膝の上の水色の髪を、持ち主が起きないように丁寧に梳いていた。
縁側から見える景色に雪はなく、代わりに桜の花びらがひらひらと舞った。今年の桜は咲くのが早く、あと一週間もすればすべて散ってしまいそうなほどだ。
そういえば、自分が中学校に上がった春は、連日の土砂降りの雨が桜をすぐに散らせてしまった気がするなと述懐する。
そのせいで入学式の頃には桜はなく、ひどく味気ない入学式だった、と頬を膨らませていた。
少女はここに来てからというもの、時間の経過に対する感覚がひどく愚鈍になっている。実のところ、ここに来てから何度目の春か分かっていない。
同じ学び舎、同じ教室へ通った仲間たちは何をしているのだろう。
素敵なキャンパスライフを送っているのか、それともすでに社会に出て荒波に揉まれているのか、それも分からなくなってしまった。
今日は年度替わりの日であるから、もしかすると今日から働き始める、という可能性もある。働いているとするならば、一体どんな職に就いているのだろう。
最後に将来を語り合った時には、夢見がちな時分は過ぎていたからか、OLだとか公務員だとか、現実的な職しか出ていなかった気がする。子供の頃はケーキ屋さんとか花屋さんとかプロ野球選手のお嫁さんとか言ってたものだが。しかし、専業主婦になってぐうたらと過ごしたい、と言った子はいたはずだ。
いずれにせよ、彼女たちが後悔しない人生を送っていればいいと思う。
私は後悔しない人生を送れているかな、と自分への問に視線を落とすと、色違いの瞳と目があった。まだ少し寝ぼけているのかとろんとした目は、しかし少女をしっかり見据えていた。
「早苗、大丈夫」
「大丈夫ですよ」
「嘘。辛そうな顔、してる」
鋭いなあ、と早苗と呼ばれた少女は苦笑する。
だが、辛そうな顔と言われたのは些か意外だった。辛いとまでは思ってないつもりだったからだ。
目を逸らすように空を見上げ、少し昔のことを思い出す。
今日はよく昔の思い出が蘇るのは、春という季節が感傷的にさせているからか、それとも今から目を逸らしたいからだろうか。
二柱からここへ来ることを提案されたときのこと。
その翌日の授業中に急に泣き出してしまったこと。
それを知った二人が提案を取りやめようとして、意地を張るような形でここに来ることに同意したこと。
最後に学校に行った日のこと。
早く帰ってやらなきゃいけないことがあるといって、教室を走り去ったこと。
結局、最後まで別れを告げる事はできなかった。
両親とは笑顔で別れようと誓った。
最後に一瞬だけ振り返ると、泣き崩れる母とそれを支える父の姿があった。
そして、少女は確信する。私は後悔していると。
"ここに来たことを"ではない。
あの時の判断、もっと考えて決めるべきだった。
自分のやりたいことも友達や両親のことも何も考えずに、ただ泣いてばっかりの弱い人間だと思われるのが嫌だったからここへ来ることを決めた。
もう進まなくていいと言われた気がしたから、走り出してやろうと思った。
最後の登校日、ちゃんとみんなに言うべきだった。
元の世界での自分の扱いがどうなっているかは知らない。漫画でありがちなのは、最初からいなかったことになることだけど。
もしそうなら、忘れないでと。覚えていてくれるなら、元気だから心配しないでと。
今なら、いや、あの時もそう言えるはずだった。
両親との別れ、きちんと向き合うべきだった。
いつも優しく微笑んでいた母、不器用ながら助けてくれた父。二人の涙を見たのはあの時が最初で最後だ。
きっと、涙を見るのが怖かった。強いと思っていた父と母を、自分が泣かせてしまうのが怖かった。
そしてそれは父と母も同じだったのではないか。涙を見せることから逃げていたのはたぶん一緒で、親子だからかなあと思う。
あの時のことだけでも、大きなものだけでも、これだけの後悔がある。
けれど。
この膝の上の重みは、後悔しないと手に入らなかったものだから。
「大丈夫ですよ」
少女はまた嘘をつく。
「知ってますか? 今日、卯月の初めの日は、外の世界では"エイプリルフール"といって、嘘をついてもいい日なんです」
今日は嘘をついてもいい日だから。
「私は大丈夫です」
今日は嘘をついてもいい日だけど。
「だって、小傘さんが傍にいてくれるのは、嘘じゃないでしょう?」
綺麗に梳いた髪をかきあげ、額に口付けを落とす。膝の上の少女の顔は真っ赤に染まり、俯いて膝に顔を埋める形になる。
早苗なんか嫌いだ、と声がして、それを少女は笑って受け入れた。
今日は四月一日、エイプリルフール。
縁側から見える景色に雪はなく、代わりに桜の花びらがひらひらと舞った。今年の桜は咲くのが早く、あと一週間もすればすべて散ってしまいそうなほどだ。
そういえば、自分が中学校に上がった春は、連日の土砂降りの雨が桜をすぐに散らせてしまった気がするなと述懐する。
そのせいで入学式の頃には桜はなく、ひどく味気ない入学式だった、と頬を膨らませていた。
少女はここに来てからというもの、時間の経過に対する感覚がひどく愚鈍になっている。実のところ、ここに来てから何度目の春か分かっていない。
同じ学び舎、同じ教室へ通った仲間たちは何をしているのだろう。
素敵なキャンパスライフを送っているのか、それともすでに社会に出て荒波に揉まれているのか、それも分からなくなってしまった。
今日は年度替わりの日であるから、もしかすると今日から働き始める、という可能性もある。働いているとするならば、一体どんな職に就いているのだろう。
最後に将来を語り合った時には、夢見がちな時分は過ぎていたからか、OLだとか公務員だとか、現実的な職しか出ていなかった気がする。子供の頃はケーキ屋さんとか花屋さんとかプロ野球選手のお嫁さんとか言ってたものだが。しかし、専業主婦になってぐうたらと過ごしたい、と言った子はいたはずだ。
いずれにせよ、彼女たちが後悔しない人生を送っていればいいと思う。
私は後悔しない人生を送れているかな、と自分への問に視線を落とすと、色違いの瞳と目があった。まだ少し寝ぼけているのかとろんとした目は、しかし少女をしっかり見据えていた。
「早苗、大丈夫」
「大丈夫ですよ」
「嘘。辛そうな顔、してる」
鋭いなあ、と早苗と呼ばれた少女は苦笑する。
だが、辛そうな顔と言われたのは些か意外だった。辛いとまでは思ってないつもりだったからだ。
目を逸らすように空を見上げ、少し昔のことを思い出す。
今日はよく昔の思い出が蘇るのは、春という季節が感傷的にさせているからか、それとも今から目を逸らしたいからだろうか。
二柱からここへ来ることを提案されたときのこと。
その翌日の授業中に急に泣き出してしまったこと。
それを知った二人が提案を取りやめようとして、意地を張るような形でここに来ることに同意したこと。
最後に学校に行った日のこと。
早く帰ってやらなきゃいけないことがあるといって、教室を走り去ったこと。
結局、最後まで別れを告げる事はできなかった。
両親とは笑顔で別れようと誓った。
最後に一瞬だけ振り返ると、泣き崩れる母とそれを支える父の姿があった。
そして、少女は確信する。私は後悔していると。
"ここに来たことを"ではない。
あの時の判断、もっと考えて決めるべきだった。
自分のやりたいことも友達や両親のことも何も考えずに、ただ泣いてばっかりの弱い人間だと思われるのが嫌だったからここへ来ることを決めた。
もう進まなくていいと言われた気がしたから、走り出してやろうと思った。
最後の登校日、ちゃんとみんなに言うべきだった。
元の世界での自分の扱いがどうなっているかは知らない。漫画でありがちなのは、最初からいなかったことになることだけど。
もしそうなら、忘れないでと。覚えていてくれるなら、元気だから心配しないでと。
今なら、いや、あの時もそう言えるはずだった。
両親との別れ、きちんと向き合うべきだった。
いつも優しく微笑んでいた母、不器用ながら助けてくれた父。二人の涙を見たのはあの時が最初で最後だ。
きっと、涙を見るのが怖かった。強いと思っていた父と母を、自分が泣かせてしまうのが怖かった。
そしてそれは父と母も同じだったのではないか。涙を見せることから逃げていたのはたぶん一緒で、親子だからかなあと思う。
あの時のことだけでも、大きなものだけでも、これだけの後悔がある。
けれど。
この膝の上の重みは、後悔しないと手に入らなかったものだから。
「大丈夫ですよ」
少女はまた嘘をつく。
「知ってますか? 今日、卯月の初めの日は、外の世界では"エイプリルフール"といって、嘘をついてもいい日なんです」
今日は嘘をついてもいい日だから。
「私は大丈夫です」
今日は嘘をついてもいい日だけど。
「だって、小傘さんが傍にいてくれるのは、嘘じゃないでしょう?」
綺麗に梳いた髪をかきあげ、額に口付けを落とす。膝の上の少女の顔は真っ赤に染まり、俯いて膝に顔を埋める形になる。
早苗なんか嫌いだ、と声がして、それを少女は笑って受け入れた。
今日は四月一日、エイプリルフール。
こがさなは言葉としてよく聞くけど、さなこがって言葉はあまり聞かない。
いいなえなえの成長譚でげした。