「未成年者と知っていながら援助交際した罪で、あなたを逮捕します」
「なんじゃと?」
マミゾウは絶句した。
よりにもよって、この幻想郷。もはや現実的な話をされようなどとは、予想だにしていなかったのである。まさしく、寝耳に水の物語。
しかも、眼前に佇み、静かに自分を見据えている和装の女は、とても警察だなんて思えなかった。
「挑発するつもりはないが、お前さんが逮捕権を行使できるとでも言うのかな?」
「私人逮捕を知らないとは、不勉強ね」
「はてさて、儂はしがない化け狸。人の世の法律など、知らぬことじゃな」
「犯罪者は誰でも、そう言うのよ。『知らなかった』は免罪符にならない」
まことにもって道理である。その理屈がまかり通るなら、大半の犯罪が問題とされなくなる。それはそれで問題だろう。
しかしながら、身に憶えのないことで捕らわれるのであれば、それこそ冤罪ではないか。マミゾウとて、一方的な言いがかりを認めるほど、お人よし(お狸よし?)ではなかった。
「もっともな言い分じゃが、確たる証拠あっての話なんじゃろうな? 事によっては、儂とて名誉毀損で訴えるのも吝かでないぞい。そもそも、お前さんが誰なのかも解らんしな。一方的に非難されてはかなわん。まずは、身分を証明してもらおうかの」
伊達に、人間社会の近くで生き永らえてきたわけではない。それなりに、保身のための知識は得ている狸だった。郷に入りては郷に従う。和を以って友達の輪であるペットントン。
ドヤ! と鼻息を荒くしたマミゾウに、その女は悠然と微笑み返した。
「化け狸に人の道を説かれるとは、恥ずかしいことね。申し遅れた非礼は詫びるわ。私は小兎姫。援助交際の罪状で、下手人 二ツ岩マミゾウを逮捕しにきたのよ」
「それはそれは、わざわざご苦労じゃな。しかし、儂は天地神明に誓って援助交際などしておらんよ」
「白を切っても無駄よ。タレコミがあって、それを元に調査したのだから」
「タレコミとはまた、穏やかではないのう……」
多くの場合、権力側への密告とはライバルの追い落としと同義である。マミゾウは考えた。はたして自分は、誰かの私怨を買っていたものか……と。
自分に仇なそうとする相手なら、心当たりがないわけでもない。だが、脳裏に浮かぶ彼女たちであれば、他人の手を経るなんて回りくどい真似はするまい。きっと正々堂々、実力行使してくる。それは確信できた。
「その、タレコミをした者とは誰なのじゃ?」
「貴重な情報源を、バラすはずがないでしょう。常識的に考えて」
「ううむ。こんな『やった』『やってない』の水掛け論では、埒が明かんのぅ。それならばじゃ、儂が手籠めにしたらしい被害者に、話を聴こうではないか。被害者の側が嘘を吐いている可能性だって、皆無じゃないのだからな」
「いいわ。それで罪を認めるのなら手っ取り早い。ご希望どおりにしよう」
「それでも儂はやってない。潔白じゃ」
「今のうちに泣いて謝っておけば、罪も軽くなったのにね」
やれやれ……と、肩を竦める小兎姫に向けて、んべーっと舌を出して見せるマミゾウだった。
仮に未必の故意だったとしても、二ッ岩の意地にかけて認めるものかと、心の中で隠神刑部に誓ったほどである。
▽ ▲
「おう、ここじゃったか」
二人が訪れたのは、人里にある貸本屋『鈴奈庵』である。
その店は確かに、マミゾウの巡回コースだった。店番の娘――本居小鈴とも、懇意にしている。ちなみに、マミゾウはいつもの人間装束に変化済みだ。人里に入るときは、特に人間らしく演じる努力を忘れなかった。
「ここの看板娘は変わり者じゃが、愛嬌があって可愛らしいぞい」
「やっと、罪を認める気になったのね」
「だーかーらー、儂はなにも知らんと言っておるじゃろう。この、わからんちんが」
なにかと言えば罪人に仕立てあげようとする小兎姫に辟易して、マミゾウは返答もせず店の暖簾を潜った。話せば話すほど、余計に拗れてくる。それならば、いっそ百聞は一見に如かずの諺どおり、現実を見せて説得力したほうが早い。
「邪魔するぞい」
「あ! いらっしゃいませー! いつも贔屓にしてもらって、感謝感激です」
「いつもながら愛想がいいのう。うむ、商売の基本は明るい笑顔じゃ。可愛いぞ」
「ですよねー。えへへへ」
そんな二人のやりとりを、一歩下がったところから眺めていた小兎姫の瞳に、確信めいた光が宿る。
「これはこれは。本当に、仲がよろしいようで」
「はいっ! この方には、本当によくしてもらってます」
小鈴の明快な返事も、ネガティブな先入観が事実を歪ませる。
小兎姫の胸裏では、『よくしてもらっている』の一言が、ひどく卑猥な印象として変換されていた。
それを獣の直感で察知したマミゾウが、どこから取り出したものか大きなハリセンで、小兎姫の頭を強打した。予想外に大きな音で、小鈴がビクッと十センチほど飛びあがった程である。
「おかしな詮索も、大概にせんか。儂は無罪じゃと、何度も言っておろうが」
「え? え? な、なんの話ですか一体?」
一人、状況を理解しておらず、目を白黒させる小鈴。
マミゾウは手をひらひらさせつつ、困り顔で経緯を説明した。
「誰に吹き込まれたものか、儂を犯人だと言って聞かないのじゃ」
「およよ……そんなことが」
「本当に、援助交際ではないの? ストックホルム症候群という可能性もあるわね」
「この人は、お店の常連さん以上の、なんでもありません。それは間違いないです」
「疑心暗鬼がすぎるようじゃな、この御仁は。職業病かの」
呆然とする小鈴。釈然としない小兎姫。憤懣やるかたないマミゾウ。
どこにも解決の糸口が見出せない、状況は三竦みの趨勢に陥りかけていた。
ところが――
「で、でもぉ……」
やおら紡がれた小鈴の囁きが、事態を一変させる。
「この人になら私、好きにされても構わないかな……なんて。やだぁ恥ずかしい」
文字どおりの空気を読まない『てへぺろ』に、疑惑の黒い世界は真っ白に白けまくった。
かと思えば、一点の混じり気もない漆黒に置き換わる。
「やっぱり有罪じゃないの!」
「儂は無罪じゃと、何度言えば解るのじゃ、この石頭!」
「け、喧嘩はやめてください、私のために争わないで!」
「あー? なんだか今日は賑やかだな」
もはや当事者だけでは収拾困難な事態に、颯爽と現れたのは紅白――ではなく、白黒の魔法使い、霧雨魔理沙その人だった。ちょっとだけ戸惑いながらも、暖簾を潜ったところで「よおっ」と、右手を振って見せる。
「表にまで怒鳴り声が響いてたぜ。こりゃ一体、どういうことなんだ?」
「ああっ、魔理沙さん、いいところに」
「おおっ魔理沙どの! 儂の話を聞け~、五分だけでもいい~」
「あら、奇妙な魔法使い」
三者三様に迫られ、さすがの魔理沙も思わず後ずさった。
勢いに呑まれては、やられる。病は気から、弾幕は根性から。それを理解する百戦錬磨の魔理沙は、瞬時に気持ちをコントロールして三人と対峙した。
「と、とにかく落ち着け。一人ずつ説明しろ」
「じつは――」
「かくかく――」
「しかじかじゃ――」
「よし話は解った! 真実は、いつもひとつだぜ」
聖徳太子や大岡越前も真っ青、まさしく神秘的な能力を、魔理沙は如何なく発揮した。
一瞬、店内に桜吹雪が舞ったかのような錯覚は、季節柄と言っておこう。
「とりあえず、お前」
と、魔理沙は小兎姫を指差し、次いで指先をマミゾウに移す。
「こいつと援助交際しろ」
「――は?」
「なんじゃとー!!」
「驚くには値しないさ。利害は一致しているじゃないか」
ビシッとサムズアップする魔理沙に、小鈴が駆け寄った。
その瞳にはキラキラと星が瞬き、さながら恋する乙女である。
「確かに、これなら追って追われて情熱的な関係ですよね。魔理沙さん、さっすがー!」
「いやぁ照れるぜ」
残りの二名は、絶句フリーズしたまま――かと思いきや。
「考えてみたら、これってかなりレアなコレクションかも」
いち早く再起動したのは、小兎姫だった。
やおらマミゾウに向き直ったか彼女は、居住まいを正して、慎ましやかに頭を下げた。
「ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「な、なぬ?」
「もう私は、あなたを生涯逮捕するからね」
「マミゾウ心の一句。ちょっと待て、儂が一体、なにをした」
「あなたは私の大切なものを奪った。私の心です!」
「あああああ、聞きたくなかった! この状況で、そんな名ゼリフは聞きたくなかった! 儂もう四面楚歌チャーミング!」
まったくもって錯綜しきった状況だが、その場でしか生まれ得ない奇跡もまた存在する。
常識ではあり得ないからこそ、奇跡なのである。
「よかったなー。おめでとうだぜ!」
「ハッピーエンドの聖地、鈴奈庵を、これからもよろしくねー!」
かくして奇跡のカップル、マミゾウ×小兎姫(略してマ小兎)が爆誕した。
魔理沙は通常弾幕の星屑をちりばめ、小鈴は急ごしらえの紙吹雪で、二人を祝福しまくる。
鈴奈庵では、その後しばらく拍手喝采が止むことはなかった。
……これでいいのか?
……これでいいのだ。
▽ ▲
「D、A、M、A、騙したっていいじゃなーい♪」
上機嫌で鼻歌を奏でつつ、軽いステップで竹林を進む一匹の妖怪兎。
誰あろう、幸運の素兎こと因幡てゐ本人である。幸せいっぱい福いっぱい。
「あのお姫さまみたいな人、すっかり信用してたっけ。まあ紆余曲折あったらしいけど、結果オーライ? いいことした後は気分も晴れやか、足取りが軽いわ~」
と、今日も明日も確信犯。
だがしかし、幸せいっぱいでいられたのも、ここまでのこと。
「お待ちなさい」
いきなり呼び止められて、てゐはビクッと硬直した。
自分を制止した声に、聞き覚えがあったからだ。
「貴方には、まだお説教が足りないようですね。そう、貴方は少し人を騙しすぎる」
「えええ閻魔様ぁ――!? お、お許しをぉー!」
「真面目に更生しない者には、身体で覚えさせるしかありません!」
黒い素兎を正すオチは、白黒ハッキリつける御方によるのも、またお約束である。
―完―
神霊廟のマミゾウは…