お燐が地上へ出るようになって、暫く経つ。
あるときは目的を持ち、またあるときは目的もなく彷徨い歩く。歩いている最中に死体を見つければ持ち帰る。
散歩することが目的であるともいう。
ふらふらと歩きまわることが好きなのは、火車となる前から変わらないお燐の趣味だった。
地底から地上に――行動する範囲が広がっただけなのである。そもそも生粋の地獄生まれではないから、広がったというよりも戻ったという方がしっくり来るのだけれど。
――楽しいし。
実利もある――と、お燐は思う。旧地獄に存在する核融合炉は、基本的におくうの能力によって制御されているが、怨霊の放出する金属を触媒に利用しているからである。
もっとも、利用できる怨霊になり得るか否かは死体と話してみなければ分からない。そのため、お燐は基本的に手当たり次第に死体を盗んで歩いているのだが。
そんなお燐が最近目を付けている場所――それは、人里近くにできた伽藍、命蓮寺である。
住職の人柄にほだされて、ついつい正直に死体目的と話してしまったから、入門することは残念ながら拒まれてしまったけれど。それでも葬式をする場所となった以上、死体が多く集積される場所なのだ。お燐の狩場としては申し分ないと言える。
「今日はまだお葬式上げてないみたいだけどねえ」
山門の前に佇み、お燐は小さく独り言ちた。境内は閑散としている。いつもならば門前の小僧宜しく山彦がいることもあるのだが、今は明け方である。勤行の最中なのか、講堂の方からかすかに読経の声が届いてくる。
葬式なのだとすれば物見高い妖怪の一人や二人見かけなければ妙だし、それになにより、昨晩こいしが地霊殿から出ていきしな、楽しそうにしていたからだ。
経典を読み上げることは彼女にとっていい遊びになるらしく、最近は"自己を否定した自己の否定"、というよく分からない袋小路に迷い込んでいるのだとか。
さとりに話しているのを聞いただけだが、自分を客観視できるようになれば再び第三の目が開くときも近いのかもしれない。まあ、それしきのことで開くなら、疾うの昔に治っていてもおかしくはない。もちろん、こいしに開こうという意思があるか否かが重要であって、外的要因はそれを助けるにすぎないのだし。
そんなことをつらつらと考えながら、境内に足を踏み入れる。
「おはようございます――ってね」
お燐は特に忍ばない。疚しいとはそれほど思っていないためだ。
この寺の僧たちとは既に顔見知りだし、彼女たちは妖怪というものに対して理解がある。というよりも、それ以前に修行僧自身が魔法使いや妖怪なのだ。獲物を見とがめられても少々注意されるくらいで、どうということはないだろう――と、お燐は勝手に踏んでいる。
仮に見つかったとしても。
さっさととんずらを決め込んでしまえばいいのだ。目的があってここに来たわけで、それさえ達成できればいいのである。
――見つからないに越したことはないけど。
その声が降ってきたのは――。
鐘楼の前を横切り、墓地の方へ行こうとした瞬間だった。
「不法侵入者はっけーん」
もう見つかってしまったか。まだ何もしてないですよ、と釈明を考えながら見上げた視界に、曲線を描く赤と青が飛び込んだ。特徴的な一対――持ち主の特性をよく表す、奇怪な姿形の翼だ。認識して、お燐はほっと息を吐く。
「なんだ、ぬえか。驚かすない」
「驚くような疚しいこと考えてるからいけないんでしょ」
「疚しいわけじゃないさ。入門を断られた身だし、目をつけられていることは事実だからねえ。気まずく思うのも無理はないだろ」
「そういうのを引っ括めて疚しいっていうと思うんだけど」
「相ッ変わらず可愛くない奴だね、あんたは」
「あんたこそ相変わらず死体のことしか考えてないって顔してるじゃない」
二人は数秒睨み合って、どちらからともなく破顔した。
封獣ぬえ。
お燐が彼女と出会ったのは、かれこれ千年以上も前である。まだまだ妖怪というものの実在が揺らがぬ時代のことだ。聖輦船の浮上に伴いぬえが地上に出てからは、ぱったりと交流が途絶えていたけれど、都で遊んでいた頃の――辻に忽然と死体を現してみたり、宮中を鳴き声で脅かしてみたり――記憶は中々忘れられる類のものではない。
ぬえと顔を合わせることも、命蓮寺に来た目的の一つだった。過去何度か訪ねてみたものの、ことごとく外出していて会うことができなかったからだ。
その気持ちは共通するものだったのか。ぬえは気安い笑みで口を開いた。
「元気してた? 私が地底から出たとき以来だよね」
「まあね。さとり様は相も変わらず篭りきりの生活してる。ああ、でもおくうの様子だけはちょくちょく見るようになったっけ」
「核ナントカいう奴」
「核融合炉。あの一件で流石に放任が過ぎたと思ってるみたいでさ。そっちは? ここで厄介になってるって、こいし様から話は聞いてるけど」
「その通り、修行の毎日を送ってるのよ――って言いたいところだけど、実際は地底にいた頃と大して変化してないわ。ちょっと窮屈になったくらいかしら」
――窮屈?
ぬえがそんな生活を許容するとも思えないのだが。言うと、彼女はつんと口を尖らせて言い返してきた。
「余計なお世話よ。まあ半分は罪滅ぼし――かな」
「……殊勝なあんたは気持ちが悪いねえ」
何を以て罪滅ぼしなどと言うのか。そういう輩を高みから笑うことこそ似合いだろうに。
「どんな宗旨替えをすれば借りてきた猫みたいになれるんだい?」
「失敬な。私はもともと大人しい妖怪です」
「大人しい――ねえ」
首を傾げるとぬえは一瞬、ばつが悪そうな顔をして、
「何にせよ、もう暫くはここにいるつもりよ」
と、言った。ボロが出ない内に切り上げてしまおうという腹か。
「……そうかい」
詳しく話したくなさそうなので、聞かないことには――したけれど。
――意外だね。
ぬえは一箇所に留まることを嫌い、千年前から方々を転々としていたのだ。
思っていると、まあ気が済んだら出ていくわよ――そう、機先を制するようにぬえは言った。頬が照れたように赤い。気にしたら負けなのかしらん、とお燐は思うが、何やら焦っているらしいぬえには察せていないようである。
「お燐は何しに来たの? 入門は断られたはずでしょ」
「聞きたいかい?」
「暇つぶしになるなら何でも」
「あたいと話してる暇があるなら、向こうで修行しようとは思わないのかねえ」
「肝試しは仕掛ける方だから面白いとは思わない? 私は自己否定の否定派なのよ」
じゃあ何のために寺にいるんだ、と訊きたくなったが、訊いたところできっと答えは返ってこないのだろう。
「あんたに話すことで、寺院の関係者に見とがめられないなら、あたいにとっても有益かなあ」
「私は関係者じゃないっての?」
「おっと、関係者でも見つかっていい奴と見つかりたくない奴がいるくらいのことは分かっておくれよ」
「なーんか妙なこと企んでそうよね、あんた」
言いながらぬえの顔が鐘楼の上へ引っ込む。こちらへ来いと言うことか。
お燐はひょいと地面を蹴って、瓦葺きの屋根に着地した。昨晩の夜半から降っていた雨で、まだ薄らと濡れている。ぬえは気にしていないようだが座る気になれず、結果中腰でやり過ごすことにした。
「ぬえもやるだろ、弾幕ごっこ」
「あんまり得意じゃないけどね。それがどうかした?」
「ちょいとばかし、弾数が心許なくなってて」
「弾ねえ」
「具体的には灰なんだけどね」
「そんなの、地獄の釜から採ればいいじゃない」
ぬえは訝しげな顔をする。
「いくらでも取り放題でしょうが」
「それがそう上手く行かない事情があるのさ」
お燐の弾幕を構成するのは、妖弾の他、幾つかの要素だ。
一つはその辺にいるノリの良い妖精たちを使役することであり、二つには地獄の怨霊たちであり、そして三つ目は灰である。妖怪の多くが物理的な弾丸に依らず妖弾で弾幕を構成するのに対し、かなり特殊な構成になっていることは否めない。その分下準備にも手間が掛かるが、おかげで地底においてはそこそこの強さを確保するに至っている。
その灰が。
「最近、地獄の釜じゃ採れなくなってきてるんだよ」
「どうして?」
「火勢が強すぎるのさ。ほら、さっきの一件」
「件の核融合ね」
「そうそう」
あれ以来――と、お燐は軽く嘆息する。
「あたいの取り分がすっかりなくなっちまった。目くらましやら散弾やら、色々と使い勝手がよかったんだけどねえ。あ、これおくうには内緒だよ?」
「言わないわよ。言ったって楽しくないじゃない」
「まあね。あの神様、八咫烏様はもうおくうの中に深く根を張ってる。あいつにもどうしようもないことだから」
「優しいんだ」
「そういうわけじゃあ――ないさ」
悪いことばかりではない、というのは本当だ。
火力が上がったために怨霊を煮詰める工程は効率化し、かつて地獄の収入源だった金が多く採れるようになっている。そうした面を無視して、自分の都合だけを優先するほど、お燐は狭量でないつもりだった。
それとこれとはまた、別の問題なのだ。
「骸を持ち帰っても灰は採れず。だからといってお持ち帰りをやめるつもりはないんだが、このままだと少々困ったことになる。弾幕ごっこはともかく、いくらおくうでもそのうちに気付いちまうだろ? 灰採りにあたいが困窮してるってさ」
「困るって言われてもねえ」
そういう悩みは聖も管轄外だと思うけど、とぬえが言う。お燐はそうだねと頷いて、
「だからこっそり灰だけ頂いていこうと思って」
と、何でもないことのように言った。
「はあ?」
ぬえはわざとらしく耳の穴を弄るような仕草をする。
「……なんか一足飛びに凄いこと言わなかった、お燐」
「そうかい? 自分とこで調達できないものを他所で調達しようってだけだ。普通のことじゃないか」
遺体を燃やした灰を使うこと。
それ自体はお燐のちょっとしたこだわりのようなもので、実際には別に何の灰を使っても弾幕の質に変わりはないのだが、気分が乗るか否かは勝敗に大きく関わってくる――と、少なくともお燐はそう思っている。
だから。
「どうしても欲しいのさ。――火葬された人間の遺灰がね」
「……冗談」
吐き捨てるようにぬえは言った。
「流石に看過できないわよ。別に人間なんてどうでもいいけど、あんたを見逃して聖の怒りを買いたくないし」
「おや? ぬえ様にも怖いものができたのかい」
「怖いっていうか、迷惑掛けたくないだけよ」
こちらを見据える視線が、頑固な光をたたえている。
「お固くなったじゃないか」
「毎日あの人の薫陶を受けてればそりゃあ、ねえ」
「あたいを見逃してくれればそれでいいんだよ?」
「今この場で大声出してもいいの?」
梃子でも動きそうにない。ばかりか、選択を誤れば本当に注進されてしまいそうな雰囲気である。
旧友の出方を見誤ったらしい、とお燐は勘付いた。どうやら本当に融通のきかない性格に変貌しつつあるようだ。変節を見るのは面白いといえば面白いのだが、このまま引き下がってしまうとわざわざここまで来た意味がない。
――ふむ。ちょっと探りを入れてみようかね。
するりと擦り寄るように身体を寄せて、お燐は囁くように言った。
「正体不明の種」
ぬえがぎょっとした視線を向けてくる。同時に、翼がぐらりと揺れる。
対照的に、お燐はにまにまとたちの悪い笑みを浮かべた。
――案外簡単に釣れたもんだ。
と、思ったからだ。至近からぬえの顔を覗き込む。
「在庫の方はどうなってるね」
「……まあまあよ。あんたに心配されるほどのことはないわ」
「どうだかねえ」
いかな妖怪と言えども無から有を作り出せるほど万能ではない。それができるのは一部の神霊だけである。ぬえの持つ正体不明の種といえども例外ではなく、ある特殊な素材が必要なのである。
ただ。
その素材は地上に現存していない。地霊殿のすぐ近くに生えているのだが、常人はさとりを恐れて近寄らない場所なのだ。
それを。
「あたいが持ってきてやろうって話さ。あんたはどうやら、ここを離れるのが怖いようだからねえ」
「……言うじゃない」
ぎん、とぬえがお燐を睨む。
しかしお燐はその視線を簡単に受け止めた。妖しく細めた目で語る。
「強がったってあたいにはちゃあんと分かってるんだ。種が尽きそうだってことも、悪戯三昧で立場が危ういってこともね」
「な――何を根拠に言ってるのよ!」
「おや? カマをかけてみただけなんだがねえ。それともぬえ様には思い当たる節がお有りかい?」
「……っ」
触手ともつかぬ翼がばさりと広がる。
お燐はひらりと跳びすさり、ぬえと対峙する。
「分かり易過ぎるんだよ正体不明。下にいた頃からちっとも変わっちゃいない」
ぬえは暫くそうしていて、けれど、やがて全身から力を抜いた。負けを認めるのは、昔から早い方だった。それを見越してカマをかけたのだ。
「三人分。量も加減するなら、見逃す」
「話が分かるねえ」
お燐はくつくつと笑う。ぬえも、脱力したように笑った。
命蓮寺の裏手にある墓地は、基本的にいつでも開放されている。里の古い共同墓地を吸収する形で命蓮寺は建立されたから、歴史が浅い割に墓石の数は多い。人間のみならず故人を偲ぶ妖怪も時折足を運ぶ場所なのだ。
そんな中、お燐は火車という死体と切っても切れない関係の妖怪でありながら、一度として足を運んだことがなかった。遺体を持ち去るといっても、埋葬されてしまえばあらかたの入手欲は失われてしまう。それが火葬されている場合は尚更だ。故に墓地という場所に興味をそそられなかった。
「スペルカードルールさえなければ、こんなこともしなくて済んだんだけど」
「よく言うわね」
じっとりとした視線をどこ吹く風と受け流して、お燐は墓の品定めを開始する。
どこの墓でも構わないといえば構わないのだが、できれば骨の量が多いほど、良い。ぬえの手前、墓三つで盗掘を止める気があるから尚更だ。頼りになるのは火車としての嗅覚だけ。なかなか困難な仕事だが、それ故燃えるとも言える。
程なく、お燐は既にとある墓石をごりごりとずらし始めた。比較的新しい墓だ。土葬と火葬の境を狙い、あわよくば生焼けの部分でも残っていないかと思ったのである。
見た目こそ華奢だがお燐の膂力は人間のそれを大きく上回っている。さほど苦労することなく動かして、軽い骨壷の中身を少々戴いた。蓄えておくための巾着袋は主の手によるものだ。耐火性に優れた地獄鴉の羽根を織り込んであり、弾幕ごっこにも耐える強さを持っている。
目分量でほとんど減っていない程度にしか、盗らない。
ぬえは意外そうに見ているが、初めから多くを盗むつもりではないのだ。はなから返すつもりがないからこそである。
「人間なら罰当たりって言われるところだと思うんだけど」
隣の墓石に座ったぬえが言う。先刻もそうだがこいつは服の汚れを気にしないのか――と、お燐は要らぬ心配をしてしまう。
「あんたはそういうの、気にしないわけ?」
「口がきけるものの何を恐れるもんか。第一、普段の行いが行いだからねえ。常から死体盗んでるあたいが、今更どの面下げて死者を怖がるっていうんだい? 生きてる巫女の方がよっぽど恐ろしいさ」
「……自覚はあるんだ」
「それがあたいの――火車の宿命って奴だからねえ」
苦笑しながらも手は止めず、お燐は早くも二つ目の墓をずらし始めている。
「灰の味でもみてみようか」
「不味いだけでしょそんなの」
「まあ、色気のない味ではあるけれど」
死人の要素が根こそぎ刮げ落とされた、無味乾燥な味がするのだ。進んで口にしたいものではない。質を確かめるために少々、ということは以前にもあったのだが。
――ばら撒くだけだし。
質に関してはあまり頓着する必要もないのである。
そもそもさ、とぬえが言う。
「死人を食べるってのがよく分からないんだよね」
「ぬえ様は舌が肥えてるねえ。生しか食べたくないと仰せかい」
「そういうんじゃなくて。何ていうか――死んじゃった人間って特別な感じがしない?」
「ふーむ」
お燐にも、死者に対する敬意がないわけではない。けれど"死んだことに気付いていない死体"と会話することは、たまらない楽しみなのである。骸が死んだことに気付いたとき、お燐はその死体への興味をなくし、死に囚われている魂魄を解放する意味も込めて、灼熱地獄に投げ入れるのだ。
如何なる人物の骸であっても、この接し方に変化はない。
話して。
輪に返す。
故に――骸というものにすべからく敬意を以て接するべきである、という考え方には賛同できない。お燐にとって死者はどこまでいっても死者であり、娯楽なのだ。
「死体のひとつひとつに特別性は感じないよ。死んじまったら誰でも同じさ」
地獄といえども怨霊ならざる霊魂ならば、あっという間に蒸発して輪廻の中へと戻って行く。悪霊であればそのまま戴いてしまうこともあるが、その辺りは猫の本能のようなものなので勘弁してもらいたい。誰にいうわけでもなく思いつつ、お燐は黙々と作業する。
ごりごり。
かたん。
さらさら。
ことん。
ごりごり。
あんたはどうなんだ――と、二基目を元に戻して、お燐は訊いた。
「私?」
「怖いか」
「死体が?」
「そうさ。ぬえの中に骸を恐れる気持ちがあるから、訊いてみたくなったんじゃないのかい」
「あんたほどじゃないけど、私だって日頃の行いがいい方とは言えないし。本当に死体が恐ろしいんなら、こんなところにいるはずないし」
墓石の上で足をぶらつかせながら、ぬえは言う。
「鵺を射落とした英雄の骸です――なんて言われたらちょっと怖いかもしれないけどね」
「そんな奴は千年前に死んでるだろ」
「たとえ話よ。ま、そんじょそこらの死体じゃ私も驚かないってこと」
「なるほど」
頷いたお燐は、三基目を物色しながら言う。
「だとしても、寺なんて死人と隣り合わせの場所だ。あたいみたいなのもやってくるだろ。そっちのが怖い、とかさ。そういうのはないのかい」
「あー」
確かにそれと似たようなのはあるかも、とぬえは笑う。
「人より妖より、念仏の一言が怖い――ってね。聖と出会ってからは、特にそんなことを考えるようになったっけ。今は私なりに死んじゃったひとには敬意を払ってるつもりよ。今までがそうじゃなかった分ね」
腹を。
撫でる。
「これまで生かしてくれてありがとうご馳走様。そんなのを確認するために、私はここにいるのかも」
「その割には修行熱心じゃないようだけど」
「それは言いっこなし、ね」
また、笑った。
――ふうん。
「楽しいかい、寺の生活は」
「馴染めないところもあるけどねー。それなりに楽しくやっていけそうよ」
「そうか」
本当はさ――と、言いながらお燐は顔を上げる。
「あたいがここに来たのは、灰盗りだけが目的じゃないんだよ」
「え?」
「あんまり詰まらなさそうにしてるなら、連れ戻してやろうかと思ってたんだよね」
「何ソレ」
「馬鹿にしてるんじゃないよ。三割くらいは本当の気持ちさ」
「あと七割は?」
「決まってるだろ」
「私は灰以下か……」
露骨に凹んだぬえがうなだれる。お燐は薄く苦笑した。さほど衝撃を感じていないくせに。
「だから分かり易過ぎるんだって、あんたの演技は。もうちょっと演じる努力をしなよ」
「お燐くらいだよ。私を疑ってかかるのも、私の嘘を見抜けるのも」
取り繕うのも面倒そうに言う。だてに地獄暮らしが長いわけではない。主ほどではないが、お燐もそれなりに他者の心理を見抜くことに長けているのだ。その程度ができないようではさとりの片腕が務まらないということでもある。例外は灼熱の釜を任されているおくうくらいのものだが、あれはあれで荒事方面に便利なので別勘定にするべきだろう。
「まあ、あたいが心配するほどのことはないみたいで安心した」
「……そりゃどうも」
「首輪、見るかい? 鵺用にしつらえた特別品だよ」
「遠慮しとく」
あはは、と笑いながら。
三つ目の墓に手をかけたとき――。
「ありがとね」
控えめな感謝がお燐の耳に届いた。そっぽを向いたぬえの耳が赤い。
――殊勝だねえ。
聞こえないふりで手を動かしながら、思う。似合わない。だが、ぬえがそれでいいと思っているのなら――口を出すべきではないのだろう。少なくとも目的があってここにいるようだし。
何もなければ、そして詰まらなさそうにしていたのなら、連れ帰ろうと思った――それは本心だ。地底に住まう者たちは、横の繋がりがとにかく強固である。地霊殿の妖怪たちが古明地姉妹に対する敬愛で強く結びついていることと同じように、虐げられた者独特の繋がりがそこには存在する。
その心地よさを捨てるだけの価値が、この命蓮寺にはある――のだろうか。
入門してみたい。
何とはなしに思ってみるけれど、一度目的を話してしまった以上、二度目はないだろうとも思う。この寺の住職ならば――と考えないわけではないが、葬儀を前に自制できるかと言われればかなり疑問だ。時々修行に――もとい、遊びに――来ているこいしから話を聞く程度に抑えておくがいいのかもしれない。
結局お燐が得た灰は、三基の墓からそれぞれ少しづつだった。もう一基、と押し問答をしている最中に、講堂の読経が途絶えたためだ。二人泡を食って逃げながら、お燐は笑った。
――また来よう。
友人の顔を見るためにも。
そう、思った。
山門の前には、こいしが佇んでいた。
「ど、どうしたんです?」
訊くと、いつも通りの掴みどころのない笑顔で、
「お燐が来てそうだと思ったから」
と、彼女は言った。法会を途中で抜け出してきたらしい。読経が中断したのはそのせいか。お燐は小さく苦笑する。全く、この人は。
「じゃあ、あたいたちはこれで。たまには下にも顔出しなよ。皆、肴には飢えてるんだ。歓待してくれるだろうからさ」
「ん、知ってる」
短く言って、ぬえはひらひらと手を振った。今から法会に潜り込んでみるつもりだそうだ。
こいしが抜けた穴に入ってみるよ――と言っていたが、微妙に照れ気味だったのはどういう理由なのだろう。尋ねてみたかったが、次回の楽しみにとっておこうとお燐は決めた。
「今日は楽しかったですか」
人里へ続く道を歩きながら、こいしに訊く。
「うん、楽しかったよ。お燐は何しにきてたの?」
「あたいですか? あたいは――」
話して聞かせながら、思う。次に来るときは酒と弾幕、双方で勝負を挑んでやろう。酒好きな悪友に、禁欲的な生活の何が楽しいのかと問うてやるのだ。
悔しげな友の顔を思い浮かべながら、お燐は家路を辿る。
二人の背中を追うように、読経の声が響き始めた。
これを見ているとお燐は烏以外にも、鳥だったりする奴の世話も焼いてきたっぽいですなぁ。
そんな二人の取引、まぁまぁなんともまぁビジネスライクだことwお燐がずるくて大変心地よい。
とりあえずどっちにしろ二人とも実に妖怪してるね。その癖情まであるんだから憎めないんだよなぁ、うん。
以下、コメント返しを少々。
>>地底組の倫理観
ズレをどういう風に利用するか。東方の二次創作における醍醐味はそのあたりにあるのかも、と思っています。
あまり上手く活用できている気がしないことが難点ですけども。
>>旧友との再会
久しぶりに会っても馬鹿なことを言い合える友人というのは貴重ですよね。
そういう感覚がわずかでも表現できていたら、と思います。
>>悪く言えば地味だけど、世界観の根を広げるような手堅い話
私自身、静かな話が好みなので、自然とそういう話ばかりになってしまうのです。
もう少し世界観を広げながらも動きのある話を目指していきたいです。
>>地底組と元地底星組
求聞口授が出て一ヶ月。例大祭もあったことですし、これから増えるのが楽しみな組み合わせだと思います。
外と関わりを持ちづらい地底組だからこそ、少ない接点を生かしていきたいものですね。
>>親友というか腐れ縁というか
火車や鵺のように名の通っている妖怪はどこかしら人間らしからぬ部分を内包しているものだと思うのです。
そんな彼女たちがどういう関係を結ぶのか。想像しながら書いていました。