「私は実際には存在しないもの。虚無、残像、幻覚。でもわずかな人の心の中では生き続けている姿。
鬼灯のような紅い布切れが導いた、日常を打ち壊しては心を蝕む化け物。
こんなものが認められるわけがないから、普段は否定されてしまう。見えていてもほとんどは陳腐とだけ言い渡され、その痕を消されていく。
それが、嘘にまみれたこの日なら生きていられる。お祭りのどんちゃん騒ぎの中、不要なものも混ぜてもらえる。
一年に一日だけ存在を認められるだなんて、七夕のようで幻想的じゃない?
こんな日に来てくれてありがとう。私のために来てくれたの?それとも四月一日だから来てくれたの?
今日は嘘があまりないようだから、あまり長くはいられないかもね。
小さな姿で色んなのと遊んでいたけど、こんな御転婆達をまとめなきゃいけないなんて子守は大変そう。
何も感じない記憶しか生んでないって知ったら、遊び相手は悲しんじゃう?私の前では道化になっていく。あなたも、幻想郷も、この言葉もみんなみーんなその意味、役割を消すことができてしまう。私はそれができるモノとして定義されたから。
...半分は嘘。私には何も感じなくともあの姿には感情が蓄積されていくよ。
貴方は私がどう見えているかな、カミナリサマを走らせる小さな小さなヴァンキッシャー?それとも背中まで金髪を垂らした悲しみの未亡人?
同じ私を知っているのに、見えてる人物像が違うっていうのは不思議。
そんな不安定な存在が私。どんなものにされようとも私という事だけは変わらないよ。
多くの《日常の私》は消えていったって言ったけど、中には生き残ったのもいる。
新しい妖怪が生まれて、発掘されては流される情報の洪水に耐え、今日以外でも存在を示せる大きな標。
そのお陰で私は存在があるのかさえ不明なままで、死にかけとはいえ生き続けることができてるの。
もうこんな時間。こんなに早くみんなが嘘と真実が分別される日常が近づいてきてしまった。
往生際が悪いけど、今でもまだ自分を真実だと思ってほしい、舞台の照明に当たって認めてほしいって思っている。
でもそんなことを思うだけ思ってダラダラしちゃって。
じゃあ来年。またこの宵闇の混ざった世の中で会いましょう」
鬼灯のような紅い布切れが導いた、日常を打ち壊しては心を蝕む化け物。
こんなものが認められるわけがないから、普段は否定されてしまう。見えていてもほとんどは陳腐とだけ言い渡され、その痕を消されていく。
それが、嘘にまみれたこの日なら生きていられる。お祭りのどんちゃん騒ぎの中、不要なものも混ぜてもらえる。
一年に一日だけ存在を認められるだなんて、七夕のようで幻想的じゃない?
こんな日に来てくれてありがとう。私のために来てくれたの?それとも四月一日だから来てくれたの?
今日は嘘があまりないようだから、あまり長くはいられないかもね。
小さな姿で色んなのと遊んでいたけど、こんな御転婆達をまとめなきゃいけないなんて子守は大変そう。
何も感じない記憶しか生んでないって知ったら、遊び相手は悲しんじゃう?私の前では道化になっていく。あなたも、幻想郷も、この言葉もみんなみーんなその意味、役割を消すことができてしまう。私はそれができるモノとして定義されたから。
...半分は嘘。私には何も感じなくともあの姿には感情が蓄積されていくよ。
貴方は私がどう見えているかな、カミナリサマを走らせる小さな小さなヴァンキッシャー?それとも背中まで金髪を垂らした悲しみの未亡人?
同じ私を知っているのに、見えてる人物像が違うっていうのは不思議。
そんな不安定な存在が私。どんなものにされようとも私という事だけは変わらないよ。
多くの《日常の私》は消えていったって言ったけど、中には生き残ったのもいる。
新しい妖怪が生まれて、発掘されては流される情報の洪水に耐え、今日以外でも存在を示せる大きな標。
そのお陰で私は存在があるのかさえ不明なままで、死にかけとはいえ生き続けることができてるの。
もうこんな時間。こんなに早くみんなが嘘と真実が分別される日常が近づいてきてしまった。
往生際が悪いけど、今でもまだ自分を真実だと思ってほしい、舞台の照明に当たって認めてほしいって思っている。
でもそんなことを思うだけ思ってダラダラしちゃって。
じゃあ来年。またこの宵闇の混ざった世の中で会いましょう」
お祭りが終わるのって寂しいですよね
不思議な彼女と触れ合ってみたいと思いました。