「……さぶっ、っていうんだろうな~人間とかだと」
幻想郷がうっすらと雪化粧を始める頃。
朝三時という深夜と早朝の境界がありそうな時間帯に、せわしなく動く人影があった。
足取り軽く歩き回るのは、命蓮寺の住人、正体不明妖怪のぬえである。
太ももまでしか長さのない衣服に身を包み、廊下を動き回る様は見ているほうが寒さを感じるに違いない。実際、二番目に起きて、庭掃除を始める響子がぬえの姿を見た瞬間、『お願いだからマフラーだけでも……』と、お願いしたほどだ。
その服はまさに『季節はずれ甚だしく、まことに夏炉冬扇である』といったところか。
しかしながら、着ている本人は元気いっぱいで、不思議構造の羽などは霜すら乗せて艶々。どうやら正体不明という概念の中から生まれたぬえには、凍えるという言葉が当てはまらないらしい。
よって、ぬえは冬の最重要任務を任されていた。
「ほーれほれ、運んだ運んだ」
自身が操る正体不明の種たちに炭袋を持ってこさせ、風呂場近くの竈にだばーっと。そしていつもどおり聖が前日に仕込んでおいた法力の札を利用して炎を起こす。
炭がぱちぱちと勢いよく燃えるまでの少しの時間は、朝の一番退屈な時間だ。
物音一つしない庭を眺めていても、おもしろくないし。
1人で星を眺めていても、寂しさがつのるばかり。
かといって、マミゾウの布団に潜り込むほどの時間もない。それに実際に実行すると炭で布団が汚れてこっぴどく怒られるのだから、分が悪すぎる。
そうやって、どうしようかな、と考えていると。
いつもどおり炭が紅い火花を散らして、元気よく燃え上がり始める。
「よし、まずは居間からだっけ」
炭入れを持ち、炭掴みを持ち。
完全装備で紅く燃えた炭を運ぶ。
ここまでくれば、ぬえの朝の仕事はおわかりであろう。
掘り炬燵の、炭入れ。
あんど、囲炉裏の炭入れである。
余ったら料理用の竈にぽいぽいっと投げ込んだりもするが、やはりメインはこたつと囲炉裏。
寒い寒いと良いながら布団から出た住人が、こたつに入った瞬間。
「はぁぁぁ~~~」
と、お湯に浸かったように表情を緩ませるあの瞬間。
それがぬえは大好きだった。
自分が運んだ炭で、みんなが幸せそうな顔をする。
一度はみんなの邪魔をしてしまった自分が、役に立っていると実感出来る。それがぬえにとって冬の幸せになりつつあった。
ゆえに、その仕事の機敏さと正確さは目を見張るものがある。
第一目的地の居間へ到着した瞬間。
ぬえ炭火運搬部隊は、わらわらと畳部屋の中に殺到し。
「居間に到着! 炭、投擲用意!」
実際は投げない。
気分だけそんな感じ。
号令を受けた後、まずは、ふよふよと浮かぶ体不明の種たちがこたつの布を持ち上げさせ、さらにぬえの足下にいた正体不明の種たちが、一列に並び。丁寧に手(?)渡しで炭を中に運んでいく。
熱々だというのに、実に元気いっぱいであった。
最初の頃はコタツを全部外して、掘り炬燵の真ん中の穴まで炭入れを運び。自分で入れたりしていたが。
(あれ? そういえば正体不明の種、灼熱地獄でも平気だったような)
そんな耐熱性に気付いたぬえは、いつからか正体不明の種を扱う方法にきりかえていた。ついでに弾幕戦の際の操作も練習出来るから一石二鳥なのだ。
そして程よく放り込んでから、安全用の枠をはめ込ませて。
第一任務完了。
「よしっ」
それをコタツのある部屋全般に設置していく。
最後は客間に寝泊まりしているマミゾウのところ。
マミゾウは外にいたときからコタツが大好きで、ぬえとしては一番最初に運んであげてもいいのだが……
やはり正式な立場としては居候でしかないので、優先することはできない。
なので、大体朝の4時くらいになって炭を運ぶことになる。
しかし注意しなければいけないのは、
「おはよぉ……」
マミゾウはこの時間に起きている可能性があるのだ。
お婆ちゃんだから早起きとかいうと、頭にチョップが降ってくるので正面切っては言わないが。
とにかく、客間に入った瞬間素早く反応する可能性がある。
だから、声を殺し、気配を殺してそろーりと。
正体不明の種部隊も、音を立てず侵入するのだが。
「あれ?」
マミゾウがいない。
布団の中に、いない。
ただ、布団が乱れているところを見ると、どこかに出かけた様子だ。
「厠か、もしかしたら金貸しの方かな」
マミゾウがわけありの金貸しとして人里に認知され始めているので、こっそり人の出歩かない時間に取引するという可能性もあるかもしれない。
眼鏡を外した寝顔でも拝もうとしたのに、ちょっぴり残念なぬえであった。
しかし留守ならば仕事も捗るというもの。
「はい、投入~」
他の部屋と同じように、炭を補充。
最期という緩みがあったのか、正体不明の種部隊がちょっとだけ手間取ったのは反省点だろうか。
「んー、最近弾幕してないから、なまったかな~」
仕事を終えて、正体不明の種たちを消し。余った炭を調理場へぽいっと。
調理場から居間へと戻る際中、庭を見ると。
「おはよーございますっ!」
どうやら目を覚ましたようで、響子が挨拶してきた。
うっすらと積もった雪に苦戦しながら掃き掃除を続けていた。
おそらくは30分ほど続けてからコタツに飛び込んでくるだろう、と。そんなことを予測しながら皆が朝集まる居間へと、一番乗――
「あっ」
「あっ」
ふすまを開けると。
声がして、何かがすっと起き上がる。
「お、おはよう……」
ナズーリンだった。
わざとらしく咳払いしながら、ずっと座ってましたと言わんばかりにコタツの上に両腕を置いているが。
明らかに、側面の髪がぺたんっと寝ているのを見ていると。
くすくすという笑みを止められない。
「な、何を笑っているんだ。失礼だな君は」
そう言って、照れ隠しで髪を触って。
あ、ぺたんとしている部分に気付いた。
慌てて小さな手をくし替わりにしてふんわりと仕上げていく。
「寒いなら、横になってればいいよ。30分以上は誰も来ないだろうし」
「……そ、そうかい?」
「うん、大丈夫」
「じゃ、じゃあ遠慮なく」
ぬえがふすまを締めると、ナズーリンは周囲を気にしながらコタツの掛布団を深くかぶり、腕を枕にしてころんっと横になる。
「ふぁぁぁ……」
そのときの声のなんと愛らしいことか。
目を細めて、耳を小刻みに震えさせて、全身で気持ちいいを表現してくれている。
この姿を一番最初に見ることができるのがコタツ職人の最高の喜びなのである。
「ぬえは入らないのかい?」
「んー、温かいのは確かに気持ちいいけど。冷たくても私問題ないんだよね」
「そうか、それは素敵だね。私などはどうしてもこの季節に弱くて困るよ。命蓮寺を出なければよかったと、今ほど後悔する季節はない。それに今日は特に冷えるからね……、本当にコタツが恋しいよ……」
話しながら欠伸して、規則的な吐息を漏らし始める。
確かに、今年初めて雪が積もった朝なのだ。
ぬえが感じないだけでかなり寒い日なのかもしれない。
それでナズーリンも、あそこの掘っ立て小屋では我慢できなくて。
コタツに火が入るのを見計らってやってきたというわけだろう。
「すー、ひゅぅー」
「うわ、早っ」
そのせいか、コタツの誘惑に負けて、もう熟睡状態。
おそらくこんな姿を星にでもみつかろうものならまた、可愛いとか言われておろおろするのだろう。
そんなことを想像するのも、ぬえの楽しみの一つ。
いたずらに似た喜びがあるというものだ。
眠り始めたナズーリンを観察していると、ときおり鼻をひくひくさせているのがわかる。
もしかしたら食べ物の夢でも見ているのかもしれない。
そっと指を鼻に近づけると、無意識にすんすんと鼻を近づけてくるのだから。
「お前はコタツで終わりだがなっ」
などと、おねむのナズーリンにかまけていると。
「お、おおおはよぉぅぅぅござぁいまぁすぅぅ~」
一回目の庭掃除を終えたのか。カタカタと全身を震わせながら、響子がコタツに滑り込んでくる。その勢いでナズーリンが大きくびくりと反応するが、それだけ。薄目を開けて周囲を見渡すが、眠気が勝ってまた安らかな吐息を漏らし始めた。
それにつき従うかのように、響子もまた温もりに誘われて浅い夢の中へ。
静かにしててもいろいろと騒がしい響子に苦笑しつつ、ぬえは次のコタツの犠牲者を待つ。そして待つこと1時間。
「おはよー」
幽霊なので寒さ平気な村紗と
「おはようございます」
両腕で身体を抱き、雲山と寄り添うようにして一輪が登場。
ナズーリンがいることにわずかに驚くが。
「寒いからねー」
という結論で一致し、眠りこける二人の獣娘を気にしながら、一輪は空いた場所に入り込んでいく。村紗は台所の方へと向かうと二人に言って、ちょっとだけ畳の上に座る。
やはり冬場は寒さに耐えられる者が料理をするということで、村紗の出番がどうしても多くなるのは仕方のないこと。
ただ、自分が仕事をするのに、コタツで眠ってるだけとは何事か。
と言わんばかりに、悪戯をしてから居間を出ていくのが恒例行事。
今回は、ナズーリンと響子のほっぺに、指ぷにー攻撃のようだ。
ナズーリンはうっとうしそうにちょっと唸るだけで終わったが、
「ううううう」
響子はその刺激で眠りを中断されたようで。
畳の上で横になりながら、逃げるように部屋を出る村紗を威嚇し続けていた。
そして、そこへ。
「おはようございます。これ、響子。寺の仲間にそのような声を向けてはいけません」
寝癖たっぷり毘沙門天代理、星が入れ替わるようにやってくる。
「星……あなたも人のこと言えないわね」
「あはは、また今日もお願いします」
そして、手慣れた様子で一輪の横に座ると、くしを手渡す。
「よかったですね、ナズーリンが寝ていて」
「え? ナズーリンが来ているのですかっ!?」
「しっ、起きますよ……」
「あっ、ほんとだ……」
星の声に反応しているのか、ナズーリンの耳がしきりにぴくぴく動いているが、やはりそれだけ。
掘っ立て小屋の寒さが相当応えたようで起きる気配がない。
これ幸いと、星は再び一輪の横で背を向けて座り。
「すいません。どうしても手がかじかむと上手くできないもので……」
「星の髪は癖が強すぎるからいけないのよ」
「面目ない……」
と、言いながらも。
ぬえがにやにやと眺めている中で、冬の恒例行事その2が始まった。
ナズーリンがいると『情けない!』と怒鳴られてできない。
冬の早朝のグルーミング。
通称、髪型のセット。
「はい、終わりました」
「ありがとうございます。それでは聖と一緒に朝のおつとめをしてきますね」
星もやっぱり動物の血を引く妖怪。
温かいコタツを名残惜しそうに見て。
そして、そこで幸せそうに眠るナズーリンの頭を愛おしそうに撫でてから、部屋を出て行った。
「みんな朝早くから頑張るねー」
ぬえが何気なくそう言って見送ると。
「ぬえが一番早起きの癖に」
などと一輪に苦笑しながら返されるが。
正体不明のぬえにとっては、睡眠は特に必要ない。
なんとなく気持ちいいから布団の中に入っているだけであって、早朝という感覚もいまいちわからないのだ。
「新聞でも見る?」
「あ、お願いできる?」
「いいよ、任せて」
だいたい朝の5時30分を回ると、新聞が届けられるので。
それを持ってくるのは、庭掃除の響子かぬえの仕事。
響子が撃沈している今、動けるのはぬえしかいない。
もしかしたらマミゾウが帰ってくる場面に鉢合わせるかと期待しながら出てみるが、郵便入れの周辺には人影がまるでない。
仕事なら仕方ないか、と。
ぬえは自分に言い聞かせつつ居間に戻って、一輪に新聞を渡し。
「ぬえ、今日庭に雪積もってるの見た?」
「当たり前だよ、見たに決まってんじゃーん」
などとコタツで横になりっぱなしの響子と、何気ない会話をする。そうやって朝のゆったりした時間を過ごすのが最近の日常である。と、その最近の日常通りに今朝の流れも進んでいき、
「はいはーい、ご飯の準備できたから。みんな囲炉裏の方に移ってー」
という声と。
「皆さん、おはようございます。それでは朝食にしましょうか」
聖の声が居間の中に続けて響いて。
ナズーリンが慌てて飛び起きる。
で、気付くのだ。
「……あぁ、しまった」
深くコタツに入り込みすぎて、汗をかいてしまった下半身に。
肌に張り付くようなスカートを気にしつつ、寒さ対策の膝掛け毛布を装備し、隣の囲炉裏の部屋へ。
ぬえもみんなに続いて移動し、お決まりの席に着く。
一応ご飯の時は正座という風習が残っているので、ぬえも皆にならって姿勢を正し。
「では、いただきましょうか」
高い場所で並んで座る聖と星が、手を合わせると皆も静かに手を合わせて。
『いただきます』
で、朝ご飯の時間が始まる。
やはり、このときもぬえは。
(別に食べなくて良いんだけどなー)
肉体よりも精神に依存した存在であるため、ご飯を食べなくても別に変わらない。
とりあえず味覚があるから、楽しんで口に入れるだけである。
ただ、味に飽きると箸を口にくわえて遊んだりするので、すぐに注意されてしまう。
「こら、ぬえ」
ほら、このとおり。
今日はぬえの横にナズーリンが控えているので、口に箸を入れて手を離そうとしただけで注意が飛んでくる、
立場上寺から出て生活している客人扱いなので、普段は一番下の席のぬえよりもさらに下というわけだ。
普段は居候のマミゾウがいる位置である。
「そういえば、マミゾウさんはどうしました? まだ見かけていませんが」
「たぶん仕事じゃない?」
聖の問いにぬえが軽い声で返す。
その一言で納得したらしく、聖はうんうんっと頷いた。
「ほら、星。やっぱり全然違うじゃない」
「ん? ご主人。また何か見当はずれなことを言ったのかい?」
「見当はずれとは失礼な。私は実体験を基に仮説を組み上げただけであって、もしかしたらと言ってみただけです」
「ほう、その仮説とは?」
ナズーリンが問いかけると。
星は、ふふんっと自慢げに鼻を鳴らし、
「昨日の夜は格別に寒かった。そして、狸から変化した妖怪であるマミゾウ。ここから繋がるものといえば一つしかありません」
座りながら器用に胸を反らした。
「冬眠です! その可能性もあるかと」
ああ、なるほど。
と、聖以外の住民が、そう言う考え方もあるかと納得する中で。
……ん?
と、ぬえは何か違和感を覚え。
「……ご主人、君は本当に虎の妖怪だったのかい?」
ナズーリンはやれやれと言った様子で、肩を竦めた。
「狸は冬眠なんてしない」
「え?」
うん、と。
ぬえはそのナズーリンの声に1人だけ相槌を打った。
確かマミゾウと世間話をしているときにそんなことを聞いた気がしたのだ。
そのときマミゾウは、冬眠はしないけど……何かすると言っていたはずで……
「しかし、私の住んでいた山では冬場にたぬきをほとんど見ませんでしたよ?」
「それはご主人がいた山が冬場極端に寒かったからだろうね。狸は寒くなると、穴蔵の中に潜る習性があるんだ。だから比較的暖かい場所にいる狸は冬場でも見ることが出来るというわけさ」
そうだ。
そうそう。
ぬえは、そのことを思い出す。
もにゅもにゅっと、また箸を口に入れて遊ばせながら。
『寒いときは巣穴のようなところに入ってのんびりするのが乙なのじゃよ。
乙な女、まさしく狸たちは永遠の乙女じゃて』
などと、口走っちゃったこともあったなーと。
本気なのか冗談なのかわからなくて、乾いた笑いしか返したことがないが……
(そうか、狸の習性だったよ。習性習性~って)
「……え゛」
ぬえから出たとは思えないほど濁った声に、ナズーリンは驚き。
「どうしたんだい?」
「……うん、いや……そんな、まさか……」
布団はもぬけの殻。
部屋の中に姿はなかった。
「ねえ、ナズーリン今、何時……」
「何を言っているんだい? 朝食はいつも7時00分頃からだろう?」
マミゾウの部屋にぬえが炭を運んだのが4時。
おおよそ3時間ほど経過している。
そしてそのとき。
炭を運ぶ正体不明の種たちが不可解な動きをしていたはず。
「やっぱり、中って熱い?」
「そうだね。中央部分はそれなりに熱いんじゃないかな。今日は特に寒かったから欲張って深めに足を入れてしまったから。余分な汗をかくことになってしまったよ」
「わかります。でも頭まで入れると危ないんですよね。苦しくなるんでしたっけ」
「ご主人は加減を知ることだよ。人里では毎年死人が出ているんだからね」
中央部の熱に加えて、
呼吸も問題。
「そ、そっか~、じゃあコタツって言っても馬鹿に出来ないんだね~」
「そうですね。気持ちよいからと言って、それに頼りすぎてはいけないということですね」
食事を終えた聖も、ほどほどにと言う。
どっぷり浸かると、危険だと。
「ね、ねぇ……ちょっとだけ聞きたいんだけど……」
だからぬえは、聞かなければいけない。
幸いなことに、獣から変異した妖怪の多いこの命蓮寺の食事の席で。
暑くもないのに、嫌な汗をだらだらとかきながら。
口の中をカラカラにして、声を絞り出す。
「……妖獣が、堀ごたつの中で3時間ほど放置されたらどうなると思う?」
一瞬、音が止んだ。
茶碗を動かす音も。
談笑する声も。
呼吸さえも。
全てが停止する。
ぬえの発した言葉を理解し、
先程出てきたタヌキの習性を思い出し、
掘り炬燵の危険性を再確認。
そこまで、脳内で完結させた命蓮寺の全員は……
「ま、まみぞぅぅぅ~~っ!!」
ドドドッと。
轟音と共に、大慌てでマミゾウの部屋反吐猛ダッシュし、
そこで、見た。
汗だくで毛がぺたんとなった尻尾が。
コタツからにゅっと、伸びているのを。
幻想郷がうっすらと雪化粧を始める頃。
朝三時という深夜と早朝の境界がありそうな時間帯に、せわしなく動く人影があった。
足取り軽く歩き回るのは、命蓮寺の住人、正体不明妖怪のぬえである。
太ももまでしか長さのない衣服に身を包み、廊下を動き回る様は見ているほうが寒さを感じるに違いない。実際、二番目に起きて、庭掃除を始める響子がぬえの姿を見た瞬間、『お願いだからマフラーだけでも……』と、お願いしたほどだ。
その服はまさに『季節はずれ甚だしく、まことに夏炉冬扇である』といったところか。
しかしながら、着ている本人は元気いっぱいで、不思議構造の羽などは霜すら乗せて艶々。どうやら正体不明という概念の中から生まれたぬえには、凍えるという言葉が当てはまらないらしい。
よって、ぬえは冬の最重要任務を任されていた。
「ほーれほれ、運んだ運んだ」
自身が操る正体不明の種たちに炭袋を持ってこさせ、風呂場近くの竈にだばーっと。そしていつもどおり聖が前日に仕込んでおいた法力の札を利用して炎を起こす。
炭がぱちぱちと勢いよく燃えるまでの少しの時間は、朝の一番退屈な時間だ。
物音一つしない庭を眺めていても、おもしろくないし。
1人で星を眺めていても、寂しさがつのるばかり。
かといって、マミゾウの布団に潜り込むほどの時間もない。それに実際に実行すると炭で布団が汚れてこっぴどく怒られるのだから、分が悪すぎる。
そうやって、どうしようかな、と考えていると。
いつもどおり炭が紅い火花を散らして、元気よく燃え上がり始める。
「よし、まずは居間からだっけ」
炭入れを持ち、炭掴みを持ち。
完全装備で紅く燃えた炭を運ぶ。
ここまでくれば、ぬえの朝の仕事はおわかりであろう。
掘り炬燵の、炭入れ。
あんど、囲炉裏の炭入れである。
余ったら料理用の竈にぽいぽいっと投げ込んだりもするが、やはりメインはこたつと囲炉裏。
寒い寒いと良いながら布団から出た住人が、こたつに入った瞬間。
「はぁぁぁ~~~」
と、お湯に浸かったように表情を緩ませるあの瞬間。
それがぬえは大好きだった。
自分が運んだ炭で、みんなが幸せそうな顔をする。
一度はみんなの邪魔をしてしまった自分が、役に立っていると実感出来る。それがぬえにとって冬の幸せになりつつあった。
ゆえに、その仕事の機敏さと正確さは目を見張るものがある。
第一目的地の居間へ到着した瞬間。
ぬえ炭火運搬部隊は、わらわらと畳部屋の中に殺到し。
「居間に到着! 炭、投擲用意!」
実際は投げない。
気分だけそんな感じ。
号令を受けた後、まずは、ふよふよと浮かぶ体不明の種たちがこたつの布を持ち上げさせ、さらにぬえの足下にいた正体不明の種たちが、一列に並び。丁寧に手(?)渡しで炭を中に運んでいく。
熱々だというのに、実に元気いっぱいであった。
最初の頃はコタツを全部外して、掘り炬燵の真ん中の穴まで炭入れを運び。自分で入れたりしていたが。
(あれ? そういえば正体不明の種、灼熱地獄でも平気だったような)
そんな耐熱性に気付いたぬえは、いつからか正体不明の種を扱う方法にきりかえていた。ついでに弾幕戦の際の操作も練習出来るから一石二鳥なのだ。
そして程よく放り込んでから、安全用の枠をはめ込ませて。
第一任務完了。
「よしっ」
それをコタツのある部屋全般に設置していく。
最後は客間に寝泊まりしているマミゾウのところ。
マミゾウは外にいたときからコタツが大好きで、ぬえとしては一番最初に運んであげてもいいのだが……
やはり正式な立場としては居候でしかないので、優先することはできない。
なので、大体朝の4時くらいになって炭を運ぶことになる。
しかし注意しなければいけないのは、
「おはよぉ……」
マミゾウはこの時間に起きている可能性があるのだ。
お婆ちゃんだから早起きとかいうと、頭にチョップが降ってくるので正面切っては言わないが。
とにかく、客間に入った瞬間素早く反応する可能性がある。
だから、声を殺し、気配を殺してそろーりと。
正体不明の種部隊も、音を立てず侵入するのだが。
「あれ?」
マミゾウがいない。
布団の中に、いない。
ただ、布団が乱れているところを見ると、どこかに出かけた様子だ。
「厠か、もしかしたら金貸しの方かな」
マミゾウがわけありの金貸しとして人里に認知され始めているので、こっそり人の出歩かない時間に取引するという可能性もあるかもしれない。
眼鏡を外した寝顔でも拝もうとしたのに、ちょっぴり残念なぬえであった。
しかし留守ならば仕事も捗るというもの。
「はい、投入~」
他の部屋と同じように、炭を補充。
最期という緩みがあったのか、正体不明の種部隊がちょっとだけ手間取ったのは反省点だろうか。
「んー、最近弾幕してないから、なまったかな~」
仕事を終えて、正体不明の種たちを消し。余った炭を調理場へぽいっと。
調理場から居間へと戻る際中、庭を見ると。
「おはよーございますっ!」
どうやら目を覚ましたようで、響子が挨拶してきた。
うっすらと積もった雪に苦戦しながら掃き掃除を続けていた。
おそらくは30分ほど続けてからコタツに飛び込んでくるだろう、と。そんなことを予測しながら皆が朝集まる居間へと、一番乗――
「あっ」
「あっ」
ふすまを開けると。
声がして、何かがすっと起き上がる。
「お、おはよう……」
ナズーリンだった。
わざとらしく咳払いしながら、ずっと座ってましたと言わんばかりにコタツの上に両腕を置いているが。
明らかに、側面の髪がぺたんっと寝ているのを見ていると。
くすくすという笑みを止められない。
「な、何を笑っているんだ。失礼だな君は」
そう言って、照れ隠しで髪を触って。
あ、ぺたんとしている部分に気付いた。
慌てて小さな手をくし替わりにしてふんわりと仕上げていく。
「寒いなら、横になってればいいよ。30分以上は誰も来ないだろうし」
「……そ、そうかい?」
「うん、大丈夫」
「じゃ、じゃあ遠慮なく」
ぬえがふすまを締めると、ナズーリンは周囲を気にしながらコタツの掛布団を深くかぶり、腕を枕にしてころんっと横になる。
「ふぁぁぁ……」
そのときの声のなんと愛らしいことか。
目を細めて、耳を小刻みに震えさせて、全身で気持ちいいを表現してくれている。
この姿を一番最初に見ることができるのがコタツ職人の最高の喜びなのである。
「ぬえは入らないのかい?」
「んー、温かいのは確かに気持ちいいけど。冷たくても私問題ないんだよね」
「そうか、それは素敵だね。私などはどうしてもこの季節に弱くて困るよ。命蓮寺を出なければよかったと、今ほど後悔する季節はない。それに今日は特に冷えるからね……、本当にコタツが恋しいよ……」
話しながら欠伸して、規則的な吐息を漏らし始める。
確かに、今年初めて雪が積もった朝なのだ。
ぬえが感じないだけでかなり寒い日なのかもしれない。
それでナズーリンも、あそこの掘っ立て小屋では我慢できなくて。
コタツに火が入るのを見計らってやってきたというわけだろう。
「すー、ひゅぅー」
「うわ、早っ」
そのせいか、コタツの誘惑に負けて、もう熟睡状態。
おそらくこんな姿を星にでもみつかろうものならまた、可愛いとか言われておろおろするのだろう。
そんなことを想像するのも、ぬえの楽しみの一つ。
いたずらに似た喜びがあるというものだ。
眠り始めたナズーリンを観察していると、ときおり鼻をひくひくさせているのがわかる。
もしかしたら食べ物の夢でも見ているのかもしれない。
そっと指を鼻に近づけると、無意識にすんすんと鼻を近づけてくるのだから。
「お前はコタツで終わりだがなっ」
などと、おねむのナズーリンにかまけていると。
「お、おおおはよぉぅぅぅござぁいまぁすぅぅ~」
一回目の庭掃除を終えたのか。カタカタと全身を震わせながら、響子がコタツに滑り込んでくる。その勢いでナズーリンが大きくびくりと反応するが、それだけ。薄目を開けて周囲を見渡すが、眠気が勝ってまた安らかな吐息を漏らし始めた。
それにつき従うかのように、響子もまた温もりに誘われて浅い夢の中へ。
静かにしててもいろいろと騒がしい響子に苦笑しつつ、ぬえは次のコタツの犠牲者を待つ。そして待つこと1時間。
「おはよー」
幽霊なので寒さ平気な村紗と
「おはようございます」
両腕で身体を抱き、雲山と寄り添うようにして一輪が登場。
ナズーリンがいることにわずかに驚くが。
「寒いからねー」
という結論で一致し、眠りこける二人の獣娘を気にしながら、一輪は空いた場所に入り込んでいく。村紗は台所の方へと向かうと二人に言って、ちょっとだけ畳の上に座る。
やはり冬場は寒さに耐えられる者が料理をするということで、村紗の出番がどうしても多くなるのは仕方のないこと。
ただ、自分が仕事をするのに、コタツで眠ってるだけとは何事か。
と言わんばかりに、悪戯をしてから居間を出ていくのが恒例行事。
今回は、ナズーリンと響子のほっぺに、指ぷにー攻撃のようだ。
ナズーリンはうっとうしそうにちょっと唸るだけで終わったが、
「ううううう」
響子はその刺激で眠りを中断されたようで。
畳の上で横になりながら、逃げるように部屋を出る村紗を威嚇し続けていた。
そして、そこへ。
「おはようございます。これ、響子。寺の仲間にそのような声を向けてはいけません」
寝癖たっぷり毘沙門天代理、星が入れ替わるようにやってくる。
「星……あなたも人のこと言えないわね」
「あはは、また今日もお願いします」
そして、手慣れた様子で一輪の横に座ると、くしを手渡す。
「よかったですね、ナズーリンが寝ていて」
「え? ナズーリンが来ているのですかっ!?」
「しっ、起きますよ……」
「あっ、ほんとだ……」
星の声に反応しているのか、ナズーリンの耳がしきりにぴくぴく動いているが、やはりそれだけ。
掘っ立て小屋の寒さが相当応えたようで起きる気配がない。
これ幸いと、星は再び一輪の横で背を向けて座り。
「すいません。どうしても手がかじかむと上手くできないもので……」
「星の髪は癖が強すぎるからいけないのよ」
「面目ない……」
と、言いながらも。
ぬえがにやにやと眺めている中で、冬の恒例行事その2が始まった。
ナズーリンがいると『情けない!』と怒鳴られてできない。
冬の早朝のグルーミング。
通称、髪型のセット。
「はい、終わりました」
「ありがとうございます。それでは聖と一緒に朝のおつとめをしてきますね」
星もやっぱり動物の血を引く妖怪。
温かいコタツを名残惜しそうに見て。
そして、そこで幸せそうに眠るナズーリンの頭を愛おしそうに撫でてから、部屋を出て行った。
「みんな朝早くから頑張るねー」
ぬえが何気なくそう言って見送ると。
「ぬえが一番早起きの癖に」
などと一輪に苦笑しながら返されるが。
正体不明のぬえにとっては、睡眠は特に必要ない。
なんとなく気持ちいいから布団の中に入っているだけであって、早朝という感覚もいまいちわからないのだ。
「新聞でも見る?」
「あ、お願いできる?」
「いいよ、任せて」
だいたい朝の5時30分を回ると、新聞が届けられるので。
それを持ってくるのは、庭掃除の響子かぬえの仕事。
響子が撃沈している今、動けるのはぬえしかいない。
もしかしたらマミゾウが帰ってくる場面に鉢合わせるかと期待しながら出てみるが、郵便入れの周辺には人影がまるでない。
仕事なら仕方ないか、と。
ぬえは自分に言い聞かせつつ居間に戻って、一輪に新聞を渡し。
「ぬえ、今日庭に雪積もってるの見た?」
「当たり前だよ、見たに決まってんじゃーん」
などとコタツで横になりっぱなしの響子と、何気ない会話をする。そうやって朝のゆったりした時間を過ごすのが最近の日常である。と、その最近の日常通りに今朝の流れも進んでいき、
「はいはーい、ご飯の準備できたから。みんな囲炉裏の方に移ってー」
という声と。
「皆さん、おはようございます。それでは朝食にしましょうか」
聖の声が居間の中に続けて響いて。
ナズーリンが慌てて飛び起きる。
で、気付くのだ。
「……あぁ、しまった」
深くコタツに入り込みすぎて、汗をかいてしまった下半身に。
肌に張り付くようなスカートを気にしつつ、寒さ対策の膝掛け毛布を装備し、隣の囲炉裏の部屋へ。
ぬえもみんなに続いて移動し、お決まりの席に着く。
一応ご飯の時は正座という風習が残っているので、ぬえも皆にならって姿勢を正し。
「では、いただきましょうか」
高い場所で並んで座る聖と星が、手を合わせると皆も静かに手を合わせて。
『いただきます』
で、朝ご飯の時間が始まる。
やはり、このときもぬえは。
(別に食べなくて良いんだけどなー)
肉体よりも精神に依存した存在であるため、ご飯を食べなくても別に変わらない。
とりあえず味覚があるから、楽しんで口に入れるだけである。
ただ、味に飽きると箸を口にくわえて遊んだりするので、すぐに注意されてしまう。
「こら、ぬえ」
ほら、このとおり。
今日はぬえの横にナズーリンが控えているので、口に箸を入れて手を離そうとしただけで注意が飛んでくる、
立場上寺から出て生活している客人扱いなので、普段は一番下の席のぬえよりもさらに下というわけだ。
普段は居候のマミゾウがいる位置である。
「そういえば、マミゾウさんはどうしました? まだ見かけていませんが」
「たぶん仕事じゃない?」
聖の問いにぬえが軽い声で返す。
その一言で納得したらしく、聖はうんうんっと頷いた。
「ほら、星。やっぱり全然違うじゃない」
「ん? ご主人。また何か見当はずれなことを言ったのかい?」
「見当はずれとは失礼な。私は実体験を基に仮説を組み上げただけであって、もしかしたらと言ってみただけです」
「ほう、その仮説とは?」
ナズーリンが問いかけると。
星は、ふふんっと自慢げに鼻を鳴らし、
「昨日の夜は格別に寒かった。そして、狸から変化した妖怪であるマミゾウ。ここから繋がるものといえば一つしかありません」
座りながら器用に胸を反らした。
「冬眠です! その可能性もあるかと」
ああ、なるほど。
と、聖以外の住民が、そう言う考え方もあるかと納得する中で。
……ん?
と、ぬえは何か違和感を覚え。
「……ご主人、君は本当に虎の妖怪だったのかい?」
ナズーリンはやれやれと言った様子で、肩を竦めた。
「狸は冬眠なんてしない」
「え?」
うん、と。
ぬえはそのナズーリンの声に1人だけ相槌を打った。
確かマミゾウと世間話をしているときにそんなことを聞いた気がしたのだ。
そのときマミゾウは、冬眠はしないけど……何かすると言っていたはずで……
「しかし、私の住んでいた山では冬場にたぬきをほとんど見ませんでしたよ?」
「それはご主人がいた山が冬場極端に寒かったからだろうね。狸は寒くなると、穴蔵の中に潜る習性があるんだ。だから比較的暖かい場所にいる狸は冬場でも見ることが出来るというわけさ」
そうだ。
そうそう。
ぬえは、そのことを思い出す。
もにゅもにゅっと、また箸を口に入れて遊ばせながら。
『寒いときは巣穴のようなところに入ってのんびりするのが乙なのじゃよ。
乙な女、まさしく狸たちは永遠の乙女じゃて』
などと、口走っちゃったこともあったなーと。
本気なのか冗談なのかわからなくて、乾いた笑いしか返したことがないが……
(そうか、狸の習性だったよ。習性習性~って)
「……え゛」
ぬえから出たとは思えないほど濁った声に、ナズーリンは驚き。
「どうしたんだい?」
「……うん、いや……そんな、まさか……」
布団はもぬけの殻。
部屋の中に姿はなかった。
「ねえ、ナズーリン今、何時……」
「何を言っているんだい? 朝食はいつも7時00分頃からだろう?」
マミゾウの部屋にぬえが炭を運んだのが4時。
おおよそ3時間ほど経過している。
そしてそのとき。
炭を運ぶ正体不明の種たちが不可解な動きをしていたはず。
「やっぱり、中って熱い?」
「そうだね。中央部分はそれなりに熱いんじゃないかな。今日は特に寒かったから欲張って深めに足を入れてしまったから。余分な汗をかくことになってしまったよ」
「わかります。でも頭まで入れると危ないんですよね。苦しくなるんでしたっけ」
「ご主人は加減を知ることだよ。人里では毎年死人が出ているんだからね」
中央部の熱に加えて、
呼吸も問題。
「そ、そっか~、じゃあコタツって言っても馬鹿に出来ないんだね~」
「そうですね。気持ちよいからと言って、それに頼りすぎてはいけないということですね」
食事を終えた聖も、ほどほどにと言う。
どっぷり浸かると、危険だと。
「ね、ねぇ……ちょっとだけ聞きたいんだけど……」
だからぬえは、聞かなければいけない。
幸いなことに、獣から変異した妖怪の多いこの命蓮寺の食事の席で。
暑くもないのに、嫌な汗をだらだらとかきながら。
口の中をカラカラにして、声を絞り出す。
「……妖獣が、堀ごたつの中で3時間ほど放置されたらどうなると思う?」
一瞬、音が止んだ。
茶碗を動かす音も。
談笑する声も。
呼吸さえも。
全てが停止する。
ぬえの発した言葉を理解し、
先程出てきたタヌキの習性を思い出し、
掘り炬燵の危険性を再確認。
そこまで、脳内で完結させた命蓮寺の全員は……
「ま、まみぞぅぅぅ~~っ!!」
ドドドッと。
轟音と共に、大慌てでマミゾウの部屋反吐猛ダッシュし、
そこで、見た。
汗だくで毛がぺたんとなった尻尾が。
コタツからにゅっと、伸びているのを。
マミゾウの部屋反吐←
普通の日常と言う空気が出ていて、とても和みました。
特に獣耳2人組に和みっぱなしですよ。可愛いいなぁ……モフモフなでなで。幸せだなぁ。
日常のひとコマみたいな感じで楽しかったです
今→居間でしょうか?
安定の可愛さ。