雨樋の微かな揺れ、色を変える道、とびはねた水滴が服を濡らした。顔をしかめたのはお気に入りの仕事着が汚れたからではなく、自らの性格を鑑みたからであった。
四季映姫、雨宿りの真っ最中である。
梅雨も近い。夏だってもうすぐだ。雨だって降ろう。どんどん降る。勤勉さは日本人の美徳と言うが、気候にも伝わっているのだろうか。それとも天の気が地上に降りて、人間達に影響を与えているのか。
地震大国、火山に津波。海のない幻想郷では最後の一つは心配に及ばないけれど、災害に事欠かないのもまた事実。怠け者に渇を入れ、汗水垂らして働けと叱咤激励するのが映姫の趣味だったが、さすがに悔悟の棒を天に向ける気はさらさらない。むしろ、少しは休息を入れてはどうかと促したくなる。
あるいはスケジュール帳の提出が必要であった。是非曲直庁の誇る優秀な頭脳達ですら、明日の天気を確実に当てることはできない。何の為の頭脳だと憤りを覚えても、彼らからしてみれば天気など天狗の予報に任せれば充分。それよりももっと他に役立てることがあるはずだと思いこんで、成果があるのか無いのか分からない研究に力を注いでいる。
個人的な意見だが、天気予報よりも優先すべき技術があろうかと。予報が予言ともなれば、もう運命を操る吸血鬼なんかいらない。今だって別に役立っているわけじゃないけれど、嬉しさのあまりに跳び蹴りを炸裂させる姿は容易に思い浮かべられる。
天気予言さえあれば、こうして不意の雨にやられることもなかっただろうに。
つらつらと述べたくだらない思考の果てに辿り着いたのは、結局のところただの愚痴。不平不満、あるいは文句。
「非生産的な行いという意味では、使えない頭脳集団と大差ありませんね」
自覚はしているが、それで止められるのなら居酒屋はいらない。愚痴の捌け口となっている八目鰻屋にしたって、商売あがったりだろう。
理解と結果は別次元なのだ。
だから当然の如く、愚痴ったところで何も変わらない。曇天は地上を見ておらず、きっと晴れ晴れとした空を独り占めしているのだろう。ああ、妬ましい。
橋姫が憑依したのか。半目の双眸が怨みがましく雲を睨みつけていた。
「おや、閻魔様ではないですか。雨宿りとは、風流ですね」
顔見知りの言葉でなければ、濡れるのも顧みず頭突きをかましていたところだ。稗田の言葉に青筋をたてながら、理性的な表情で落ち着いて口を開く。
「これはこれは稗田。傘のあるあなたからしてみれば風流かもしれませんが、絶賛雨宿り中の私からしてみれば何が風流だこの野郎」
若干の恨み節は受け流す方向でお願いしたい。ストレスと苛立ちの生産工場とも揶揄される是非曲直庁で働いていれば、どんな善人だって口が悪くなる。日頃から沈着冷静を重んじる四季映姫・ヤマザナドゥですら気を抜けば本音が漏れ出す始末。
あの伏魔殿の中で飄々としていられるのは博麗の巫女かサボタージュが日課の死神ぐらいのものだ。もっとも後者は完全に映姫のストレスの原因でもあり、飄々とされては困るのだが。
「気が利かず、失礼しました」
幾度となく付き合いのある稗田だけあって、荒くれだった語尾をスルーしての謝罪だ。見事なまでな連携プレイは、転生などせずに秘書官としてスカウトしたいぐらいである。
「入りますか?」
差し出される傘。蛇の目、蛇の目の蛇の目傘。
色合いは紫で、どこぞの隙間妖怪を思い出すけれど機能には何の問題もないはず。あれに入れば、どこも濡れることなく是非曲直庁まで戻ることが出来るだろう。ああなんと甘美なお誘いか。
しかし断る。四季映姫、ここで相合い傘に興じるほど柔軟な閻魔ではなかった。
「お誘いは有り難いのですが、待ち人がありますから」
「そうでしたか。これは、重ね重ね失礼しました」
「いえいえ」
あなたは何も間違っていない。間違っているのは自分の方。
確かにテレパシーが届いて、小町がやってくる可能性は零じゃない。限りなく零に近いけれど、そういった意味では待ち人があるという表現は間違い……だ。
来るものか。あの死神が。
「それでは、私はこれで」
「さようなら、稗田」
完璧が服を着て歩いていると自称している四季映姫。まさか不意の雨に敗北して、雨宿りを余儀なくされていると思われたくない。そんな意地が彼女の言語中枢を支配して、心にもない台詞を吐かせたのだった。
去りゆく稗田阿求。カムバック。カムバック、稗田。
死神に届かない心の声が、稗田阿求に届く道理はどこにもない。彼女の姿が消えたところで、映姫は深い深い溜息を漏らした。
「馬鹿ですね、私は……」
自らの歩んできた人生を否定するような重い呟き。金剛石よりも固くなった意地を崩すには、並大抵の刃物じゃ意味を成さない。それこそ悪魔の妹の能力でも持ち出さない限り、映姫は意地を張り続ける。
本当にそれでいいのか。自問自答の声は尽きない。
雨が止むまで待ち続け、傘の誘いを断り続けるのか。己の意地を通す為だけに。
馬鹿らしい。馬鹿らしいと分かっているのに、誘いに頷くことはなかった。
上白沢の誘いも、東風谷の誘いも、聖の誘いも全て断った。
比較的常識人の彼女たちですら映姫の意地に打ち勝つことが出来ないのだから、相合い傘など幻想でしかないのだろう。幻想郷で生まれた幻想は、果たして何処に行くのか。そんなことを考えていた時のことだった。
雨の音がやんだ。
祈りが通じ、天が屈したか。顔をあげた映姫はしかし、再び顔を落とすことになる。
大きな傘が雨を防いでいただけで、曇天の方は相変わらずの雨模様である。
「あなたが噂の閻魔様ね!」
「ええ、私が噂の閻魔様ですよ」
鬱々とした感情が、受け答えをぞんざいにした。それでも目の前の少女はめげることなく、どこかセンスの悪い茄子みたいな傘をくるりと回した。飛んできた水しぶきが服にかかり、映姫の不機嫌ゲージがマッハであがる。
不穏な気配を察し、少女は怯えながら後ずさっていった。そのまま消えてくれれば楽だったのに、怯えながらもこちらに話しかけてくる。どれだけ機嫌が悪かろうと、誰かを無視することのない映姫。問いかけられれば、必ず答える。
「雨宿りしてるの?」
「そうです。ですがもうすぐ待ち人が……」
「じゃあちょうどよかった!」
近づいて、腕を掴まれる。誘拐されるのかと思うぐらい、力強い引っ張りだった。
為す術もなく、反応する時間もなく、気が付けば頭の上からひさしは消えていた。代わりにぶつかりそうなほど近い位置で、傘の生地が髪をくすぐる。
世間一般ではこれを相合い傘と呼んでいた。
「あの、何を?」
「何って、雨宿りしてたんでしょ。だったらほら、傘いるじゃん」
「それはそうですが、私に待ち人が……」
「どこ?」
「え?」
「どこ行きたいの?」
「帰られるのなら是非曲直庁に帰りたいのですけど、私には」
「ぜひきょくちょくちょう……蝶?」
「三途の川の向こう側です」
「三途の川ね!」
「いえですから、私には待ち人が……」
ぐいぐいと、引っ張られる。話なんか聞いちゃいねえ。
じゃんけんを思い出した。たとえどれだけ固い石だろうと、紙はそれを承知で包み込む。だから石の負けなのだ。
本来なら包容力とかそういった表現で納得させるのだろうけど、強引さというのも紙の性質に似ているのかもしれない。いや、どこが似てるのかと問われれば答えに窮するのだが。
少女の強引さは映姫の冷静な頭脳を確実に狂わせている。
「私の名前は小傘っていうの。多々良小傘、妖怪」
「私は四季映姫・ヤマザナドゥ。閻魔をやっています」
「知ってる」
先程映姫を指さして閻魔だと言っていたから、当たり前と言えば当たり前の返答だ。ただどことなく瞳を輝かせて、何かを期待するような眼差しを向けているのは何故だろう。そんなに見つめられても、飴の一つだって持ってやしない。
張った意地があっさりと打ち砕かれたことといい、妙な視線といい。狭っ苦しい傘の下は、どうにも居心地が悪かった。これだったら軒下で空を眺めつつ、曇り空のご機嫌を窺っていた方がマシだった。
全ては過ぎ去ったことだけれど、後悔は閻魔にだって止めることのできない感情である。
「私ね、お伽噺が好きなの」
沈黙に耐えかねたのか、それとも気まぐれで口を開いただけなのか。小傘は唐突にそんなことを言った。
「お伽噺ですか」
「そう、お伽噺」
会話終了。双方とも、膨らませるつもり一切なし。
そして強まる小傘の視線。
なんなんだ、一体。
気まずい相合い傘はロマンスを生み出すこともなく、重苦しいまま三途の川へと到着する。小傘の視線は弱まることを知らず、とうとうその原因は分からないままだった。
ひょっとして惚れられたのかと邪推もしたが、そういう類ではないようだ。どちらといえば純粋な子供がサンタクロースに向けるような、幻想を信じて疑わない視線だ。何かを期待されていることは分かるのだけれど、詳細が理解できないのだからどうしようもない。
「ここまでで充分です」
これ以上は重苦しい空気、及び期待の籠もった視線に耐えられそうにない。小傘は残念そうな顔をしたかと思えば、すぐさま懐を探った。
そして取り出したるは、炭のような棒きれ。
「これあげる」
「なんですか、これ」
「折りたたみ傘。簡単に組み立てるだけで、傘になる優れものなの!」
「ほお、これがあの」
是非曲直庁の頭脳集団ですら、その技術に舌を巻いたとされる折りたたみ傘。こうしてみると炭のようだが、これが一瞬で傘に変わるというから驚きだ。今後は携帯して、不意の雨に供えるとしよう。少なくとも頭脳集団よりかは使えるはずだ。
しかし、そうなるとますます困る。ここまでされて、何もせずに帰すのは忍びない。たとえ強引に引っ張られたとはいえ、受けた恩は返さなくてはなるまい。お茶の一杯と茶菓子でも振る舞おうかと思った頃には、踵を帰した小傘が去りゆくところであった。
「じゃあね、ばいばい!」
無邪気に手を振り消えていく。結局、彼女は何がしたかったのか。
ただの善意にしては、あの視線が気になる。かといってお礼を期待していたわけでもない。お礼が欲しいのなら、こうもあっさりと行ってしまう理由が分からない。
「何だったんでしょう」
だけどただ一つ確実なのは、彼女のおかげで助かったということ。
もしも機会があるのならば、お礼に有り難い説教の一つでもしてあげるとしよう。
不思議と上機嫌になってきた映姫は、物珍しげに折りたたみ傘を開きながら、優れた技術に驚きつつ、三途の川を飛び越えるのだった。
是非曲直庁で待っていた死神が、閻魔の物語を聞いて一言。
「なんか傘地蔵みたいですね」
映姫は全てを理解した。
いやいや嘘じゃないですって。
六倍説教とかマジ勘弁。いやでも六人の映姫さまと考えれば。
ううむ……ご褒美?
軽くイジメだろww
小傘にまつわるいい話期待してたのにwwww負けたぜwwww
すとんと来て気持ちの良いオチでした。
と言おうと思ったらあとがきに噴いたww
下心があっちゃダメって事ですかえーき様
まぁ、我々の業界ではご褒美ですけどね。
しかしそこは何かお礼したれよw
ア~~ンリビバブ 冥途蝶
オチの為だけの丁寧な描写がとてもよかったです!じゃあ子傘ちゃんは
傘地蔵がしたかったからやってたってこと?ですか?イミフ!!
こう言う映姫様の性格がかえってかわいく感じるんですよねぇ。超門番
うちにも来てくださいw