の内は、ただ煙の覆うばかりで、眼もはっきりとは開けられぬほど。
妹紅:「ハ!!」
妹紅が掛声とともに両手を胸の前で強か一度打つと、不気味にこだまして竹林に音が響き渡った。実にこだまして聞こえること五度。その後、印を切り、結び、両手を前に押し出すと、たちまち陰炎が妖夢を襲う。妖夢、これを敢えて避けず、ただ腕で目を護るように構えるのみ。
その一瞬の後、妖夢の顔を上げた先に見えるは、藤原妹紅ただ一人にあらず。
地より轟きうねり狂う獰猛なる大蛇・生臭く温かい吐息が陰炎となって漂い来るほどのおぞましき夜叉・見るも恐ろしく鳥肌が立つような気味悪き大蛾。どの化物、一匹をとっても、身の丈は三丈(十メートル)を越すほどにある。
妖夢:(なんということか!! 蓬莱人は、このような悪鬼羅刹までしたがえるというのか……)
飄々として、不気味に笑みを携える妹紅。
妹紅:「ふふふ。確かに剣術忍術を私も収めているのは事実だが、むしろ真骨頂はこちらのほうでね。輝夜にしか見せたことがないとっておきさ」
悪鬼羅刹を前にして、妖夢は背中に冷たいものが伝わるのを感じた。
妖夢:(あの者ども……鬼にも肉薄せんとするか)
固唾を呑む妖夢であるが、妹紅のその口に、あの大煙管がずっとくわえられていることに気がついた。
妖夢:(いや、もしや、あるいは……)
妖夢は構えを解き、ただ白楼剣の一振りのみを持つ。そうして、自らの首筋に刃を這わせ、シュッと引くと、その刀身には薄く血が塗られたのである。そうして何らの力みなく、妖夢が悠然として大上段に構えるその速さは刹那にして、見るものには時が止まっているかのように感じられた。そうして剣を振り下ろすと、たちまち血が一条の光となって、紅く眩く陰炎を裂く。すると、あたかも氷の朝日に合うが如く、煙は四大分散して晴れ、羅刹は消え、ただそこにあるのは、一人蓬莱の人の形、藤原妹紅だけであった。
妹紅:「我が幻術を破るとは、お見事!!」
賞賛の拍手が響き渡る。周りを見渡せば、そこはなんと、藤原妹紅の邸宅からどれほども離れていない場所であった。
妖夢:(そうか!! 妹紅さんは、最初から、私を幻術にかけるための下準備をしていたのだな。そこに、私は招かれて、罠に落ちたというわけか。あの薬湯も、確かに滋養の薬には違いないが、血の巡りを良くして、幻術のかかりを良くするためのものだったのだ)
慧音:「いったいどうしたというのだ? 何やらぼそぼそと独り言を言いながら外に出たと思ったら、いつの間に戦いが終わったのだ?」
妹紅:「ははは、実はかれこれ、こういうことでな。まぁ、そういうわけさ」
慧音:「全く。お前が正々堂々の戦いをしたいというから、私は足を棒にして、薬草を取りに山まで行ったというのに」
妹紅:「いや、これはすまなかった。しかし、敵を欺くにはまず味方からというからな」
そんな二人のやり取りを見守りながら、妖夢は妹紅の見事な幻術に感心する一方で、どこか物足りないものも感じるのだった。
妖夢:(やはり……真っ向から、達人との一騎打ちをしたかった。それこそ例え、私が敗れることとなっても……)
しかし、その考えが、破滅をもたらす危険なものであることに気がついて、妖夢は「バカな考えだ。」と、忘れることにした。
紫:「ふふふ、真っ向勝負にも打ち勝ち、搦め手もきかぬ。恐れ入ったわ、妖夢。さぁ、残り二番。破竹の勢いで打ち破って見せなさい」
妖夢:「ハイ!!」
剣術十番勝負。八本目、対藤原妹紅。魂魄妖夢の勝利。
九 対 寅丸星
スキマに誘われて出でた先は、ただ荒涼として広がるばかりの岩場であった。
妖夢:「このような岩石砂漠が幻想郷にあるとは知りませんでした」
紫:「ふふふ。幻想郷は、人々の忘れ去られたものが到来する場所。およそ無いものが無いと言っても良いくらいの場所ですわ」
妖夢:「なるほど」
紫:「今回の相手は、少しばかり、人目を気にするものでね。ここで対決してもらうことになったのよ」
妖夢:「そうですか。了解しました。して、相手は」
星:「私です」
そうして、小高い岩の丘より飛び出でて来るのは、寅丸星。毘沙門天が地上に遣わせた僕である。
妖夢:「あなたが相手ですか。意外と言えば意外ですが……当然と言えば、当然でしょうか」
紫:「ふふふ、たまには息抜きではないけれども、武門の誉れとしては、そういう気持ちになるのは当然ですわ」
星:「お恥ずかしい話です。しかし、これも哀れな畜生の性と思って、お相手いただきたい」
妖夢:「こちらこそ、毘沙門天が遣いとあらば、刃を交わらせるのはこの上なく名誉なこと。正々堂々と戦いましょう」
星:「そう言ってもらえると、この背中に伝う冷たいものも引くというものです。さぁ、いざ尋常に」
妖夢:「ハイ!!」
そうして、妖夢が両刀と星が真槍とが火の粉散らして結び合う。互いに武芸の華を咲かせ、技数多披露して、その見事さに心躍らし、あたかも肝胆相照らし合うが如き気持ちがする。
その姿を見て、微笑を携える紫が傍に、音も無く出でるは小さな賢将。ナズーリンである。
ナズ:「やれやれ、何だか様子がおかしいと思っていたら、こんなことをしてたのか」
紫:「あら。これはこれは。お勤めご苦労様です」
ナズ:「まぁ、ご主人の監視が私の役目だからね」
紫:「彼女の行いを咎め、ご報告なされるのかしら?」
ナズ:「……まさか。こんなの、逢引と変わらないじゃないか。やれやれ。嬉しそうな顔をしちゃって。あれかな。剣で語るって言うのかね……」
紫:「ふふふ。えぇ、そうでしょうね。妖夢もすっかり、楽しそうで。でもねぇ、参ったわね」
ナズ:「何がだい?」
紫:「これじゃ、死合にならないわ」
ナズ:「まぁ、そりゃ、仏門に挑んで死合になるわけがないよ。虎の子のじゃれ合いってところだね。かわいいものだよ」
紫:「えぇ、本当に……」
そうして、妖夢と星が剣檄を結ぶこと一刻。妖夢、剣の柄で星の腹を強か打つと、もう一方の太刀の柄ごと顎を打ち上げる。そうして星がしどろもどろになったところを狙って、刃を首筋に当てる。
星:「ま、参った。急に動きが変わりましたから、困惑させられてしまいました」
妖夢:「今のは拳闘術で、シャトル・ブローという技です。腹部と顔面への攻撃を交互に行うことで、相手を混乱させる効果的な攻撃方法です。それを、剣技としてアレンジしました。最初の一撃を柄での肝臓打ちにしたのも、肝臓への攻撃は痛みが大きく、悶絶せざるを得ないためです」
星:「いや、全くお見事でした。まさか、舶来の拳闘術まで研究されているとは。あなたのような武士に敗れたとしても、決して不名誉にはなりません。これほど心地良い敗戦は初めてです」
妖夢:「過分なお言葉、勿体無い限りです。今日の勝利は、私にとっても格別なものです。猪口才な技に頼り、武運あって勝利を収めることができましたが、次は分かりません。また、お手合わせ願いたいと存じ上げます」
星:「えぇ!! こちらこそ!!」
そうして、二人は互いに礼を尽くして別れることになった。清々しい勝負。肉体の疲労と流れる汗の心地良さ。満足。そう、満足に違いない。違いないのだが、どこか、寅丸星は、非常な空しさを心の中で感じるのだった。
星:(……バカな。私は仏門に帰依した身。剣檄を交わらせ、武芸を競うことはあっても、生死を賭けた死合を望むなどはあってはならぬことだ。それどころか、勝敗を競う心だにあってはならぬもの。慎まねばならぬ。抑えねばならぬ)
そう、自らの奥底から滾り沸く獣性に目を瞑り、耳を塞ぐ星であったが、そのとき、傍らより呟く悪魔の囁きを聞いたのであった。
紫:「あら、本当にそれで良いのかしら?」
八雲紫が、スキマを通じて語りかけるのである。
紫:「えぇ、結構なことでしたわ。全く、素晴らしいお遊戯で。しかし、あれが本当に武門の真骨頂と言えるかしら? 最初から、敗れることを決めてかかった、形ばかりの試合にね」
紫の指摘は当たっていた。星は、この勝負を受けたときから、必ず敗北することと決めていたのだ。
紫:「ねぇ、あなた。そういう、勝敗にこだわらない姿を、もしかして尊いものと思っているのかも知れないけれど……本気で死合を望み、果たしてなく上を目指し精進を積み重ねる武士に対する姿勢としては、むしろ相手を侮辱するものになるとは思わないかしら? ホラ、御覧なさい。妖夢の後姿を。どうかしら? ここに来るときは、覇気で滾っていたのに、今ではすっかり、気が衰えてしまっているわ。萎えちゃったのよ。あなたの姿勢に、ね。それを、武門の誉れと、はてさて、毘沙門天も思うものかしらね」
その言葉に、寅丸星は苦悶した。
星:(確かにそうだ。もし私が彼女の立場であったならば、どうであろうか……)
紫:「私はね、あなたに怪物の本性を曝け出せと言っているわけじゃないの。努めて理性的に考えて欲しいのよ。道理を言うならば、むしろあなたは、その本領を発揮すべきではなくって? そう、妖夢の心意気に応え、毘沙門天の名誉を守るために……」
そう紫に誘われると、星は頭の中が、段々と白けていくのを感じた。考えはまとまらず、ただただ、脳裏深くに眠っていた、自己の本当の姿がちらつくのである。
八雲紫の言葉を、黙ってつっぷして聞いていた星であったが、ついに頭をもたげた。見張った目は異様に輝いている。
そして一言。
星:「私の、全力を見たくはありませんか」
その言葉に、妖夢はやおら振り返る。
妖夢:「全力、ですか」
星:「はい。私は、まだ全力を尽くしてはおりません。それを、見たくはありませんか?」
妖夢:「いったい、どういうことでしょうか?」
そう問い返された星は心が激してしまっていて、言葉はしどろであったものの、おおよそこんなことを答えたのである。
この度の戦いに挑むに当たって、自分は最初から敗北するものと決めていたこと。しかし本来、武士の戦いにおいて敗北とは死を意味するものであること。また、武門である以上は、強敵と出会い、敗れ死ぬことは、無念であっても恥ずかしいことではないものであること。
よって、元来死合に挑むべき姿勢としては、首尾よく勝利して相手の首級をあげられれば好し、神武不殺の境地に達すればなお好し、万一敵に討たれたとしても、それはそれまでであって、戦場の露と消えるも好し、同胞が仇を討ってくれればそれもまた好し、いずれにしても遺恨は残らぬのであるということ。
ところが、今回は、武門の誉れとなる一戦を約したにも関わらず、はじめから負けを定めるという、なんとも愚につかぬ姿勢で勝負に挑んでいたのである。これは、もっとも恥ずべきことであるし、またもっとも相手を屈辱するような振る舞いであるから、潔く自刃するが筋ではあるが、その汚名を返上せずに死ぬことはできぬから、再度機会を恵んで欲しいとのこと。
そばで控えていたナズーリンも、この星の言葉には黙っているよりほかにはなかった。
紫は一人、満足げに微笑んでいた。
妖夢は目を瞑りながら、星の言葉を聞いていたが、涙は頬を伝って流れていた。
妖夢:「……正直、その言葉をお待ち申しておりました。此度の戦いは、実に清々しいものでありました。しかし、あまりにも清きに過ぎておりました。それ故に、人間の腹の底から湧き出るような想いが、どこか欠けておりました。それでは、生命の息吹きを感じられぬのです。それを、私は、物足りなく感じるのです。あぁ、それが、私一人ではなく、あなたさまと共有されるものであったことが、本当に嬉しい。いざ、慎んで毘沙門天が地上の遣いの真髄を、この不肖魂魄妖夢、お受けいたします!!」
その晴朗快活な返事に、寅丸星は蘇った思いをした。
星:「まこと、光風霽月の感が致します。あなたのような武士と死合うことができて、私は本当に幸せものだ」
そういうと、寅丸星はふところより宝塔を取り出した。
そうして、天上に高々と振り上げると、容貌を巨大な猛虎に変えて、一飲みに飲み込む。すると、全身黄金に眩く輝き、またたくまに身の丈、実に四丈(十二メートル)ほどもある巨大な虎に変貌したのであった。
ナズ:「な、なんということをするのか!! ご主人、気は確かか!!」
紫:「ふふふ。さて、どうしたことでしょうか。なるほど、どうにも平生の彼女を見ていると、今日のことは正気の沙汰とは思えませんね。あるいは、悪い妖怪に誑かされでもしましたでしょうか……」
ナズ:「く、き、貴様……」
紫:「さて、なんであれもう、戻れはしません。後はただ、二人の死合を見守るだけ。そうでしょう?」
ナズ:「ふん、死合? そんなものにはならないよ。矛を取ってのお遊びならばまだしも、ご主人が真の力を見せたんだ。あるのはただ、一方的な虐殺だけさ。後悔するよ、妖怪の大賢者さん……」
紫:「さぁ、果たしてどうかしら……」
遥かに見上げる怪物を前にして、魂魄妖夢の燦々と輝く眼はどうか!! それどころか、その口元には笑みすら萌しているように見える。
その妖夢が鷹揚に、毘沙門天が化身は、轟き声を上げて応える!!
妖夢:「まこと見事な有様よ。この勢力旺盛なるは如何。ただこうしてその前に立っているだけで、精一杯だ!!」
ナズ:「な、何が精一杯な顔だ!! コイツ、もしかして楽しんでいるのか? おかしいなんてものじゃない。分かるだろう? 格が二つ三つ違うんだ。勝てっこないんだよ。殺されてしまうんだよ」
紫:「なるほど、それも道理ね。では妖夢、問いましょう。かかるとき さこそ命も惜しからめ」
妖夢:「武士と生まれし 誉れ知らずば」
ナズ:「と、とんだ死狂いだ……」
妖夢:「もとより、死合ならば死ぬも当然!!」
紫:「ふふふ。達人への道ならば、絶命の境地を脱するくらいのことはしてもらわないと。一流とはいつの時代も、不条理を越える使命を帯びているものよ」
妖夢:「さぁ、死地へと赴いた後は、ただひたすらに死力を尽くして戦うのみだ。魂魄妖夢、推して参る!!」
そう掛け声を上げると、妖夢は疾風を纏って大虎へと斬りかかった。
全力での一閃、確かに敵を裂いた。が、その鋼の如き体毛に阻まれ、ほとんど傷をつけることもできなかった。
しかし、その事実に色を失うどころか、むしろ猛然と気焔を増して襲い掛かる妖夢。
紫:(見事なり!! 戦いの道は、一に心、二に力、三に技ともいわれるほど、心の強さが肝要になるもの。平生はどうであれ、死に挑んで冷静さを増すか、あるいは勇気百倍して燃え上がるような人物でなくては真の達人とはなり得ない。普段はちょっと気弱で幼いように見えるところがあっても、いざとなればこの威勢。なんと直く逞しき性か!! まこと、魂魄流の跡継ぎに相応しい……)
ナズ:「どういうことだ? 力の差は歴然。アイツは先ほどから威勢よく、幾度も踊りかかってはいるが、一度も傷らしい傷をつけるには至っていない。むしろ、何度も手痛い反撃を受けているくらいだ。それなのに、どうして攻勢が止まない!! いや、止まないどころか……どんどん、その勢いは激しさを増しているくらいだ!!」
紫:「簡単なことよ。これほどの力量差があるのだもの。次の一撃はいままでよりも重い一撃でなくては、死ぬ。まともな反撃の機会を与えても死ぬ。攻勢に出る暇を与えても死ぬ。死なないためには、前よりも優れた一撃を、続けて打ち出すしかないのだから」
ナズ:「な、なんだそれは!! そ、そんな状況、そんな状況……逃げるしかないじゃないか!!」
紫:「逃げても死ぬんだから仕方ないでしょう!! 窮鼠猫を噛む、よ。窮地に一生を見出すしかないの。まぁ、そんなに喚かないで、静かに観戦していなさい」
妖夢の攻勢は、まさに獰猛颶風(ぐふう)と呼ぶべき勢いで、鬼神が乗り移ったかのようであった。しかも、それにも関わらず、その技の多様であるために、同じ攻撃は二度用いることがないのであった。剣術はもとより、時には創術や斧術の応用技をも見せ、それに暗殺術をはじめとする諸種の体術を組み合わせるのだ。間合いの取り方、力の入れ方、回避の仕方、虚の衝き方……複雑に絡み合っていて、次の一手がほとんど予想不可能なのである。
これがために、寅丸星は反撃に転じかねていた。
凄まじい勢いと、巧みな技術に加え、魂魄妖夢の攻撃が、悉く急所を狙ってくるために、油断ならないのだ。得てして優位にある場合には、危険を冒すを好まないものである。それは当然の選択なのだが、その当然の選択を取るが故に、あまりにも多くの機会を失してしまっていることに、寅丸星は気がついていなかった。魂魄妖夢は、実のところ、寅丸星が無理矢理に攻めに転じてきたならば、相打ちにすることすらもできないほどに、格下の相手だったからである。しかしその実力差を、気魄によって埋めた、この魂魄妖夢こそ見事と讃えるべきであろう。
紫:「見事なり、魂魄妖夢。その勇姿、確かに見届けました」
その八雲紫が言葉と同時に、妖夢の膝がガクンと落ちた。気力・体力の限界が訪れたのだ。すなわち、「詰み」である。彼女はもはや、かろうじて地に突き刺さった剣で身体を支えている状態である。
その隙を、寅丸星が見逃すわけもなく、神機到来と飛び掛る。
寅丸星が右に横薙ぎ、魂魄妖夢は横転して地に臥した。
ナズ:「あぁ!! 勝負あった!!」
そのときである。
星:「ぐぉおおおおおおおお!!」
寅丸星が、雄叫びを上げて悶え苦しみはじめたのだ。
ナズ:「こ、これはどうしたことだ!!」
紫:「見事よ、妖夢!! これぞ魂魄流必殺の無明逆流れ!!」
魂魄妖夢の誘引の計である。
迫真の連撃から予想される限界を囮とし、寅丸星の攻撃を誘ったのだ。その攻撃に対し、回避しながらの一撃をあびせる技が、無明逆流れ……ある盲目の天才剣士が編み出した秘儀をも、魂魄流剣術は収めているのだ。
紫:「立て!! 立つのよ妖夢!!」
右腕をほとんど断絶させられた手負いの虎に対して、追い討ちをかける絶好の機会のはずだが、魂魄妖夢は臥して動けなかった。魂ごと浴びせかける一撃を、幾度となく放った後である。全身の筋肉がこれ以上の運動を拒絶したのだ。
その妖夢を見て、怒り心頭に目をぎらつかせるのは寅丸星である。
妖夢:(万事休すか……!!)
そう妖夢の諦観と、寅丸星の追撃とが交差した直後、遠く、遥か遠くより、空気を裂いて二人のもとへ迫り来る炎の塊があった。
大空には雲ひとつない。風はただ僅かに砂を巻き上げるのみである。にもかかわらず、どうしたことであろうか。雷鳴が轟き、鳴りはじめたのである。
あの火の玉は何であろうか? 隕石か? 魔弾か? それともやはり、雷なのであろうか?
いや、あれは……超人聖白蓮である!!
聖:「南無三!!」
そう、凄まじい掛声とともに、落星の如き勢いで飛び蹴りを寅丸に食らわせる聖白蓮。星はその場から一キロほど先にある岩盤に叩きつけられ、めり込んで動かない。聖白蓮は真の達人……人外の獣を蹴り飛ばし、彼方大岩にめり込ませるのは、人越の超人の業である。
それを目の当たりにした妖夢の驚き。
妖夢:(こ、これが……真の達人!! 達人の中の達人、命蓮寺の聖白蓮が本気の一撃か!!)
妖夢は驚嘆のあまり言葉を失った。そうして聖白蓮の姿を直視するだけで、身動きが取れなくなった。祖父を彷彿とさせるほどに凄まじい気合を感じるのだ。
聖:「はぁ……その姿は、決して暴かないと誓ったはずですが。困ったものですね、星」
そうして、妖夢を見る聖。目が合わさると、妖夢は全く呼吸ができず、ただただ意識を失わないように歯を食いしばるばかりである。
聖:「まぁ、星にキツクお灸をすえるのは後にしましょうか。それよりも……見事ですわ、魂魄妖夢。まさか、本気の星に手傷を負わせるとは。あなたもそろそろ達人の域かしら」
そう言う聖からは、先ほどまでの凄まじい気魄は感じられなかった。むしろ親しみやすい雰囲気があるのだ。こうして気を自由自在に操ることができるのもまた、達人の業である。
ナズ:「お、遅いじゃないか!! 聖」
聖:「これでも音速を越えるスピードで来たのですが、何はともあれ心配だったでしょうね、ナズーリン。しかし急いで来たおかげで、服もこんなになってしまって……困りました」
事実、音速を超えて来た聖の衣服は全て燃え尽きてちりとなってしまっていたのだった。
紫:「ふふふ。さすがは脱いでもすごいのね。肉体美もここまでいくと、いや、私も負けを認めざるを得ませんわ。さぁ、これをどうぞ」
聖:「あら、ありがとうございます。さすがに裸は恥ずかしいですから、助かります。しかしあなたのような美しい人に褒められると、私のような者でも嬉しく思います。しかし……ふふ、便利なのですね、その能力」
紫:「えぇ。大変、重宝しておりますわ」
聖:「さぞ、悪い企みも多く起こせることでしょうね……」
紫:「ちょっとした、悪戯くらいには」
ナズ:「あ、そうだ聖!! コイツだ、コイツがご主人をけしかけたんだ!!」
聖:「なにやら、事情がありそうですね」
紫:「別に。特別なことはありませんわ」
一触即発の雰囲気。しかし、そこに割って入るものがいた。
星:「彼女の言う通りです、聖。別に、この妖怪は関係していません」
ナズ:「ご主人!! 大丈夫なのか??」
星:「かろうじて。幸い、肋骨にひびが入って右肩が外れて右腕が骨まで断たれてしまって後は全身痣と切り傷だらけになるくらいで済んだみたいだ」
ナズ:「ぜ、ぜんぜん大丈夫じゃないじゃないか!?」
星:「それよりも聖。今回のことは、私が妖夢さんとの死合を熱望し、そうして禁を破ったのです。彼女は関係ありません。これは、私一人の問題です」
ナズ:「ちょっと待ちなよ、ご主人」
星:「いいんだ、ナズ。私は、妖夢さんと死合えてよかったと思っている。後悔なんてない。その思いに偽りがない以上、これは誰の意思でもない。私の意思で行ったことだ」
そうして、聖と星とは互いの眼を見合ってしばし動かなかった。そうしてしばらく、聖は溜息混じりに言う。
聖:「そう。哀れな畜生の性だこと。しかして阿弥陀の如是は畜生にも及ぶもの。過ちを責めても仕方ありません。これよりは、いっそうの仏道修行に励みなさい」
星:「はい!!」
そうして、妖夢と星は顔を見合わせ、互いに笑みをかわすのであった。
その、晴れ晴れとした二人の顔付きを見て、何の言葉も言い挟む余地があるわけもなく、ただただ、これが武門の交わりよと、思い知らされるのみである。
聖、星を担ぎ、ナズーリンとともに寺へと帰る。
三人を見送り、遠くに後ろ姿を見守る妖夢と紫。
紫:「よくやったわ、妖夢。絶命の危機。窮地に活を見出すの精神を、しかと見させてもらいました」
妖夢:「そんな……この度の死合、私は間違いなく敗北していました。これは負け戦です。そうしてそれは、戦う前から明らかでした。それなのに、正直なところを言えば、私は死を前にして喜悦を見出したのです。全然生死を度外視してしまったのです。こんなことは、もってのほかのことです。冷酷な死生を分かつ戦いを前にして、そんな感情は何の特にもなりません」
紫:「ふふふ。そうかしら? 事実、あなたはこうして、友軍の救援、あるいは敵軍の内乱に乗じて、敗北を引き分けにすることができた。これは、勝ちにも等しいことではなくて?」
妖夢:「それは、結果論というものです」
紫:「そうでもないのよ。絶望は、何も肯定的なものをもたらさないわ。それよりは、楽観過ぎるところがあっても希望のほうがよっぽど良い結果をもたらすものだわ。それに、世の中には、負けると分かっていても戦わなくてはならないときがあるものなのだから……まぁ、何はともあれ、欠点を大いに補って余りあるほどの長所を確認できた一戦でした。百戦にもまさる戦果があったと言えましょう。ご苦労さま」
妖夢:「ありがとうございます」
紫:「十番勝負、九本目。対、寅丸星戦。魂魄妖夢の勝利よ。さぁ、いよいよ十番勝負もおおとりになったわね。気を引き締めて、挑みなさい」
妖夢:「ハイ!!」
十 対 魂魄妖忌
十番勝負も、最後の一戦を残すのみとなった。日も暮れかかり、赤々とした夕焼けに今日一日を思い返す。
妖夢:(あと、一戦か。何の因果と思ったこの十番勝負であったが、思いがけず充実したものとなった。この十番勝負を乗り越えたということが、あるいは、私にとって、大変な記念になるかも知れない)
そんなことを思いながら、スキマに誘われ出でた先は、広さこそ白玉楼とは比べるべくもないが、こじんまりとしていて見事に整った庭園を持つお屋敷の中庭であった。
周囲を見渡し、庭の造りを見ると、妖夢は驚愕した。
妖夢:「こ、これは……間違いない!! この庭の造りは、お爺さま。お爺さまが造営なされたのだ」
紫:「如何にも。この庭を造ったのは、他ならぬ妖忌です」
妖夢:「も、もしや……もしや紫様!! お爺さまが、ここにいらっしゃるのですか!!」
紫:「さて、どうかしら……」
紫がものあり気な顔で庭園作りを見やると、妖夢は焦らされてしまって仕方がない。
妖夢:「紫様。もしや、もしやと思いますが……この十番勝負の最後の相手は、まさか、お爺さまなのではありますまいか!!」
そう、妖夢が紫に問いかかると、
妖忌:「全く。煩いヤツじゃ。そんな大声を出すでない。みっともないぞ」
そうたしなめる声がする。姿を現したのは、他ならぬ魂魄妖忌であった。
妖夢:「お、お爺さま!!」
妖忌:「煩いと言うたが聞こえなんだか? このたわけが。本当に、お前はふつつかな女じゃ」
妖夢:「う……申し訳ありません。しかし、お爺さまも悪うございます」
妖忌:「ほぉ? なんじゃ?」
妖夢:「急に家を出られて、それぎり便りもありませんでした。あんまりではありませんか」
妖忌:「なんだ、そのぐらいのことで喚き散らしおるのか。まったく、かしがましい。女子のそういう性が、わしは嫌いじゃ」
妖夢:「女だからとか、そういうのは関係ないではありませんか」
妖忌:「やれやれ。そう、噛み付くな。全く、静かにせい」
妖夢:「むぅ……」
そうして妖夢と妖忌が二人、久しぶりの談笑を楽しんでいると、紫は何も言わずに距離を置き、一人庭の趣を見て楽しみはじめ、気がつけばどこかに消えているのだった。
妖夢:「あれ、紫さまは?」
妖忌:「ふむ。お一人で、庭を見てまわっていらっしゃるのだろう。やれ、気を使わせてしまったかな」
妖夢:「……紫様も、お優しいところがあるのですね」
妖忌:「ハッハッハ。なかなか、お前も言うようになったな」
そう言われると、なんだか妖夢は気恥ずかしくなって顔を赤らめる。だがこうして、祖父との久しぶりの再会を楽しんでもいられない。どうしても、確かめねばならぬことがあるからだ。
妖夢:「ところで……お爺さま。もしや、と思って伺うのですが」
妖忌:「おう、なんだ」
妖夢:「もしや、お爺さまが、剣術十番勝負、最後の相手でありましょうか」
妖忌:「ふふふ……そうだ、と言ったら?」
妖夢:「……お戯れを。妖夢如きでは、お爺さまの足元にも及びません」
妖忌:「はてさて。どうかな。それに、だ。例え勝てぬと分かっていても、戦うより他にないときというのもあるものじゃ」
そういうと妖忌は、妖夢と距離を取り、真向かいに対峙するのであった。
妖忌:「妖夢。剣を抜け」
妖夢:「本気ですか……」
妖忌:「ふふふ、本気も本気じゃ。もし、お主が剣を抜かぬというのならば、わしが一太刀にお主を斬るまでのことじゃ」
そういうと、妖忌は太刀を取り、上段に構え妖夢に向かい合う。
その姿を見て、妖夢は二つの相反する考えが頭に浮かんだ。
妖夢:(この構え……間違いない。何度も見た、あの威風堂々たる上段の構えだ。しかし、お爺さまが剣を取る? おかしい。お爺さまは、お爺さまは……獲物を握ることなく、殺気のみで相手を昏倒させることすらできる恐るべき達人だ!! あの構え、確かにお爺さまと寸分違わぬが、太刀を持ったお爺さまと対峙して、私風情が気を確かに持てるわけがない!! もしや、これは、私を試してのこと? いや、あるいは……)
そう考え至ると、妖夢は全身から気を発した。例え妖忌に遥か及ばずといえでも、妖夢が覇気も達人の域に肉薄している。この武威を前にして、無反応でいられるものは、よほど死生を度外視したものか、遥か格上の存在だけである。
妖夢はこう考えたのである。
あるいは祖父は、妖夢がどれほど成長したのかを知りたいのではないか。ならば、何も剣を握る必要はない。気当りだけで、力量はうかがえるからだ。また、もしかすると、この祖父が幻であるかも知れぬ。そうであれば、なおさら、この気当りが勝負を明かす端緒となるだろう、と。
するとそのとき、「うっ!!」と妖夢の後方から、驚き慌てる声がした。これを妖夢が見逃すわけがない。
すぐさま反転し、剣の柄で強かに相手の胴を討った。
するとその目の前にいるのは、腹部を手で押さえて悶絶している、八雲紫の姿であった。
妖夢:「ゆ、紫様!! あ、あわわ。申し訳ありません。まさか紫様がお戯れにこのようなことをなされるとは……」
紫:「いたたたたた。参ったわ、妖夢。降参よ。ちょっと手を貸してちょうだい」
さっと紫の傍にかけよった妖夢だが、おや? と小首を傾げる。
妖夢:(紫様は身嗜みに大変気をつけられるお方で、特に香水には念を入れていらっしゃる。時には清水に香木を浸したほどの、にわかには分からないほどの薄い香水を付けられることもあるが、今日のように一日外へおいでの場合には、どちらかと言えば香りの強いものをお召しになさるのが常だ。しかし……その香りがしない)
奇妙に思った妖夢は、少し紫から距離をとって問う。
妖夢:「失礼ながら紫様。先日、幽々子さまがお求めになられた外来の品は、何でしたでしょうか?」
紫:「な、何を言っているの妖夢? そんなの、忘れちゃったわ。そんなことよりも、ホラ。お腹が痛くって立てやしないわ。痣になっちゃったかも知れない」
妖夢:「紫様はご聡明な方で、十年でも二十年でも前のことを、昨日今日のように覚えていらっしゃるお方です。それこそ、小さい頃の恥ずかしい話や人の失敗談を語ることが大好きなくらいに(霊夢にはそれで大分嫌われたというのに止めないくらいに)!! それが、先日幽々子さまがお求めになられたものを忘れるわけがありません。紫様に化けて、私を謀ろうとするあなたは何者ですか!!」
そう言われると、降参して姿を現すのは、封獣ぬえである。
ぬえ:「うう、もう少しだったんだけどなぁ」
そう言って、ぬえが目配せをする先にいるのは妖忌……であったはずの、二ッ岩マミゾウ。そう、十番勝負最後の相手は、魂魄妖忌に化けた二ッ岩マミゾウと、八雲紫に錯覚させた封獣ぬえなのであった(より正確に言うならば、マミゾウが自身とぬえを変化させて、その変化が見破られないようにぬえがその能力を用いて細かい部分を誤魔化したのである)。
マミゾウ:「うむ、うむ。わしら二人の力をあわせても騙すことができぬとあらば、これはたまらん。降参じゃ」
そうして、勝敗が決すると、八雲紫がスキマ開いて出迎えに来た。
あらためて周囲を見回すと、なるほど、良い屋敷・良い庭園に違いないが、もしこれが本当に祖父の手によって造営されたとなると、いかにも手緩い。悪くはないが、どこか真に迫るところがない。あるいは意外性がない。厳格な妖忌は、確かに奇抜な発想をすることはないが、その博識と賢察を働かせ、非常に有名な型の模倣を、意外な場面で用いたり、あるいはそこに意外な調整を加えるのである。そこに、驚きがある。活眼させられ唸らされるような、そういう見事さがある。
それが、この庭にはない。だから、緊張を感じない。よくよく眺めて、ハッとさせられる何かがなくては、これを祖父の手によるものとは到底思えないのだ。
妖夢:(所詮、封獣ぬえが謀って見せた幻影か……)
そう思うと、どこか空しい気持ちがする一方で、やはり、祖父の偉大さを思わざるを得ない妖夢であった。
紫:「しかし、化けた姿だったとはいえ、私に暴力を振るうなんて……酷いわ、妖夢」
妖夢:「も、申し訳ありません……」
紫:「恨まれてるのかしら……」
妖夢:「そんなことありませんって!!」
剣術十番勝負。対 二ッ岩マミゾウ・封獣ぬえ。魂魄妖夢の勝利。
十一 対 魂魄妖夢
紫:「さて、これで十番勝負、全てに勝利したわけね。見事だったわ、妖夢。魂魄流の真髄、しかと堪能させてもらいました」
妖夢:「いえ、そんな。私などはまだまだ至らぬばかりで……」
紫:「ふふふ、謙遜は必要ないわ。此度の試練は、そもそも妖夢が達人としての域に達しているかどうかを試す儀式だったの。十人の猛者に勝利した後に、免許皆伝の証として、これを渡すようにというのが、先代妖忌からの言付けなのよ」
妖夢:「そ、そうだったのですか」
紫:「えぇ。さぁ、どうぞ受け取りなさい。これで貴方は、魂魄流剣術の師範代。晴れて達人を名乗れるようになったのよ」
妖夢:「ははぁ!! 慎んで、ちょうだいいたします」
紫:「うふふ。妖怪の大賢者、八雲紫が確かに授けました。これより、努、魂魄流剣術師範代の肩書きの重さを忘れるなかれ!! ……まぁ、とにかく、おめでとう」
妖夢:「ありがとうございます」
紫:「さぁ、それでは、早速幽々子のところへ帰りましょうか。私も、何が書かれているのか、楽しみだしね」
妖夢:「はい!!」
そうして、八雲紫と魂魄妖夢は、白玉楼へと戻ったのだった。
白玉楼。
そこには、一人庭に咲く白梅の香を、風伝いに楽しむ西行寺幽々子の姿があった。
八雲紫と魂魄妖夢の帰り来るのを見て言う。
幽々子:「妖夢、お帰りなさい。その様子だと、見事に十番勝負、全て勝利して来たようね」
妖夢:「はは!! 魂魄妖夢、確かに勝利して参りました。ここに、その証をご献上申し上げます」
幽々子:「確かに。妖夢、此度の働き、見事でありました。貴方の功績は格別にして、広く幻想郷中に、西行寺家の名を知らしめることになりました。また、魂魄流剣術が、名立たる剣術流派の中でも白眉中の白眉であることを明らかにいたしました。歴代の師範代も、さぞや喜んでいることでしょう」
妖夢:「勿体無いお言葉、恐悦至極と存じ上げます」
幽々子:「妖夢、これは褒美として遣わします。受け取りなさい」
妖夢:「慎んで、頂戴申し上げます」
そうして、免許皆伝の証は、再度妖夢の手に渡されることになった。
幽々子:「これよりあなたを、兵衛督(ひょうえのかみ)に任じます。またこれより、西行寺の姓を名乗ることを許します。魂魄は由緒ある家柄ではありますが、まだあなたを若輩者と侮って、その命に従うを潔しとせぬ者もありましょうから」
妖夢:「はは!! 格別のお許しを賜りまして、恐悦至極と存じ上げます!! これより、西行寺兵衛督妖夢として、主の名を穢すことなきよう、いっそうの精進を積み重ねてまいる所存にございます」
幽々子:「期待していますよ。さぁ、それでは、早速巻物をお読みなさい。そうして、教えてちょうだい。妖忌が、貴方にどんな言葉を残したのかね。私も、興味があるんだから」
妖夢:「はい、それでは……」
そうして、巻物の封を解くと、そこにはただ一文、次の言葉が記されていた。
「師はたづきなり。たどり行くには、いかで我がさす枝折のほかに習いやあらん」
妖夢:「こ、これは……」
幽々子:「うふふ、如何にも妖忌らしいわね」
紫:「もうちょっと、何か言葉があっても良いのにね」
幽々子:「あら、そんなことないわよ、紫。これで良いのです。妖忌はこれで、ね……」
紫:「そうなの? まぁ、幽々子がそういうなら、そうなのね」
そういう紫と幽々子のかたわらで、妖夢は困り顔で考えるばかり。
幽々子:「あら、分からないかしら? 妖夢?」
妖夢:「……つまり、剣術の道において、師となる人はただその標を示す存在でしかない。ですから、後は我流で道を極めよと」
幽々子:「あら、もっと広く見ても良いのよ。妖忌は、もう妖夢は充分に鍛錬を積んだのだから、後は妖忌の背中を追う必要なんかなくって、自分なりの境地を目指しなさいって、そう言ってくれてるのよ」
妖夢:「そうでしょうか? 私は、また甘えるなと叱られているような心地がします……」
幽々子:「うふふ。それはまた、どうして?」
妖夢:「おじいさまは、大変厳しい方でしたから。ですから、こう、さらに魂魄流を発展させるために研究と精進を欠かすな!! とか、言われてるような……」
幽々子:「それはね、妖夢。言葉少ないのは、妖忌なりの優しさなのよ。男の人は、不器用だから。一つ一つ、手解きを与えるよりは、自由に創意工夫を働かせて修練できるように、ただ威厳のみで導こうとするのよ。それしかできないの。だから、敢えて道半ばで、妖夢に後事を託したのよ」
妖夢:「……なんだか、実感が湧きません」
幽々子:「まぁ、そういうものよね。妖夢は本当は、おじいちゃんに甘えたかったんだもんね」
妖夢:「そ、そんなことは……」
幽々子:「さて、事の真偽はさておいて、今日はすっかり疲れたでしょう? そうね、久しぶりに、私がそばでも打ってあげるわ。ぱぁっと宴会というのも良いけど、貴方、そんな元気もないでしょう? 紫も、食べて行くわよね?」
紫:「えぇ。久しぶりに、ご相伴に預かることにしますわ」
そうして、幽々子が自ら台所に立って生そばを打ち、紫が「ちょっと、お着替えしてくるわね」と言い残して八雲の邸宅へ去って後、妖夢は一人静寂たる白玉楼の広大無辺な庭を見るに、何か、実感を伴わない、不思議な落ち着き(あるいは静けさ)を感じるのだった。
今まで、必死になって追いかけていたものが、ある日ふと、消え去ってしまった、そういうあっけなさに対する、戸惑いとでも言うべきものである。
妖夢は、何だか夢でも見ているような気持ちで、巻物を再度、開いて見た。
やはり、ただ短く、「師はたづきなり……」と書かれただけで、他には何も書かれていない。
(それだけ? それだけなのか?)
そういう気持ちが芽生えるのは、幽々子の言う通り、甘えたい気持ちから来るものなのだろうか。それとも、当然の疑問により生じる考えなのだろうか。あるいは今日一日が、あまりにも激しすぎたためのギャップから来る戸惑いなのだろうか。
そういう自問を交えながら見る巻物だが、その巻末に、小筆にて書かれた二句の証道歌を見つける。
「江月照松風吹 永夜清宵何所為(こうげつてらしせうふうふく えいやせいしょうなんのしよゐぞ)」
唐の永嘉玄覚、禅宗の本義本旨を説いた七言百六十六句の詩のうちの百三句と百四句。
「月は明るく川の上を照らし、さわやかな松風は吹いている。この永い夜の清らかな景色は何のためにあるのか。何のためでもない、天然自然にそうなのである」
この一句を添えて置かざるを得なかった、祖父の不器用な優しさをみて、ぐっと熱いものが込み上げてきた妖夢は、やにわに庭に飛び出して、箒を握り、歯を食いしばりながら涙を堪えた。
しかし、それも堪えかねて、佇立瞑目すること暫し、潸然として涙下った。
魂魄妖夢が、心の底から認めて欲しかった人に、はじめて認めてもらえたときである。
そうして、例え、己の道を進めと言われても、やはり妖夢が後を追うべきは、祖父より他にはないとの思いを確信したのであった。
妖夢はこのとき、幽々子に暇乞いをし、妖忌が後を追い、その生涯をとして会得したる武芸の真髄を、改めて請おうと決心した。これが、はじめて妖夢にとって、師や主の意向に背き、己の意思を貫こうとしたときである。あるいは、そのことが、本当の意味における、免許皆伝の証だったのかも知れない。
跋
魂魄妖夢、十番勝負を終えて翌朝。朝餉を終え、一人庭を眺めながら煎茶を楽しむ主のもとへと参り請う。
妖夢:「幽々子様、手前勝手を申し上げて恐縮なのですが、暇乞いをしとうございます」
幽々子:「あら、どうして?」
妖夢:「師に、最後の教えを請うためであります」
幽々子:「でも、それは困るわ。貴方がいなくては、家内のことをするものがいなくなるもの」
妖夢:「冥界の民より集ってくださいませ」
幽々子:「でも私、身の回りに沢山の人がいると、落ち着かなくて嫌よ」
妖夢:「どうか、我慢をしてはいただけませんでしょうか」
幽々子:「う~ん……そうねぇ。小間使いに、橙ちゃんでもよこしてもらおうかしら。ご飯くらいは、そうね。たまには、自分で作るのもいいかもしれないわね。でも、お庭のことはどうしましょうか」
妖夢:「男衆から、集ってください」
幽々子:「殿方を入れたくはないわね。う~ん……そうだわ。あの蓬莱人なんか、伊達に長生きしてないでしょう。庭の手入れくらい、できそうね。本当は嫌だけど、仕方ないかしら」
妖夢:「それでは……」
幽々子:「あぁ!! 剣術指南役!! どうしましょうか?」
妖夢:「う、確かに……」
幽々子:「そうね。そうだわ!! 藍に来てもらいましょう。ついでに、その日は藍に家事をしてもらうことにするわ」
妖夢:「しかしそれでは、紫様がお認めにならないでしょう」
幽々子:「大丈夫よ。その日は、紫にも来てもらうことにするから」
妖夢:「本当に大丈夫でしょうか?」
幽々子:「えぇ。大丈夫よ。でも、一つ困ったことがあるわ。あなたを兵衛督に異例の大抜擢をしちゃったのに、すぐいなくなるなんてトンでもないことだわ」
妖夢:「存じております」
幽々子:「存じているのに行っちゃうの?」
妖夢:「ハイ。どうしても、行かねばならぬのです」
幽々子:「でもそれでは、世間が納得しないでしょう。それに、魂魄の家名を汚すことにもなりますよ? もちろん、西行寺の名も」
妖夢:「それを言われると、妖夢は困ります」
幽々子:「そうでしょう? そうねぇ。困ったわねぇ。あぁ、そうだわ。うん。妖夢、これは兵衛督としての最初の仕事よ」
妖夢:「ハイ? なんでしょうか?」
幽々子:「妖忌ったら、虎符(軍の司令官が持つ銅製の割符)を持ったまま出て行っちゃったのよね。あれがないと、西行寺家の軍司として、妖夢の面目が立たないでしょう? だから、これは命令よ。妖忌から、虎符を取り返して来なさい」
妖夢:「は、はい!! それでは、大命を拝し、慎んでお受けいたします」
幽々子:「えぇ。あんまり遅くならないようにネ。気をつけていってらっしゃい……」
そう言って、旅支度をするため、部屋へと戻る妖夢。
その姿を見送る幽々子。
幽々子は、優しき面して一人ごちる。
幽々子:「さて、ようやく妖夢も、晴れて一人前になったって感じかしら。良かった良かった。問題はお仕事のほうだけど、まぁ、どうせ兵衛督って言ったって、ほとんど近衛府にお仕事持ってかれちゃってて、妖忌がいなくなってからは私がずっと兼任していたくらいだし、なんとかなるでしょう。でも……はぁ、どうもしばらくは、仕事慣れしない人がたくさん来て、身の回りが落ち着かなさそうねぇ。これも仕方のないことと、諦めるしかないかしら」
そうして、しばらくは騒がしくも少し寂しい毎日を、西行寺幽々子は送ることになった。
月見れば 人ぞ恋しき その人も 同じ思いに 月ぞ見るらむ
例え遠く離れていても、この月の下、同じように互いを思って月を見ているに違いない……そう、慰め慰め、西行寺幽々子は魂魄妖夢の帰る日を待ち望むことになるのであったが、それは決して、彼女一人だけではなかったのである。
妖夢が思ったよりも強くて新鮮でした。
ところで聖姐さんの肉体美の証拠写真を(南無三
貴重な東方ガチバトルでした。
面白かったです。
こんな作風が想創話で読めるとは
これが初投稿という訳でなし、違和感抱いてる人もなしと元ネタとやらがそういうものなのでしょうか
ちょっと困惑から乗りきれなかったこともあり、評価は控えさせて頂きます
神子、依姫、豊姫で十番勝負ですね。
勝負の形式も色々とあっていいですね。
よく妖夢は未熟者と言われますが個人的にはこのくらいの強さがあって欲しいなと思っています。