布都の脚に桃の花が咲いてから、早一週間。既に七割方の花弁は散り、中には小さな実となっているものもある。
このまま順調に育てば、きっと大きさ、匂い、味のどれをとっても文句なしの白桃へと育っていくことだろう。
ならば、我がこれから行うべきは何か? 決まっている。
「風見幽香許すまじ」
原因を探し出し、この馬鹿げた状況をさっさと解決する。それだけだ。
まずは、順を追って説明すべきだろう。そうせねば、我の頭が残念な事になってしまったと勘違いされかねん。それは困る。
布都ならともかく、我にそのような属性を付加されるわけにはいかん。蘇我屠自古は賢い子。…おっと話がずれた。
きっかけ…というか、原因は先程述べた通りあの花の大妖怪とやらなのだが、冷静に振り返ってみるとこちらにも多少非がある。
あれは、春告精がやかましく飛び回っていた小春日和の日の事だった――
たまには皆で散歩にでも行きましょう、と太子様が仰られたので、我と布都は当然お供仕った。
その途中で、不運にも出くわしてしまったのがあの音に聞くドS妖怪、風見幽香。
太子様はすれ違いざまにちらりと見てから、小さく呟いた。
あの方もまた、欲が幾つか欠けている。そして特定の欲が過剰にある、と。
このような評価を太子様がするのは、相手がそれなりの変人、もしくは実力を持つ存在であるという事。
無論我は一目見ただけで実力差を肌で感じ取り、波風立てぬが吉と判断し当たり障りのない挨拶をしておいた。
ここまではよい。そう、ここまでは何の問題もなかったのだが、
『ほう、成程』
何故か布都は風見幽香の前に立ち止まり、じろじろと観察し始めた。
これはいかん。ろくなことにならないぞと感じた我が慌てて駆け寄ろうとしたが、時既に遅し。
『……? 何かしら、人をじろじろと見て」
『いや、言わなくてもよい。我は理解したぞ。お主……古株、だな……?』
いつも通りのドヤ顔で、どこから湧いてくるのかさっぱり分からない自信を持って布都は堂々と告げた。
明らかに色々と説明不足で間違った解釈を、よりによって初対面の大妖怪相手にだ。
『しかも相当年季が入っておる。隠しておるつもりだろうが、我には分かるぞ。お主、相当長生きしておるようだな。最早仙人と言っても過言では……』
『よし、桃になれ』
かくして、布都の太もも……もとい両脚は桃の枝になったのだった。
この一週間の様子から察するに、どうやらこの症状(?)は放置しても治る見込みはなくむしろ悪化する可能性が高いらしい。
つまりこのままゆけば、布都はいずれ立派な桃の木に変貌してしまうという事だ。
流石にそれは嫌だろうと思い、布都を問いただしたのだが、
『ふむ、中々良い匂いではないか。つまりこれは我が高貴で高潔な人物であるという何よりの証明ではないのか? そうに違いない』
…とか抜かし実に愉快そうな様子。このおろかものめ。
ちなみに他の神霊廟連中はというと、腹黒邪仙は腹を抱えて笑い転げ、その部下の腐れ脳味噌キョンシーは何故か『梅じゃないのかー残念だぞー』とか文句をつけ、太子様に至っては『これが本当の布都桃ですね。クンカクンカしてもいいですか』などと寝言をほざいておられたので全員電気あんまの刑に処しておいた。
この流れを見てもらえば、、唯一まともな我が尻拭いをするのは仕方ないと分かってもらえるだろう。
正直面倒この上ないが、あんな阿呆でも我が仲間なのだ。放っておくわけにもいかん。やれやれ。
「さて、風見幽香め一体どこにいる」
明確な目的を持って廟を飛び出したはいいが、目標がどこにいるか皆目見当もつかない。これは迂闊だった。
まあ広いようで狭いこの幻想郷だ、適当に探してまわれば見つかるだろう。
少女探索中………
「成程。そう高を括っていたが実際そう上手くいく筈もなく何の手かがりも得られぬまま時間ばかりが過ぎてしまい、このままでは疲労困憊で意気消沈し帰宅する羽目になるので逡巡した末この私のところに来たというわけか。大根足の亡霊殿」
「……。そういう、事だ……」
ここは我らにとって少々因縁のある尼僧が根城とする命蓮寺。その客間にて正座する我を見下しているのは鬼畜ネズミ妖怪。
本来ならば大根足などという侮辱をすぐ撤回させるところなのだが、物事を頼む身としては頭をさげるしかない。
「ふむ、こちらとしてはその依頼を断る理由も無いのだが、いいのかね?
そちらの主とこちらの聖はまだ和解したとも言い難い状態だ。君の行動は、敵に借りを作るようなものだぞ?」
「構わん。これは私が勝手に判断した事だ。叱責など最初から覚悟の上。
それにお主のハウザーだったかサウザーだったかとしての力量は衆人のよく知る所であるし、他に頼める当てもないのだ。
大事の前の小事ともいう。この位の屈辱ならば甘んじて受けよう」
「人の職業をどこぞの恐竜や紙ペラ聖帝にしないでくれ。私はダウザーだ。
まあいい。お互い、望む方向での賢くない上司を持つ者同士、今回は私個人への依頼として受けよう。正直私も、余計なごたごたは増やしたくない」
「その心遣い痛み入る」
構わんさ、と肩をすくめるネズミ妖怪…もといナズーリン殿を見て私は思った。
どこにでも生真面目故に余計な気苦労を背負い込む損な役回りのものはいるものなのだな…と。
噂に違わず、ナズーリン殿の探索能力は素晴らしいもので一刻もかからずに目標を探しだしてくれた。
今回はサービスだという事だったが、それではこちらの気が済まない。今度うちの廟に置いてある秘伝の酥を贈ろう。
ちなみに風見幽香がいたのはどこぞの虫の王の寝床だった。寝巻き姿でのそのそと出てくるとは、甘く見られたものだ。
「あら、誰かと思えばあの失言仙人もどきのお友達。何か用?」
「言わずとも分かっておろう。すぐに布都の脚を元に戻せ」
ふぁー…と大きな欠伸を包み隠さずこちらに披露する風見幽香。
全くやる気を感じない態度だが、ここで油断してはならない。
仮にも前にいるのは幻想郷でも上位に入る実力者。真っ向からやりあって勝てる見込みは無い。
尤も、それを理解した上でこちらはここに来ているわけだが。
「へえ、実力はともかくやる気は充分、と。そんなにあのお馬鹿さんが大事なのかしら」
「大事、大事、か。正直そこまで大層な存在とは断言しかねるが、軽はずみな発言で間抜けな結末を迎えても構わんと思える程でもない」
「要するに家族だからって事でしょ。全くこれだから頭でっかちの古ボケ貴族は。簡潔にスッキリ纏めようとせずそれっぽい言い回しで取り繕ってばかり」
家族、か。そういえば、あの阿呆と我は一応そういった間柄でもあったな。
それも遠い昔、朽ち果てつつある文献にかろうじて記されている程度のもの。今更固執する理由も無い。
「否定はせん。素直さ云々に関しては、そちらも人の事を言える立場では無かろう?」
「いいのよ。私は私、他所は他所。偶々誰かと被っていたりいなかったり。それ程度の話」
清々しいまでの傍若無人っぷり。これぞ正しく大妖怪というべき在り方なのだろう。
かつて人として生き、今は人外と成り果てた我が身としては少々羨ましくもあるが、本題はそこではない。
「で? どうすればよいのだ。このままお主に挑めばいいのか? 弾幕勝負ならば、一応準備しているが」
「そうねぇ。別にここままここでやりあってもいいけど、正直今は戦いの刺激より眠気覚ましの蒲公英コーヒーが欲しい気分なのよね。うーん……」
顎に手をやり、しばし考える素振りを見せてから風見幽香は急に歩き出し、
「よし、じゃあリグル、貴女がやりなさい」
こっそりとこちらを伺っていた虫の王ことリグルとやらを無理やり引っ張り出した。
それはいいが、何故リグルとやらの服装はやたら幼児嗜好なのだ? 今世の流行りというものはわからん。
「えっ えっ?」
「何蜜蜂がハナカマキリに捕まった時みたいな顔してるのよ。貴女がこいつの相手をするの。弾幕ごっこで」
「えちょ、どうして私が!? そ、それに何か相手それなりに強そうなんですけれど?」
「ああ、別に勝たなくていいわ? その代わり負けたら今日一日私の椅子ね。じゃ、後任せたわよー」
「な……! そりゃないよ幽香ーっ!」
縋りつくリグルを一蹴し、風見幽香は家の中へ引っ込んでしまった。あそこはリグルの家の筈だが…。
ううむ、さて困った。これを願ってもいない好機と取るべきか、それとも馬鹿にされていると憤慨すべきか。
考えても仕方ないので、私は扉の前で項垂れる虫の王の背中をぽんと叩いた。
「巻き込んでしまったのは申し訳ないが、こちらにも事情があるのでな。手早く済ませたいのだが、構わんか?」
「………ううう、こうなったらやけくそだ。私も全力で行くからねっ!」
ちなみに結果は我の一枚目のスペルであっさり決着。ううむ、難易度ハード仕様だったのだがそんなに厳しかっただろうか?
リグルとの弾幕ごっこの結果を見た風見幽香は『分かった。もう術は解いたから、さっさと帰りなさい』とだけ告げ、落ち込む虫の王の首根っこを掴み家の中へと連れ込んで行った。
中で何が行われていたのかは知らん。知らんったら知らん。さとり妖怪? 帰ってくれお願いします…
とにかく布都の脚は元に戻り、何とか一件落着と相成った。
色々と思うことのあった一日だったが、得られた物もあるし悪いばかりともいえないだろう。
「おお、我の脚が元に戻ってしまった。これでは太子様にクンカクンカしてもらえないではないか……」
「大丈夫ですよ布都。クンカクンカできないならスリスリすればいい。布都の太ももすりすり」
「おー、さすがは太子さま、今日も見事にびょーきだな!」
「しっ、駄目よ芳香。見てはいけません。目が腐りますよ」
「……………」
こちらが苦労して帰ってきたというのにこれである。
相も変わらずズレた発言ばかりしている当事者とどさくさに紛れてセクハラを敢行しようとしている我が主、そしてそれを生暖かい目で見守る邪仙にさっぱりさっぱりなその部下。見事なまでにいつも通りの光景だ。
やれやれ。
「なんだ屠自古、そのような辛気臭い顔をしてどうしたのだ?」
休んでいると、布都がいつもと変わらぬ顔で気さくに話しかけてきた。
こいつは頭が残念なだけでなく、空気を読む事もあまり出来無いらしい。どこぞの竜宮の使いを見習え。
あの気品溢れるさたでぇないとふぃばぁの構えにぱっつんぱっつん、見事也。
「何でもない。今日は少々厄介事を片してきたので疲れている。それだけだ」
「ほう、そうであったか。ふむ…お主…ひょっとして」
「いや、待て。それ以上何も言うな」
「何故だ? 折角こちらが心配しているというのに」
「どうせろくでもない事しか言わんと分かっているからな。普段ならまだしも、今は疲れているのだ。しばらく放っておいてくれ」
「むう、疲れている……? お前が、か? なんだ、そうであったのか。ならさっさと相談してくれればよいものを」
「……何の話だ?」
「いやいや、何も言うな屠自古よ。我は分かっているぞ。お主………『あの日』なのだな……? そうで」
その言葉を最後まで聞き終える前に、我は渾身の稲妻蹴りをドヤ顔目掛けて叩き込んだ。ドゴォ。
「い、痛いではないか!」
「愛の鉄拳制裁だ、おろかものめ」
泣いたり笑ったり喜んだりと、ころころ表情を変えるこの馬鹿を見ているのは、まあ、悪くない。
そのためなら、多少の苦労もよいかもしれん。これは、誰にも内緒だがな。
「ナズっちー、神霊廟から貴女宛に小包が届いてるけどー」
「ああ、済まないな船長。小包か。凝った包装だな……っと、なんだこの壷は。何やら食べ物のようだが」
「えっ、食べ物ですか? な、ナズーリン、早く開けましょうさあ開けましょうハリーハリーハリー!」
「落ち着けご主人……。(パカッ)うぐっ……!」
「うおっ臭っ! 具体的には小学校でこっそり溜め込んでいた紙パック牛乳が知らない合間に発酵しててチーズになりかけているのを発見した時のような……」
「具体的すぎるわ! うぐ……村紗……私……もう駄目……」
「ぎゃーぬえさんが倒れちゃいましたー! ぎゃーてーぎゃーてー大変だー!」
「だーもう、響子騒ぐんじゃない! 聖! 何とか言って――」
「ああ、何と懐かしい香り……。ああ、命蓮寺に腐臭が満ちる――」
「解脱しかけてるー!?」
この後、怒ったナズーリンが神霊廟に乗り込んだり屠自古がひたすら陳謝したりしたのだが、それはまた別の話。
にしてもこの神子様ダメ過ぎる…
屠自古ちゃん頑張れw
屠自古にナズーリン、ついでにリグルも頑張れ!
酥ってのは、昔のチーズみたいなものかな? 日本古来のものだったら、実際かなりの匂いだろうな。
否、布都ももにすりすりしたくなるのは誰もが持つ欲。
言わない屠自古がなんとも苦労人で愛しいお話でした。