前編はこちら
屋台の灯を消し、リグルとミスティアはその裏に回った。
もちろん周囲には誰もいないことを確認する。念のため、蟲達も側から去らせる。
時刻はまだ子の刻前。周囲の草木も眠ることなく、勇気ある二人の行動を静かに見守っているようだった。
しかし、
「じゃじゃじゃじゃあ、どどど、どっちがチルノの役?」
「わ、わわ。私が橙役の方が……」
「ず、ずるいわよ。リリ、リグルがチルノ役やってよ……」
「そ、そそそ、そんな……」
当人達が、全く落ち着いていなかった。いきなり緊張度マックスで、地面に足がついていない。
すでに夜も更けてはいるが、特にリグルは視力がよいため、ミスティアの顔が見事に真っ赤になっているのがわかった。
「なななな、ならあっち向いてホイで決める?」
「それリグル得意じゃない! そ、それよりカラオケで……」
「それはミスチーの得意分野でしょ! 第一誰が判断するのよ!」
「じゃんけんにしよう!」
種目は唐突に決まった。公平なようで実力が試される、伝統の決闘法である。
「出さなきゃ負けよ!」
「さいしょはグー!」
「「じゃん、けん、ぽん!!」」
出したのは両者ともグー。つまり、あいこであった。
リグルは痛恨の思いで、自らの拳を見つめる。
負けたくない気持ちを押し出す者は、無意識にグーを選択する。
このような追い詰められた精神状態で、チョキのような複雑な形を手が作れるはずない。
かといって、指をいっぱいに開くパーを選択するのも相当の勇気がある。お互いにその勇気がなかった故の、必然のあいこであった。
ならば、次はどう出る? リグルは凝縮された時間を思考に費やす。
選択肢は三つで変わらない。あくまでグーで押し切るか、それとも勇気を出してパーか、あるいは裏を読んでチョキか。
相手が難易度の高いチョキを選ぶ可能性がなければ、こちらのパーは残りの二つ、両方に対応できる。
ただしミスティアも同じことを考えている可能性がある。ならばありったけの精神を込めて、チョキを選ぶべきか?
だがもし、ミスティアに勇気が湧かず、グーで押し通して来たら?
というかこの勝負に勝ったところで、一体何を得られるのだろう?
お互いが傷ついて、友情に罅が入って終わってしまうだけではないのか。
「さいしょはグー!!」
悩む思考を、ミスティアの掛け声が打ち据える。リグルは反射的に手を構えながら、自らの命運をパーに託した。
それで負けたら、いさぎよく胸を差しだそう。命を取られるわけじゃないのだ。
そして自分が勝ったら……その時は謝るだけにして、今日のことは忘れよう。世の中には向き不向きというのがあるのだから。
「「じゃん、けん……!!」」
「わはー」
「「ぽ……!!」」
リグルとミスティアは、驚嘆していた。
一体いつの間に接近していたのか、闇の中を金髪の妖怪が、ぬっと姿を現したのだ。
しかも、リグルとミスティアが出していたのは、どちらも『パー』であった。
それは突然現れた宵闇の妖怪、ルーミアの胸にジャストミートして、
「うわわわわわわわわわわわわ!!」
「わわわわわののワわわわわわ!!」
二人は急いで手を引っ込めた。
それぞれの腕を抱きしめながら、裏返った声で喚く。
「る、ルーミア! いきなり現れないでよっ、じゃなくて大丈夫!? 痛くなかった!?」
「傷ついてない!? ごめんなんでもするから許して……!」
リグルとミスティアは、半べそをかきながら謝り倒す。
けれどもルーミアは、慌てる二人の様子を不思議そうに見てから、にっこり笑った。
のみならず、
「えい」
と、リグルの手を掴んで、自らの胸に押し当てたではないか!
心臓が止まった。血液が凍った。
そんなリグルの掌に、自分のものではないなだらかな『リズム』が、柔らかい響きで伝わってきた。
「ねーリグルー、私の心臓の音わかるー?」
朗らかに言うルーミアの左胸に触れながら、リグルはうなずいていた。
宵闇の、本来生き物と関係のない妖怪である彼女が、こんな風に心臓が動いているというのが、とてつもなく新鮮な驚きだった。
そして何よりも彼女の取った、無邪気な行動に、毒気を抜かれてしまう。
――ルーミア……。
リグルは茫然と、彼女の胸に触れている。
不思議と動悸が、台風の目に入ったかのように、落ち着いているのがわかった。
それだけじゃない。
ずっと何を考えているのかわからず、不思議な友達のままだったルーミアが、今初めて分かったような気がした。
もしかすると自分は、ルーミアという友達を知ることを、ずっと放棄していたのだろうか。
本当の彼女は、こんなに温かくて、優しくて、
「えい」
「きゃっ……!」
いきなりルーミアの手が自分の胸に伸びてきて、リグルは小さく悲鳴を上げる。
けれどもその手つきは、全くいやらしさを感じさせなかった。
ただ、触れているだけ。爆発しそうな自分の心臓の叫びが、向こうにはきっと伝わっている。
「リグル、ドキドキしてるー」
ルーミアはまたしても、屈託のない顔で遠慮のないことを述べる。
リグルは呑みこんでいた息を小さく吐いて、思わず笑みをこぼしてしまった。
――ああ……そういうことだったのかな。
あの橙が、チルノの胸に触っていた理由。
それは、普段は分からない相手の鼓動を知るための儀式だったのではないのだろうか。
橙は今まで知らなかったチルノを知って、そしてチルノは今まで知ってもらえなかった自分を橙に知ってもらったことで、あんなに楽しそうにしていたのかもしれない。
考えてみれば自分達は妖怪だ。
何よりも精神を礎にしていて、この肉体は器に過ぎない。
だからこそ、心と心の距離を近づけ、橋を架ける手段があれば、こんなにも相手を慈しむことができるのだ。
「ありがと、ルーミア」
リグルは確かに……今一つ、何かの壁を乗り越えた気がした。
心の靄が晴れ、空が急に広くなった気がした。
そして唐突に、今までの自分では不可能だった、物凄いアイディアを思いつく。
「ごめん二人とも! ちょっと用事を思い出したから!」
リグルは地面を蹴って、マントを閃かせ、南へと飛んで行った。
ルーミアは「いってらっしゃーい」と子供のように手を振っている。
一人展開についていけず、口を半開きにしていたミスティアは、しどろもどろで、
「じゃ、じゃじゃじゃ、そのルーミア、私にもその……胸を……」
「ところでミスチー知ってるー? 今朝チルノが、氷で胸を大きくしてたんだよー。冷たそうなのに、全然平気なんだって。橙も面白がって触ってたけど、おかしいよねー」
「……………………はい?」
◆◇◆
ああ、胸の奥が熱い。今日ほど鼓動を意識する日が、これまであっただろうか。
リグルは妖怪に生まれてからの自らの人生を振り返りながら、夜風を切って飛んでいた。
私はリグル。リグル・ナイトバグ。
そう声を大にして、この世界全体に訴えかけたかった。
全てのものと触れあいたい。心と心を繋げたい。今なら本当に、それができそうだった。
やがて、目指した場所が見えてくる。
幻想郷の南東に位置する、すり鉢状の草原である。
太陽の畑と呼ばれるその場所は、向日葵の王国と呼んでも差し支えの無い眺めであった。
初めてここを見た時は、蟲の自分にとっても、本当の楽園ではないかと頬をつねりながら思ったものだ。
ただし、この楽園に咲く、もっとも美しい花とリグルは、いまだに心を繋げることができずにいた。
リグルは向日葵畑の側にある小道に、音を立てないよう静かに着地した。
息を整えながら、頭上に目をやる。雲一つない空には、満天の星空が広がっていた。
背中のマントが、ぼんやりと黄色い光を帯びていく。
お星さまに比べれば、取るに足らない光しかでない、蛍のランプである。
けれども、これだけの数の星々に見守られていると思うと、また勇気が湧いてくる。
「こんな時間に来るなんて、珍しいわね」
リグルは、ハッとして振り返った。
彼女はいつも差している日傘を閉じていた。
その他は全て、昼間に見る姿と同じものであった。
ウェーブのかかった緑色の髪も、白と赤の上下の服も、胸元の黄色いリボンも。
そしていつもと同じく、いや星の光に浮かび上がる彼女の姿は、より美しくて……恐かった。
「幽香さん……」
「こんばんはリグル」
花の妖怪、風見幽香は、夜の底で太陽の微笑みを浮かべた。
リグルは、彼女が苦手だった。
嫌いなのではない。ただ苦手なのだった。
同じ妖怪とは思えないくらい、全く違う存在なのだ。性格も、気質も、言葉遣いも。視線の強さも。
リグルは臆病だ。けれども彼女は誰にもひれ伏さない。常に悠然と咲き誇っている。
そしてリグルは、弱い妖怪だった。対する彼女は、正真正銘の大妖怪。
それなのに、どうしても気になってしまうのは、自分が蟲の妖怪だからなのか。
風見幽香が、花そのものだからなのだろうか?
「わ、私……」
リグルは何とか金縛りにあいかけていた肉体を揺すって戻し、ひとつひとつ言葉を紡ぐ。
「今まで……幽香さんのことが、ずっと、わからないままでした」
「…………」
「からかっているような……脅しているような……誘っているような……拒絶しているような……」
「……ふふ」
「だからわからなくて、とても恐くて……今も本当は恐くてたまらないんです」
相手を怒らせぬよう、慎重に話しかける。彼女は無言で、続きを促す仕草を見せる。
「でも本当は、わかろうとしないままだったのかもしれないって、今日友達に気付かせてもらって……わからなかった相手が、もっとよくわかるかもしれない、そういうおまじないを、友達に教えてもらったから、今夜は来ました」
これだけの台詞を言うのに、いくら酸素を吸い込んでも足りないくらいだった。
けれども幽香はほんのわずかに、首を傾けただけだった。
「それで?」
「そ、それで……?」
「それが私と、どんな関係があるの?」
彼女は決して恐れない。
今もリグルの心を、無理やりこじ開けようとしてくる。それが彼女のやり方だから。
けど今夜のリグルは違った。自分の心を見てもらいたくて、そして何よりも……
「か、風見幽香さんと、もっと近づきたくて……というか……もっと仲良くなりたくて……」
リグルは目をつむって、何とか念願の思いを伝える。
続いて聞こえた一言は、信じられないものだった。
「どんなおまじないなの?」
リグルは目をいっぱいに開いた。
彼女は、こちらのいうことに、はっきり興味を示している。
リグルの視線が、彼女の微笑みよりも、その下に向かった。
極限の緊張を通り越して、視界が妙にクリアになっている。なんだか時間が遅くなったようだ。
「どんなおまじないなのか、教えて、リグル」
距離は歩数にして三歩。とても近い。
いつもならこの距離で妥協して、それ以上踏み込むのを諦めてしまっていた。
けれども今夜は違う。今夜の自分なら、心と心を通い合わせることができる。
リグルは迷いを捨てて、一気に飛び込み、
「失礼します!!!」
その手を強く伸ばした。
むゅ
「……ああっ!?」
伝わらぬ鼓動に、リグルは絶望した。
「お、おっぱいが大きすぎて……幽香さんの気持ちが……よくわかんない!?」
こうして幽香の左胸に触れたリグルは、小妖怪と大妖怪の間にある埋めがたき溝を悟ったのであった。
そして本当の絶望は、そのすぐ後にやってきた。
屋台の灯を消し、リグルとミスティアはその裏に回った。
もちろん周囲には誰もいないことを確認する。念のため、蟲達も側から去らせる。
時刻はまだ子の刻前。周囲の草木も眠ることなく、勇気ある二人の行動を静かに見守っているようだった。
しかし、
「じゃじゃじゃじゃあ、どどど、どっちがチルノの役?」
「わ、わわ。私が橙役の方が……」
「ず、ずるいわよ。リリ、リグルがチルノ役やってよ……」
「そ、そそそ、そんな……」
当人達が、全く落ち着いていなかった。いきなり緊張度マックスで、地面に足がついていない。
すでに夜も更けてはいるが、特にリグルは視力がよいため、ミスティアの顔が見事に真っ赤になっているのがわかった。
「なななな、ならあっち向いてホイで決める?」
「それリグル得意じゃない! そ、それよりカラオケで……」
「それはミスチーの得意分野でしょ! 第一誰が判断するのよ!」
「じゃんけんにしよう!」
種目は唐突に決まった。公平なようで実力が試される、伝統の決闘法である。
「出さなきゃ負けよ!」
「さいしょはグー!」
「「じゃん、けん、ぽん!!」」
出したのは両者ともグー。つまり、あいこであった。
リグルは痛恨の思いで、自らの拳を見つめる。
負けたくない気持ちを押し出す者は、無意識にグーを選択する。
このような追い詰められた精神状態で、チョキのような複雑な形を手が作れるはずない。
かといって、指をいっぱいに開くパーを選択するのも相当の勇気がある。お互いにその勇気がなかった故の、必然のあいこであった。
ならば、次はどう出る? リグルは凝縮された時間を思考に費やす。
選択肢は三つで変わらない。あくまでグーで押し切るか、それとも勇気を出してパーか、あるいは裏を読んでチョキか。
相手が難易度の高いチョキを選ぶ可能性がなければ、こちらのパーは残りの二つ、両方に対応できる。
ただしミスティアも同じことを考えている可能性がある。ならばありったけの精神を込めて、チョキを選ぶべきか?
だがもし、ミスティアに勇気が湧かず、グーで押し通して来たら?
というかこの勝負に勝ったところで、一体何を得られるのだろう?
お互いが傷ついて、友情に罅が入って終わってしまうだけではないのか。
「さいしょはグー!!」
悩む思考を、ミスティアの掛け声が打ち据える。リグルは反射的に手を構えながら、自らの命運をパーに託した。
それで負けたら、いさぎよく胸を差しだそう。命を取られるわけじゃないのだ。
そして自分が勝ったら……その時は謝るだけにして、今日のことは忘れよう。世の中には向き不向きというのがあるのだから。
「「じゃん、けん……!!」」
「わはー」
「「ぽ……!!」」
リグルとミスティアは、驚嘆していた。
一体いつの間に接近していたのか、闇の中を金髪の妖怪が、ぬっと姿を現したのだ。
しかも、リグルとミスティアが出していたのは、どちらも『パー』であった。
それは突然現れた宵闇の妖怪、ルーミアの胸にジャストミートして、
「うわわわわわわわわわわわわ!!」
「わわわわわののワわわわわわ!!」
二人は急いで手を引っ込めた。
それぞれの腕を抱きしめながら、裏返った声で喚く。
「る、ルーミア! いきなり現れないでよっ、じゃなくて大丈夫!? 痛くなかった!?」
「傷ついてない!? ごめんなんでもするから許して……!」
リグルとミスティアは、半べそをかきながら謝り倒す。
けれどもルーミアは、慌てる二人の様子を不思議そうに見てから、にっこり笑った。
のみならず、
「えい」
と、リグルの手を掴んで、自らの胸に押し当てたではないか!
心臓が止まった。血液が凍った。
そんなリグルの掌に、自分のものではないなだらかな『リズム』が、柔らかい響きで伝わってきた。
「ねーリグルー、私の心臓の音わかるー?」
朗らかに言うルーミアの左胸に触れながら、リグルはうなずいていた。
宵闇の、本来生き物と関係のない妖怪である彼女が、こんな風に心臓が動いているというのが、とてつもなく新鮮な驚きだった。
そして何よりも彼女の取った、無邪気な行動に、毒気を抜かれてしまう。
――ルーミア……。
リグルは茫然と、彼女の胸に触れている。
不思議と動悸が、台風の目に入ったかのように、落ち着いているのがわかった。
それだけじゃない。
ずっと何を考えているのかわからず、不思議な友達のままだったルーミアが、今初めて分かったような気がした。
もしかすると自分は、ルーミアという友達を知ることを、ずっと放棄していたのだろうか。
本当の彼女は、こんなに温かくて、優しくて、
「えい」
「きゃっ……!」
いきなりルーミアの手が自分の胸に伸びてきて、リグルは小さく悲鳴を上げる。
けれどもその手つきは、全くいやらしさを感じさせなかった。
ただ、触れているだけ。爆発しそうな自分の心臓の叫びが、向こうにはきっと伝わっている。
「リグル、ドキドキしてるー」
ルーミアはまたしても、屈託のない顔で遠慮のないことを述べる。
リグルは呑みこんでいた息を小さく吐いて、思わず笑みをこぼしてしまった。
――ああ……そういうことだったのかな。
あの橙が、チルノの胸に触っていた理由。
それは、普段は分からない相手の鼓動を知るための儀式だったのではないのだろうか。
橙は今まで知らなかったチルノを知って、そしてチルノは今まで知ってもらえなかった自分を橙に知ってもらったことで、あんなに楽しそうにしていたのかもしれない。
考えてみれば自分達は妖怪だ。
何よりも精神を礎にしていて、この肉体は器に過ぎない。
だからこそ、心と心の距離を近づけ、橋を架ける手段があれば、こんなにも相手を慈しむことができるのだ。
「ありがと、ルーミア」
リグルは確かに……今一つ、何かの壁を乗り越えた気がした。
心の靄が晴れ、空が急に広くなった気がした。
そして唐突に、今までの自分では不可能だった、物凄いアイディアを思いつく。
「ごめん二人とも! ちょっと用事を思い出したから!」
リグルは地面を蹴って、マントを閃かせ、南へと飛んで行った。
ルーミアは「いってらっしゃーい」と子供のように手を振っている。
一人展開についていけず、口を半開きにしていたミスティアは、しどろもどろで、
「じゃ、じゃじゃじゃ、そのルーミア、私にもその……胸を……」
「ところでミスチー知ってるー? 今朝チルノが、氷で胸を大きくしてたんだよー。冷たそうなのに、全然平気なんだって。橙も面白がって触ってたけど、おかしいよねー」
「……………………はい?」
◆◇◆
ああ、胸の奥が熱い。今日ほど鼓動を意識する日が、これまであっただろうか。
リグルは妖怪に生まれてからの自らの人生を振り返りながら、夜風を切って飛んでいた。
私はリグル。リグル・ナイトバグ。
そう声を大にして、この世界全体に訴えかけたかった。
全てのものと触れあいたい。心と心を繋げたい。今なら本当に、それができそうだった。
やがて、目指した場所が見えてくる。
幻想郷の南東に位置する、すり鉢状の草原である。
太陽の畑と呼ばれるその場所は、向日葵の王国と呼んでも差し支えの無い眺めであった。
初めてここを見た時は、蟲の自分にとっても、本当の楽園ではないかと頬をつねりながら思ったものだ。
ただし、この楽園に咲く、もっとも美しい花とリグルは、いまだに心を繋げることができずにいた。
リグルは向日葵畑の側にある小道に、音を立てないよう静かに着地した。
息を整えながら、頭上に目をやる。雲一つない空には、満天の星空が広がっていた。
背中のマントが、ぼんやりと黄色い光を帯びていく。
お星さまに比べれば、取るに足らない光しかでない、蛍のランプである。
けれども、これだけの数の星々に見守られていると思うと、また勇気が湧いてくる。
「こんな時間に来るなんて、珍しいわね」
リグルは、ハッとして振り返った。
彼女はいつも差している日傘を閉じていた。
その他は全て、昼間に見る姿と同じものであった。
ウェーブのかかった緑色の髪も、白と赤の上下の服も、胸元の黄色いリボンも。
そしていつもと同じく、いや星の光に浮かび上がる彼女の姿は、より美しくて……恐かった。
「幽香さん……」
「こんばんはリグル」
花の妖怪、風見幽香は、夜の底で太陽の微笑みを浮かべた。
リグルは、彼女が苦手だった。
嫌いなのではない。ただ苦手なのだった。
同じ妖怪とは思えないくらい、全く違う存在なのだ。性格も、気質も、言葉遣いも。視線の強さも。
リグルは臆病だ。けれども彼女は誰にもひれ伏さない。常に悠然と咲き誇っている。
そしてリグルは、弱い妖怪だった。対する彼女は、正真正銘の大妖怪。
それなのに、どうしても気になってしまうのは、自分が蟲の妖怪だからなのか。
風見幽香が、花そのものだからなのだろうか?
「わ、私……」
リグルは何とか金縛りにあいかけていた肉体を揺すって戻し、ひとつひとつ言葉を紡ぐ。
「今まで……幽香さんのことが、ずっと、わからないままでした」
「…………」
「からかっているような……脅しているような……誘っているような……拒絶しているような……」
「……ふふ」
「だからわからなくて、とても恐くて……今も本当は恐くてたまらないんです」
相手を怒らせぬよう、慎重に話しかける。彼女は無言で、続きを促す仕草を見せる。
「でも本当は、わかろうとしないままだったのかもしれないって、今日友達に気付かせてもらって……わからなかった相手が、もっとよくわかるかもしれない、そういうおまじないを、友達に教えてもらったから、今夜は来ました」
これだけの台詞を言うのに、いくら酸素を吸い込んでも足りないくらいだった。
けれども幽香はほんのわずかに、首を傾けただけだった。
「それで?」
「そ、それで……?」
「それが私と、どんな関係があるの?」
彼女は決して恐れない。
今もリグルの心を、無理やりこじ開けようとしてくる。それが彼女のやり方だから。
けど今夜のリグルは違った。自分の心を見てもらいたくて、そして何よりも……
「か、風見幽香さんと、もっと近づきたくて……というか……もっと仲良くなりたくて……」
リグルは目をつむって、何とか念願の思いを伝える。
続いて聞こえた一言は、信じられないものだった。
「どんなおまじないなの?」
リグルは目をいっぱいに開いた。
彼女は、こちらのいうことに、はっきり興味を示している。
リグルの視線が、彼女の微笑みよりも、その下に向かった。
極限の緊張を通り越して、視界が妙にクリアになっている。なんだか時間が遅くなったようだ。
「どんなおまじないなのか、教えて、リグル」
距離は歩数にして三歩。とても近い。
いつもならこの距離で妥協して、それ以上踏み込むのを諦めてしまっていた。
けれども今夜は違う。今夜の自分なら、心と心を通い合わせることができる。
リグルは迷いを捨てて、一気に飛び込み、
「失礼します!!!」
その手を強く伸ばした。
むゅ
「……ああっ!?」
伝わらぬ鼓動に、リグルは絶望した。
「お、おっぱいが大きすぎて……幽香さんの気持ちが……よくわかんない!?」
こうして幽香の左胸に触れたリグルは、小妖怪と大妖怪の間にある埋めがたき溝を悟ったのであった。
そして本当の絶望は、そのすぐ後にやってきた。
そこで私は自分同士の責任のなすりつけ合いを見ることになるのですが……
リグルは幽香の手を自分の胸にふれさせるべきだったんだ……
って擬音に感銘を受けました
すごくやわらかそう
精一杯の勇気を振り絞ったリグルに敬礼。無茶しやがって……
そう思ってた時期もありました
痴漢、ダメ、絶対