Coolier - SS得点診断テスト

あまりに紅魔館的な一日

2013/04/01 02:35:26
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●01

「――ああああッ!! なんなの!? アンタなんなのよッ!!」

 甲高い声が地下室の空気を震わせ、私の耳朶を打った。
 我が愛しの妹は、まるで親の仇でも見るような目付きでこちらを睨み据えてくる。
 非常に胸の痛む光景だ。

 これが例えば罵声プレイなどであったとしたら、どんなに良かったことだろう。
 いや、私には妹に詰られて喜ぶような変態的性質はないが、あくまで例えばの話だ。
 私は嬉しくなくとも、妹は嬉しいかも知れない。
 そうであるならば、敢えて罵声を浴び続けるのも姉としての務めだろう。
 なにしろ私は、たったひとりの妹の幸せを誰よりも願っているのだから。

「あり得ない! ほんッとあり得ないッ! 最悪!」

 そう、私は妹の幸せを誰よりも願って――。

「もう気持ち悪過ぎ! 最低ッ! このカス! クズっ!!」

 ……。
 あの、フランドール?
 確かに私は貴方の怒鳴り声ならいくらでも浴びる覚悟を持っているわ。
 だけど。
 だけどね。
 ちょっとお姉様に対してその言い草は、その、なんというか。

「なに見てんの!? こっち見んなよ! バカっ!!」

 ええと、少しばかり言い過ぎっていうかね。
 遠慮とか手加減とか、そういうものが淑女には求められるんじゃないかなって。
 ほら、お姉様も一応、年頃の乙女だしさ。
 柔らかで傷つきやすいハートを持っていたりなんかするから。
 最愛の妹にそこまで言われたら悲しくなっちゃうし。

「ああああ! もう! 消えろよっ! 失せろッ!!」
「……あのね、ちょっと待ちなさい」

 さすがにここまで言われて黙っていては、姉の威厳が形無しだ。
 既に威厳なんかないだろうって? ククク、なにをバカな。
 私は常に優しく、寛容で、穏やかで、カリスマに満ち溢れた絶対君主なのだ。
 誰も言ってくれないので、ここで改めて主張しておく。

「いいかしら、フランドール」

 私は妹に向かって微笑みかけながら、軽く手を掲げる。

「ひとつだけ貴方に言ブフォッ!?」
「うるさいうるさいうるさいッ! 出てけっ!」

 夜の王に相応しい威厳に満ちた私の言葉は、突如飛来してきた柔らかい物体に遮られた。
 ふわりと香る甘い匂い。そうか、これは妹の枕だ。
 マクラ・ナゲ、だっただろうか。東方の旅館に伝わるコミュニケーション手段。
 なるほど、フランドールはこの私とマクラ・ナゲによって親交を深めたいのか。

「いいわよ、フランド――」

 両手を大きく広げ、「寛容」のポーズを示す。
 次の瞬間、私が見たのは、こちらに向かって勢いよく飛んでくる椅子だった。

「うわちっ!」

 ナイスグレイズ!
 椅子の背もたれが頬を掠めた。地味に危ない。
 標的を失ったその椅子は、扉の横の壁にぶつかってバラバラになった。

 それにしても、弾幕ならいざ知らず、家具を投げてくるとは。
 我が家の調度品もタダではないというのに。
 私は妹に注意をしようとして、彼女のほうへ視線を戻す。

 妹は化粧台を持ち上げていた。

「オーケー。わかった。わかったからそれを下ろしなさい。お姉様は用事を思い出したわ」

 大人しく妹の部屋を出ることにした。
 逃げたわけではない。戦略的撤退――いや、「転進して前進」というやつだ。
 このレミリア・スカーレットの辞書に「敗北」の二文字などない。
 何と言ったって、このセリフのためだけに、パチェに特製の辞書を作らせたのだから。

「だけどこれだけは覚えておいて、フランドール。私はいつだって」
「うるさい! いいから出てけぇ!! あんたなんか大っ嫌い!」

 いやはや、妹の反抗期にも困ったものだ。




  ◇     ◇     ◇




 レミリア・スカーレット(50×歳)。
 ただ今、絶賛ヒマを持て余し中である。

「はぁ……あの子も、あんなに怒ることないじゃないの」
「お嬢様」

 咲夜だ。
 私がため息を吐くと、次の瞬間にはどこからともなく現れて慰めてくれる。
 忠実な従者なのだ。

「慰めに参りましたわ」
「さすがは咲夜、見上げた忠誠心ね」
「いえ。先日命じられましたので。『私が溜息を吐いたら慰めに来なさい』と」

 あれ? そうだったっけ。

「私はおゆはんの準備とお洗濯がありますので、話があるなら手短にお願いします」
「えっ、あの」

 咲夜は軽くため息を吐き、手に持った銀時計へ視線を落とす。
 まるで私を慰めることより、ディナーの準備と洗濯のほうが大事だと言わんばかりだ。
 何が忠実な従者だ。とんでもない不忠者である。

「話があるならって、慰めるのはそっちの仕事じゃない?」
「いえ。先日命じられましたので。『慰めると言っても、私の話を聴くだけでいいわ』と」

 なんか、やたらと用意がいいな、先日の私。

「さあ、お嬢様。愚痴でも我が儘でも、聴くだけはお聴きしますよ」
「うーん。聴いてくれるだけじゃつまらないから、なんか言ってよ」
「『なんか』」
「ん?」
「いえ、わかりました。どうぞ」

 今、ちょっとした意思疎通のズレが生じたような気もするけど大丈夫だろうか。
 このまま話を続けていいものかどうか、少し迷う。

「お嬢様、早くして下さい」

 すると咲夜は銀時計を指先でコツコツ叩き始めた。
 どんだけ余裕がないんだよ、こいつは。
 完全で瀟洒なメイドとか言ったのはどこのどいつだ。いや、自称か。

「じゃあ、せっかくだから話すわ」
「はい、お嬢様がお話を始めるまでに、3分28秒かかりました」
「……」

 なんだろう、これは。煽られているんだろうか。私、咲夜に煽られているんだろうか?

「ちょっとした寺子屋ジョークです。あそこの教師の物真似ですが、似てましたか?」
「知らないわよ、そんなの!」

 思わずつっこんでしまった。
 この私をツッコミ役に仕立て上げるとは、まさにタネなしマジックだ。
 それはともかく。

「さっきね、フランドールとお話ししようと思って、お部屋に行ってみたのよ」
「ははぁ、なるほど」
「そしたら、追い返されちゃったわ」
「笑えますね」
「えっ」

 えっ?

「続きをどうぞ、お嬢様」
「いや、貴方、今なんか言わなかったかしら」
「言いましたよ。言えとおっしゃったのはお嬢様ですわ」
「そうなの? いや、そうだけど」

 気のせいだったのだろうか。
 釈然としなかったけれど、とにかく話を続けることにする。
 でないと、ほら、咲夜が貧乏ゆすりを始めるんだもの。

「あの子も、そこまで私を邪険にすることないって思わない?」
「話は変わりますが、今夜のおゆはんは何に致しましょうか」
「はい?」
「選択肢は二つです。命蓮寺風ステーキと博麗神社風茶漬け」
「ちょ、ちょっと待って。咲夜、ちょっと待ってくれるかしら」
「はい」

 思わず額を押さえた。
 今じゃないでしょう。
 ディナーの話題を出すのは、今じゃないでしょう?
 違うかしら。私、間違ってる?

「どちらもダメだとおっしゃるなら、第三の道として地霊殿風トラウマパスタが」
「ステーキでいいわよ、ステーキで!」

 なんだそのおぞましそうな名前の料理は。
 眼球がゴロゴロ入っていそうじゃないの。
 かといって博麗神社風茶漬けはまずい。味じゃなくて存在がまずい。
 なにしろライスが入っていないのだ。単なる茶だ。しかも白湯に近かった。

「承知しました。ではそのように致します。……今夜は楽ですわ」
「えっ」

 ぼそりと呟かれたその言葉を、吸血鬼イヤーは聴き逃さない。
 今夜のディナーに高まる不安。
 急いで咲夜に命じる。

「楽をするより楽しむ方向でお願いしたいわね。今夜は豪勢に行きましょ」
「“私作る人、貴方食べる人”でしたっけ。楽ですよね、確かに」

 どうしよう。妹だけじゃなく咲夜まで反抗的だ。春だからか。

「そんなこと言うなら、咲夜も一緒に食べればいいわ」
「ですが私はメイドですので、食事を共にするなど」
「いいから。私が決めたの。今決めた。はい決定!」

 そう言ってやると、咲夜も引き下がる。
 反抗的だと思ったら、妙なところで律儀な従者だ。

「って、そうじゃなくて! なんでいきなり夕食の話になるのよ!」
「あっ、これは失礼。持病の『思い付いたことをすぐに口走ってしまう病』が」
「そんな病気あったの!? というか、それ単に迂闊なだけよね?」
「お嬢様、お話の続きをどうぞ」
「くそっ! なんて時代だ!」

 思わず壁を殴ってしまった。
 こうなれば、とことん話しまくってやる。

「ええと、どこまで話したっけ」
「お嬢様がフランドール様の部屋に行き、あえなく追い出されたところまでです」
「あーあー、そうだった」

 うん。間違っていないんだけど、ちょっと毒っぽいものを感じなくもないような。
 まあいいや。

「で、ひどいと思わない? 私を見るなり、怒鳴りつけてきたのよ」
「左様でございますか」
「ええ! そうなのよ! ちょっとあの子の遊びをこっそり見守っていただけなのに!」
「遊び、ですか?」

 そうなのだ。
 妹の部屋を訪れ、ノックをする前に、ふと思った。
 私が見ていない時、フランドールはいったい何をやっているんだろう、と。
 そこでドアを細く開き、中をそっと覗いてみた。
 すると妹の声が聴こえてきた。

「ほうほう。しかしフランドール様のお部屋には、誰も行かせていないはずですが」
「そうね、妹の話し相手はメイドじゃなかったわ」

 つまり、ひとり遊びである。
 人形ごっこをフランドールはしていたのだ。こんな具合に。
 再現スタート。

 ――ふふふ、お姉様っ。
 ――なぁに? 可愛い可愛いフランドール。(裏声)
 ――あのね、私思ってたの。
 ――何を思っていたのかしら?(裏声)
 ――えへへ、パチュリー、いるでしょ?
 ――まあ、一応いるわね。(裏声)
 ――でさ、あいつ、お姉様のこと「レミィ」って呼ぶじゃない。
 ――そうね。呼ぶわね。(裏声)
 ――でも、それってずるいなって。……私もお姉様のこと、レミィって呼びたい!
 ――あら、歓迎よ、愛しのフランドール。(裏声)
 ――やったぁ! ありがと、レミィお姉様! 大好き!
 ――私もフランドールのこと愛しているわ。フラン、って呼んでもいい?(裏声)
 ――もろちんよ! いくらでも呼んで!
 ――フラン、私の素敵な妹。(裏声)
 ――レミィお姉様。あ、そうだ。今夜はもやし料理が食べたいわ。
 ――ええ、わかったわ。咲夜に言っておくわね。もやし(裏声)
 ――レミィお姉様だぁいウワアオォォォォ!! おっ、お前なんでいるんだよッ!?

 再現終わり。

「まあ、ここで、覗いているのに気付かれちゃったんだけどね」
「はぁ」
「まったく、フランドールの反抗期にも困ったものだわ」

 私がため息を吐くと、咲夜もため息を吐いた。
 私は咲夜を見た。咲夜も私を見た。目と目が合った。

「あの、お嬢様。私、なんとなくわかった気がします」
「えっ、何が?」
「これは怒ると思いますよ。フランドール様でなくとも」
「そ、そうなの?」
「あと反抗期でなくても怒ると思います」
「なん、ですって……」

 なんと言うことだろうか。
 気付いていなかったけど、ひょっとすると私は、とんでもないことをしてしまったのか。
 ただ無茶苦茶微笑ましい光景だなと思って覗いていただけなのに……。

「それがダメなんだと思いますけどね」
「そ、そうなのか」

 しょんぼり。

「まあ、やっちまったことは仕方がないですから、諦めるのがいいかと存じます」
「つ、冷たいわね……」
「さて、話も終わったようなので、私は仕事へ戻ります。アディオス」
「あっ、ちょっ」

 あっという間に咲夜は姿を消してしまった。
 現れるのも突然だが、立ち去るのも突然だ。神出鬼没とはまさに彼女のことだろう。

「うー……」

 またしてもひとり残されてしまった。
 私の何がフランドールの逆鱗に触れたのか、聞こうと思ったのに。

「とりあえず、フラン、って呼んでみようかしら」
「いえ、今のタイミングでそれは最悪だと思いますわ」
「あ、咲夜」
「では、再び失礼」

 それだけ言いおいて、また咲夜は消えた。

「……うー」

 妹も従者もダメだ。
 せっかくだから、私はこの紫の魔女を選ぶわ!
 ということで、図書館で愚痴ることにしようかしら。





●02

 クソ忙し……失礼、お大便忙しい時に召喚されたと思ったら、お嬢様に愚痴られた。
 なかなか面白かったし、無事におゆはんの仕込みもお洗濯も済んだからいいのだけど。
 それにしても、お嬢様の鈍感さには困ったものである。
 ひとり芝居を覗かれるだなんて、私がフランドール様だったら自害していたところだ。

 まあ、そうは言っても。
 あのようなズレたところがお嬢様の魅力であることも確かなのだ。

 とりあえず、お嬢様と妹様の間のことだから、デリケートな事柄なのだろう。
 いくら面白かったとはいえ、胸のうちにしまいこんでおかなければならない。
 よく訓練されたメイドは、主の秘密をバラさないのである。

「ねぇねぇ美鈴。ちょっと面白い話があるんだけど」
「はい!? いつものことだけれど居眠りとかしてませんよっ! クンフー!」

 早速、美鈴に話してみようと思ったらこれである。
 この門番、居眠りしてない時がないんじゃなかろうか。
 寝るべき時に寝ていないからだろう。自己管理がなっていない。

「そもそも貴方、いつ寝てるの?」
「えっ、寝ていませんけど」
「はぁ?」
「門番は基本的に一日24時間、一年365日の、休日・有給なしのお仕事ですから!」
「昼寝もないわよ。何勝手に抜かしているのよ」
「そ、そうでした! 鬼! あくま! さくやさん!」
「ここでナイフ投げるのがお約束だと思った? 残念、今の私はそんな気分じゃないの」
「あらら、残念です……」
「えっ」
「えっ」

 思わず眉間を押さえた。
 門番の奇妙な性癖なんて知りたくもないし、理解する気もない。
 というわけで、聞かなかったことに。

「ねぇ美鈴、ちょっと面白い話があるんだけど」
「はい、話が戻りましたね」
「あのね、お嬢様とお嬢様が」
「ちょっと待って下さい。お嬢様と誰ですって?」
「お嬢様よ」
「ど、どういうことなんです……?」

 ピンと来ない門番だ。
 この館に、お嬢様はふたりしかいないじゃないか。

「姉のお嬢様と妹のお嬢様よ」
「ええと、あ、そういうことですか。紛らわしいですから名前で呼んで下さい!」
「紅美鈴」
「は、はいっ」
「……」
「……? え、なんですか咲夜さん」
「いや、名前で呼べって言ったでしょ」
「いやいや、私じゃなくてですね」
「はぁ……」

 注文の多い門番である。
 使用人はこんな連中ばかりなので、それらを統括する私の苦労もひとしおだ。

「なんで私が悪いみたいな感じになってるんでしょうかね?」
「それが貴方のポジションだからよ」
「えっ、なにそれひどい」

 戻ったはずの話が進まない。
 これがループというやつだろうか。

「とにかく、早くその『面白い話』とやらを聞かせて下さいよ」
「ええ、こっちもそのつもりよ」

 気を取り直して、先ほどお嬢様(姉)に伺った話を美鈴に伝える。

「――というわけなのよ。どう思う?」
「か、可愛い」
「イエス」
「しかも微笑ましい」
「イエス」
「超絶らぶりー!」
「イエエエス!」

 私は美鈴とハイタッチを交わす。
 雰囲気も国籍も違う感じの美鈴と、唯一の共有できる点が、お嬢様への思いなのだ。
 お嬢様さえいれば、他のものは特に要らない。
 それが我々、訓練された使用人なのである。

「いやぁ、やっぱりレミリアお嬢様はいいですよね!」
「フランドールお嬢様も捨て難いわ」
「咲夜さん、どっちかといえばどっちです? レミリア様か、フランドール様か」
「愚問ね。おふたりを比べようとする方が間違いなのよ」
「さすがですね。私も四千年前からそう思っていました」

 こっちが黙って聞いていれば、数千年単位で話を盛るのが美鈴の悪い癖だ。

「しかし、レミリアお嬢様とフランドール様がケンカなさるのは困りますね」
「いつものことだけどね」

 妹様が地下室から出てくるようになったと思ったら、今度は姉妹喧嘩の日々である。
 おかげで館はいつもどこかが壊れていて、家計簿もそれは見事なスカーレットだ。
 うん、今私上手いこと言った。

「けれど、いいものですね」
「何が?」
「呼び方です。自分や家族や友達のことをどう呼ぶかっていう……思春期ですね」
「家族? 友達?」
「いや、そっちのほうを疑問形で言われましても」

 美鈴が何を言いたいのか、よくわからない。
 すると彼女はくしゃりと笑った。

「つまりですよ、姉妹はいいものだな、ということです」
「それならわかるわ」

 最初からそう言うべきなのだ。
 確かに姉妹はいいものである。

「そうですねぇ、あ、そうだ!」
「なによ」
「咲夜さんも呼んでくれていいんですよ? 私のこと」
「何の話?」

 すると美鈴は、チッチッチッと人差し指を振る。
 妙に鬱陶しい仕草だ。

「だーかーらー、私のこと、『お姉さん』って呼んでいいんですよ」
「は?」

 何を言っているんだこいつは。
 と思いつつ、ちょっと想像してみる。

 ――め、美鈴お姉様!
 ――あら、咲夜さ……じゃなくて咲夜。どうしたのかしら?
 ――私、お姉様に居眠りをしてほしくないの……

「うん、ダメだわ」
「ええっ! なんでですか!?」

 こんなやり取りをしているところを、もしお嬢様に見つかったら。
 きっと、お嬢様は歓喜するか激怒するかのどちらかである。
 前者ならまだしも、後者の可能性もあるだけに、不用意なことはできない。

「だから美鈴、諦めなさい」
「えー、私も咲夜さんみたいな素敵な妹がいたらなぁって思うのに」
「もしかしたら私の方が年上かも知れないわよ?」
「え゛っ、それは……そういや咲夜さんって年齢不詳なところが」
「冗談よ」

 それだけ言って、美鈴に背を向けた。
 思ったより長いこと話し込んでしまった気がする。
 そろそろ洗濯物を取り込まなければならない。

「じゃあ、また夕食の時間にね。サボらないように」
「は、はい!」

 今夜は休憩時間が重なるから、一緒におゆはんを食べるのだ。
 というか、お嬢様からも一緒に食べるように言われていた。恐縮である。

 私は、もうひと働きしなければ。
 まもなく日が暮れる。





●03

 咲夜さんが戻ったと思ったら、珍しい顔が現れた。
 この方の場合、春の陽気に当てられて、というのでもないだろうし。

「あの、どうなさったので?」
「まったく、レミィには参ったわ」
「あー、そういうことですか」

 それでだいたい想像がついた。
 パチュリー様は魔女で、知識人で、客人で、ついでにレミリアお嬢様の親友だ。
 役に立たない知識人、なんて揶揄されることもあるけれど、私は知っている。

 このひと、何を言われようと全ッ然気にしてない。マジで。
 私も見習いたいほどの胆力というか、クンフーである。

「延々と惚気話を聴かされたんでね。適当に用事を見繕って出てきたのよ」

 そう言いながら、早速本を広げる。
 こうして門のところまで出てくるあたり、よほどうんざりしたのだろう。

 宴会異変や緋雲異変を経て、何が最も変わったかといえば、これだと思う。
 つまり、パチュリー様がわりと外へ出るようになったということだ。
 他のところはいざ知らず、少なくとも紅魔館の変化で言うなら一番である。

「で、どうして私のところへ?」
「勘違いしないで。私はひとがいないところへ来たかっただけ」
「私がいますけど」
「門番はカウントされない」
「え、ひどっ!」

 パチュリー様が、ニヤリと笑う。
 いや、実際に笑ったかどうか見分けがつかない程度の表情の変化だけれど。
 たぶん笑った。絶対笑った。
 きっとレミリアお嬢様に一方的にやられたので、私で憂さ晴らしをしようという魂胆だ。
 いいですよ、どうせそういう役目には慣れてますから……。

「ねぇ、門美鈴」
「フルネームでわざと間違えるのやめましょうよ。今時流行らないですから、ね?」

 というか、それが流行るということ自体どうかしているような。

「間違えたんじゃないわ。門番と紅美鈴が混ざっただけよ」
「なんですかそのキメラ」
「貴方は何が楽しくて生きているのかしら?」

 ほら、来たよ。
 イヤな予感はしていたんですけどねー。
 哲学的? な質問とか、投げかけられても困るんですけど。
 門を守るって時に、いちいちそんなこと考えてられないし。

「何が楽しくて、ですか。うーん、そうですねぇ……」

 けれど一応真面目に考えてしまう私。実にひとがいい。
 または損な性格。

「三食、ご飯がちゃんと食べられることとか?」

 これは、門番をやっていなかったら保障されないことだろう。
 だけど、そう答えてパチュリー様の顔を見てみたら。

「……ハァ」

 めっちゃ渋い顔をされた。しかもため息まで吐かれた!

「貴方ねぇ、食べるために生きているの?」
「えっ、ダメですか?」
「満足した氷精であるよりも、不満足なスキマであるほうがよい」
「ええ? あ、そう言えば、あのチルノって子はいつも満足してそうな感じがしますよね!」
「……ハァ」

 またため息を吐かれた。

「貴方に訊いた私が馬鹿だったわ。それこそ氷精並みのね」
「え、えーっと」

 と言うか、こうなるってわかっているんだから、わざわざ話を振らなくても……。
 パチュリー様、本から顔をあげようともしないし。

「……」
「……」

 何この居心地の悪い空間。
 私か、私のせいなのか?
 とりあえずなんか言ったほうがいい気はするけれど。

「あの、パチュリー様」
「……何よ」
「えっと、そのですね」

 さっぱり話題が思い浮かばない。きっとクンフー不足だ。
 だけど心配ない。こういうとき、天気の話題と同じくらい便利な話題がある。

「お嬢様ってやっぱり可愛らしいですよね!」

 うちの者なら誰にだって通じる魔法のような話題だ。
 妖精メイドから本人に至るまで、誰に切り出しても外れない。
 当然、パチュリー様も本から顔をあげた。

「……ふん、結論が合っているからといって、過程も合っているとは限らないわ」
「な、なんですかそれ」
「レミィは確かに可愛らしい。けれどね、美鈴」

 鋭い眼光を向けられる。

「貴方は本当に彼女の可愛らしさをわかっていると言えるのかしら……?」
「そっ、それは……!」

 その指摘は、私の心の防御の隙をいとも容易く突いた。
 思わず視界がぐらりと揺れる。

「ただ『可愛い』と馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返したところで、レミィの可愛らしさをわかっていることにもならないし、余すところなく表現し切れているともいえない」
「確かに……」

 突然雄弁になったパチュリー様にちょっと引きながらも、私は頷いていた。
 最近、お嬢様の魅力を言い表わそうとする努力が足りなかったかも知れない。
 安易な言葉に逃げていては、使用人として失格だ。

「パチュリー様、私、間違っていました!」
「それに気付いたのなら、私から言えることはないわ」

 またしても微かに微笑みながら、パチュリー様はそう言ってくれた。
 先ほどの笑みとは違って、どこか温かみを感じさせるものだった。

「おや、いつの間にかすっかり日が落ちているようね」
「言われてみれば、そうですねぇ」

 咲夜さんと別れた時点で夕方手前くらいだったっけ。
 パチュリー様も「さて」と踵を返す。

「じきに夕食だろうし、私も戻るわ。レミィに同席するよう言われてるし。邪魔したわね」
「はい、お気をつけて」

 そこでパチュリー様はこちらを振り向く。

「最後に言っておくと……誰かにちょっと冷たくされて落ち込むレミィの姿も、また趣きのあるものよ。優しくするだけでは見られない側面がある。このことだけは覚えておくといいわ」
「パチュリー様……」

 そうして、ゆっくりとした足取りでパチュリー様は館へ戻っていった。





●04

 今日は色々と疲れた。
 図書館にレミィがやって来たと思ったら、散々妹様との惚気話を聞かされて。
 いい加減お腹いっぱいになったので適当にあしらい、門前へ行って美鈴と話した。
 普段図書館から動かない私にとっては、重労働に等しい。

「本、本を読まないと……」

 持病の喘息が悪化してしまう。本は薬だ。本のみが私を救う。
 私は自分の書斎机へと近寄り――

「それって中毒状態じゃないの?」
「むっ、何奴」

 横に顔を向けると、そこにいたのは。

「小悪魔かと思った? 残念、フランドールちゃんでした!」
「妹様……」
「だーかーらー、その『妹様』っての止めてよ」

 フランドール様はそう言ってむくれる。
 膨らんだ頬の丸みが愛らしい。

「わかりましたよ、フランドール様」
「パチュリーは“らいばる”だからねっ。フランとは呼ばせてあげないんだから」

 ははぁん、なるほど。
 なんか先ほどレミィが来た時、それっぽいことを言っていたような。
 八割がた聞き流していたから定かじゃないけど。
 つまりフランドール様はアレだ。私とレミィの仲に嫉妬していると。

「なーんかパチュリー、邪悪なこと考えてるっぽい顔してる」
「極めて健全なことしか考えてませんよ」

 魔女的な意味の健全さだが。

「ふーん、まあいいや。それでね、なんで私がここに来たか、知りたい?」
「いえ、別に」
「そっか、そんなにパチュリーが知りたいなら仕方ないね。話したげる」

 普段忘れがちになるが、フランドール様もわりと話が通じない相手のひとりだった。
 こちらはレミィと違って、あまり冷たくし過ぎると爆発するから要注意だ。
 繊細なバランス感覚をもって煽る必要がある。

「そもそもね、お姉様は愚かで鈍感でドジで間抜けで……」

 彼女の話を聞き流しつつ、よく似た姉妹だ、と思う。
 この手の話は、別に解決策を求めてのものではないということを、私は知っている。
 ただ聞いてやるだけでいいのだ。正確には、聞いている振りを見せてやればそれでいい。
 レミィもフランドール様も、話し相手に飢えているのだろう。

「それにアホでバカでスットコドッコイで……」

 強大で不死者でもあるノーライフキング。
 彼女たちは、実のところ孤独なのかも知れない。

「トーヘンボクでトンマでタワケでウツケで……」

 それだけに同族同士の絆、特に血縁の絆というのは他者からは量り知れない。
 そのような仲こそが私から見て羨ましいと思うのは、贅沢なことなのであろうか。

「……ねぇ、パチュリー聞いてる?」
「はいはい。聞いてますよ」
「じゃあさ」

 そこでフランドール様は少し恥ずかしげに笑う。

「新しい悪口、何かないかなぁ。知ってるやつ、全部言っちゃった」
「そうですねぇ……『このチスイコウモリめ!』なんていうのは?」

 そう教えてやったのは、別に嫉妬したからじゃない。

「あ、いいね! なんかブーメランっぽいけど」
「お嫌いですか? 姉君のこと」
「うん? ……うん。嫌い。大っ嫌い!」

 こうまで言われると、ちょっといじめたくなるのが人情というもの。
 私は悲しげな顔を作り、フランドール様に言う。

「そうですか……それを聞いたら、きっと彼女は悲しみますね」
「えっ」

 目を見開くフランドール様。愛らしい。
 攻撃特化で防御に弱いわけだ。ここは更に一押ししてみよう。
 私は独り言めかして呟く。

「ああ、レミィはさぞかし傷つくだろうなぁ。たったひとりの妹にここまで言われて」
「そ、そんな、こと……」

 先ほどまでの勢いが噓のようにしょげ返るフランドール様。

「わっ、私はね! 勝手に部屋を覗いてやがったあいつの態度が許せないのっ!」
「ほうほう、ふーむ」
「な、何よ」
「妹を陰から見守っていた姉は、その妹にボロクソに言われてどれほど落ち込むのかと」
「ぐぬぬ……」

 身体をぷるぷる震わせるフランドール様の姿は、まるで尿意をこらえる女児だ。
 うちの門番のように優しいだけでは、見ることのできない姿である。
 とはいえ、意地悪しっぱなしというのもよくない。
 私はフランドール様を真っ直ぐに見つめ、努めて優しげな声を出した。

「フランドール様は、大人のレディでいらっしゃいますよね」
「えっ? え、ええ! もちろん!」

 ふと思った。
 レディとレミィって似ている。流れとは関係ないけれど。

「でしたら、寛容の精神を持つことも大事ではないでしょうか」
「かんよーのせーしん?」
「端的に言うなら、姉君を許して差し上げてはどうか、と」

 そう言ってやると、フランドール様は顔面を引き攣らせた。
 姉への怒りと“大人のレディ”たる自負心とがせめぎ合っているのだろう。
 ここでもう一押し。

「……そう言えば、本日のディナーはステーキだとか」
「えっ」
「私もお呼ばれしているのですが、咲夜たちも交えて豪勢にいくそうです」

 またレミィの気紛れだろう。よくあることだ。
 夜通し騒ぐパーティーに付き合うのは疲れるが、楽しげなレミィを見るのも悪くない。

「フランドール様もいらっしゃれば、喜ばれるのではないでしょうか」

 横目で見ながら誘いを掛ける。
 嘘は言っていないし、どうせなら全員揃っていたほうがいいのも確かだ。

「で、でもでもっ、呼ばれてないのに行くのも……」

 ためらいを見せるフランドール様。
 館内をこうして出歩くようにはなったものの、未だに食事は別だ。
 しかし私が言うのも何だが、独りで食べる食事は味気なかろう。

「呼ばれずに行くからサプライズになるのですよ」
「うー……」

 今の「うー」はレミィに似ていた。
 外見はあまり似ていないが、こういうところは姉妹っぽいと思う。

「かっ、考えておこっかな?」
「きっと姉君は泣いて喜びますよ」

 レミィなら本当にやりかねないから怖い。

「泣いて……? 涙ボロボロ?」
「ボロボロですね」

 威厳とかカリスマとかが。
 だが、別な方面での好感度が急上昇するので一向に構わない。
 フランドール様はしばらく逡巡なさっていたようだが、やがてぽつりと呟く。

「お姉様、喜んでくれるかな。邪魔にしたりしないかな」
「大丈夫、問題ないですよ。私が保証します」

 自信満々に答える。
 一見するとレミィはフランドール様を遠ざけているかのようだ。
 しかし、それが表面的なフリにしか過ぎないことを、館の誰もが知っている。

「じゃあ、もしお姉様が私を邪魔者扱いしたら、パチュリーを八つ裂きにするねっ!」
「えっ」

 爽やかな笑顔でそんなことを宣言し、フランドール様は去っていった。
 唐突な死の宣告に、胃が痛み出す。
 やれやれ、私は無事に今夜を乗り切ることができるのだろうか。





●05

 図書館を出て、部屋に戻る。
 われながら殺風景だ。
 いや、物だけは無駄に多いんだけど、チグハグというかアンバランスというか。
 天蓋付きベッド、ぬいぐるみ、時計、本棚、ダンベル、壁掛けカレンダー。その他諸々。
 「あのコ厄介だけど、とりあえず物を与えとけばいいだろ」というような。
 そんな、とりあえず感あふれる部屋。

「ふぅ……」

 だけど、いつもなら感じられる殺風景さも、今はさほどでもなかった。
 理由は――認めたくないけど――明らかだ。

「ディナー、かぁ」

 ベッドに寝転がり、なんとなく手近にあったクマのぬいぐるみを掴む。
 パチュリーに上手く乗せられた感があるけど、たまにはいいか。
 お姉様がどんな顔するのかも見てみたいし。

「お姉様、かぁ」

 ……さっきのことを思い出す。あれは最悪だった。
 あの覗き魔。

「ほんっと最悪」

 私のソロプレイをこそこそと覗き見してくれちゃって。
 あいつが覗いてたから私が恥ずかしい思いをしたわけで、つまり全部あいつのせいだ。
 微妙にテンションが下がる。

「やっぱやめよっかなぁ、行くの」

 ごろんごろんとベッドの上を転がる。
 視界に入った銀色の時計の針が、もうじきディナーだということを教えてくれた。
 以前、咲夜が鼻歌交じりに取り付けていった物が、珍しく役に立った。
 普段は無用の長物なんだけど。
 まあ、それを言うなら、この部屋の物ってほとんどがそうか。

「本棚とか」

 暇を持て余しているなら読め、とパチュリーが置いていった物だ。
 珍しく気が利くじゃん、と中の本を開いてみたら、ほとんどが意味不明だった。
 言うことだけじゃなく、持ってくる本まで小難しいとはね。

「ダンベルとか」

 くんふー! とか叫びながら美鈴が置いていった物だ。
 私ってこれでも吸血鬼だから、あんま身体を鍛える意味ないんだけど。
 あんなのが部屋に転がってると、トレーニングに挫折した人みたいでちょっとイヤだ。

「カレンダーとか」

 あれは……誰が掛けていったんだろう。センスがちょっとアレだ。
 月ごとに絵が載ってて、今月は桃色の花と妙な雛人形のイラスト。
 何となく厄っぽい気もするんだけど、まあ今日限りだしいいや。

「あーあ」

 ごろごろ。
 ごろごろ。
 ぬいぐるみを抱き締めながらベッドを転がる。
 どうしよっかなー。
 どうしよっかなー。

「ってか、自分ちのディナーに行こうかどうか迷ってるのって、私くらいじゃない?」

 仕方ないよ、色々遠いんだから。
 アホのお姉様を始めとするあいつらのキャラが濃過ぎるのが悪いんだ。
 お茶目な破壊衝動ガールってだけの私じゃ、とてもじゃないけど太刀打ちできない。

「――ねぇ、アンタはどう思う?」
「貴方が思うように」

 と、たった今作り出した分身は応える。
 吸血鬼のお手軽能力の一つ。インスタント自問自答。
 どうせ私自身なんだから、たいした役には立たないけどね。

「お姉様とイチャイチャしたい」
「えっ」

 そう思ってたら、なんか変なことを言い出した分身1号。

「い、イチャイチャって、あんたね」
「それともベタベタ? そういうのもいいかも」
「なな、何をバカなこと……!」
「合わせてベチャベチャしてみるってのはどうかしら。新機軸ね」

 どうかしら、じゃないっての! そんな新機軸いらないから!
 こいつ頭おかしいんじゃないの!?
 えっと、こいつって私だから、頭おかしいのは私か。……あれ?

「うう、頭痛くなってきた」
「難しいこと考えると脳味噌の一部が壊れるらしいよ」

 いけしゃあしゃあととんでもないことを言う分身1号。
 いくら私の能力が破壊系だからって、自分の頭を壊したくはない。

「とにかく! 余計なこと言うんじゃないの!」
「素直じゃないねぇ」

 やたらと小生意気な顔つきをする分身1号を見て、ふと思う。
 お姉様から見た私も、こんな感じなのかなって。

「――貴方はいつも通りにすればいい」

 そう言って、分身1号はベッドから降りる。

「いつも通りにあそこのドアを開けて、いつも通りに階段を上る」
「……」
「そしていつも通り家族や住人に挨拶して、いつも通りに食卓を囲むの」

 そんなの。
 そんなの、ちっとも“いつも通り”なんかじゃない。
 私はいつもこの部屋にいて、いつもひとりでご飯を食べてる。

「それは夢よ。悪い夢」
「そんな」

 違う。
 違うよ。
 ひとりぼっちで、破壊魔で、頭が狂ってて、どうしようもない引き籠もりが私だ。
 ずっと部屋を出られず、出ようともしなかったのが私だ。
 みんなと仲良く話して、お姉様とベチャベチャする私なんて、噓だ。嘘っぱちだ。

「そうね、噓だわ。だけど、たまには噓から始まる一日があってもいい」

 分身1号の言葉が。

「噓を本当にすればいい。これから“いつも通り”にしていけばいい。でしょ?」

 私の胸に、すとんと落ちて。

「……分身1号。やっぱアンタは私だね。私の欲しかった言葉をくれるんだから」

 私にとって都合のいい、それは甘く優しい夢のような。

「まっ、勇気を出して扉を開くんだね。応援してるから、私」

 そう言って、分身1号は私に背を向け、手をひらひらと振って消えた。
 部屋に残された私は、ほっぺたをパシンパシンと叩く。

「さて! ……行きますかっ」

 ディナーに遅れないようにしなくっちゃ。





●06

 着替えを済ませたレミリアがダイニングルームへ行くと、先客がいた。

「ほう、主を差し置いて一番乗りとは。そんなにディナーが楽しみだったの」
「あっ、お嬢様。別にそういうわけでもないんですけど」

 と所在なさげに立っていた美鈴は、困ったような笑顔で言う。

「お手伝いしましょうかって咲夜さんに言ったら、大人しく待ってなさい、と」
「咲夜は仕事を人任せにするのが苦手なようだね」
「私ならいくらでも手伝いは歓迎したいんですけどねー」
「うちの門番が手伝いを必要とするほどの激務だったとは初耳だ」

 レミリアは美鈴にウインクしながら席に着く。

「貴方も座りなさい。うろうろと歩き回られちゃ落ち着かないわ」
「これは失礼。どうも身体を動かすのが癖になってまして」

 美鈴がレミリアの斜め向かいに着席したところで、パチュリーがやって来る。

「どうやら間に合ったようね。レミィ、ごきげんよう。あと美鈴も」
「やあパチェ。ちゃんとお腹は空かせてきたかな」
「こんばんはパチュリー様。と言っても、ついさっき会ったばかりですけど」

 パチュリーはレミリアの隣に座り、手に持った本を広げる。

「貴方だって小食じゃない。残さず食べられたためしはあるのかしら」
「大丈夫ですよ! 余ったら私が引き受けますから」
「貴方は食べ過ぎ」

 腕まくりをしてみせた美鈴を、パチュリーがじろりと見る。
 その時、何気なくダイニングルームの入口の方へ目をやったレミリアが声を漏らした。

「あらっ……」
「……来たわ」

 どことなくぶすっとした表情で、フランドールは言う。
 落ち着かなく視線を彷徨わせるレミリア。
 美鈴は狼狽する主の様子を窺いつつ、パチュリーに視線を転じる。
 仄かな笑みを浮かべる魔女を見て、美鈴はピンと来た。

(もしかして、パチュリー様の差し金ですか)
(ふふっ、どうかしらね)

 アイコンタクトでやり取りしながら、ふたりは姉妹の対面を興味深く見守る態勢となる。

「な、何しに?」

(――バッ)
(馬鹿っ!)

 レミリアの最悪な応答に、美鈴とパチュリーは揃って顔をしかめた。
 何しに、はないだろう。食事をしに来たに決まっているではないか。
 フランドールのメンタル強度によっては、直ちに回れ右してもおかしくない。
 しかしフランドールはその場にとどまり、何故かパチュリーの方をチラッと見た。

「ご飯。食べに」

(何故に片言?)
(うっ、また胃が……)

 首を傾げる美鈴と、胃を押さえるパチュリー。

「そっ、そう。えっと、ええ。いいわよ。どうぞ座って。どんどん座って」
「……」

 レミリアは慌てたように立ち上がり、座席の方を指し示す。
 フランドールは軽くため息を吐いて、近寄って来る。
 美鈴がさりげなく気を利かせ、レミリアの対面の椅子を引いた。
 軽く会釈をしてフランドールがそこへ座ると、ダイニングルームに奇妙な静寂が満ちた。

「あ、あのね、フランドール」

 横と斜め向かいからの視線に耐えられなくなったレミリアが、妹へ話し掛ける。

「さっきはその、悪かったわね。貴方が部屋であんな」

 ごほんごほん、とパチュリーが咳払いをする。

「……失礼。まもなく時間ね。美鈴じゃないけど、今夜は私も色々食べようかしら」

 パチュリーに言わせれば、この友には別に悪気があるわけではない。
 ただ、身内に対しては妙なほどの鈍感さを発揮するというだけなのである。
 ともあれ話が遮られたため、フランドールは爆発せずに済んだ。

「そうですよ。パチュリー様も色々お召し上がりになったほうが健康にもいいですし」
「いや、そこは別に拾わなくていいから……」

 笑顔で言う美鈴にちょっとげんなりしつつ、パチュリーは本を閉じる。
 その時、柱時計が鳴り始めた。

 ボーン、ボーン、ボーン、ボーン
 ボーン、ボーン、ボーン、ボーン

 八つ目の音が鳴り終わった瞬間、トッ、と微かな音がした。
 同時に、今まで何もなかったテーブル上に現れる、たくさんの料理。
 この演出に、レミリアだけでなく、不機嫌そうだったフランドールまでが歓声を上げる。

「お待たせ致しました」

 咲夜は一礼すると美鈴の隣に腰掛けた。
 それと共に、給仕係の妖精メイドらが数名入ってくる。
 元々レミリアの気紛れで設けられた内輪のディナーパーティーだ。
 厳密なコース料理の形式ではなく、バイキング形式に近い。

「これは豪勢ですねぇ!」

 思わず手を合わせた美鈴がふと視線を横に向けると、フランドールの様子が妙である。
 彼女は何の変哲もなさそうなひとつの大皿を凝視していた。

「……お姉様、これ」
「? それがどうか……あっ」

 低い声で指し示された料理を見たレミリアは、言葉に詰まった。
 フランドールがじとっとした目付きで見てくる。

「ち、違うの。それは、ほら。私も食べたくって。も、もやし料理!」
「へぇー」

 妹のソロプレイを思い出し、内心舌打ちをするレミリア。
 咲夜が余計な気を利かせたのだろう。
 フランドールの指したのは、大皿に盛り付けられたもやし料理だった。
 様々な料理にもやしが使われており、さながらもやし祭りといった様相を呈している。

「私ももやしは好きですよ! ねぇ、パチュリー様」
「だからなんで私に振るのよ……」

 パチュリーは料理の取り分けを手伝っている美鈴を見つつ、肩をすくめた。
 めいめいの前に飲み物が行き渡ったのを確認し、レミリアがグラスを掲げる。
 紅魔館では食前の祈りなどは行われないが、乾杯の音頭がそれに代わる。

「――では、みんないいかしら?」

 攻められっ放しだったレミリアがここで態勢を立て直し、皆の顔を見回す。
 咲夜、パチュリー、美鈴、そしてフランドール。
 さりげなく混じっている小悪魔も合わせて、全員が揃っていた。

「乾杯!」
『乾杯!』

 皆の声が綺麗に揃う。



「さて」

 食事を始めて少し経った頃、咲夜がおもむろに指を鳴らした。
 そして各々の前に現れる、クロッシュの被せられた皿。

「メインディッシュです」

 銀のドーム型の蓋の被せられた料理に、レミリアたちの期待は高まる。
 レミリアはフランドールに頷きかけ、フランドールも笑顔で応じた。
 ちょっとした家族の幸せを噛み締めつつ、レミリアはメインディッシュに感謝する。

「どうぞ、お開け下さい」

 その合図と共に、一斉にクロッシュが取り除かれ――

「あれ?」

 間の抜けた声が一斉に漏れる。
 レミリア、フランドール、美鈴はポカンとして皿を眺めた。

「か、空っぽなんだけど、これ」

 咲夜は妙に自信に満ちた微笑を浮かべ、頷く。

「命蓮寺風ステーキです。ご存じの通り、寺では肉食は禁じられておりますので」
「空っぽなのが正解、というわけね」

 呆れたようにパチュリーが言い、咲夜を見やる。

「楽をさせて頂きましたわ」
「ちょ、ちょっと、ちょっと! 咲夜」

 主に対面からの不穏な気配に、レミリアが慌てて手を振る。
 その横でパチュリーは、そう言えば妹様はステーキで釣ったんだっけ、と思い出した。

(なんでしょうか、お嬢様)
(なんでしょうか、じゃないわよ! こんなサプライズ要らないってば!)

 瞬時にして横へやって来た咲夜に、レミリアは小声で言う。
 どうせ他の者にも聞こえているだろうが、それどころではなかった。
 姉の威厳より重いのは、焼きたての肉である。対面からの殺気がそれを物語っていた。

(はぁ。ちょっとした寺子屋ジョークだったんですがね)
(それはもういいっての!)

 咲夜が再び指を鳴らすと、今度こそ全員の目の前には美味しそうなステーキが現れた。
 さすがにメインディッシュを用意していないということはなかったようだ。
 レミリアは安堵の息を漏らす。

「さ、さぁ! 遠慮なく召し上がってちょうだい!」

 レミリアが手を広げながら言うと、美鈴と咲夜は顔を見合わせて笑った。
 パチュリーもひっそりと笑い、釣られてフランドールも思わず笑顔になる。
 ディナーは賑やかな笑い声と共に行われたのだった。




  ◇     ◇     ◇




 食後のゆったりとした時間が流れていく。
 ステーキももやしも美味だった。特にもやしは絶品だった。
 食事をしながら大いに盛り上がったためか、今は落ち着いた雰囲気だ。
 皆がリビングでくつろいでいた。

 ドジでバカで間抜けな姉だけど、とフランドールは思う。
 楽しかった。
 食事の時にあれだけ笑ったのは久方ぶりのことだ。
 いつ以来だろうか、と考えたけれど思い出せなかった。

「だからー、咲夜さんも休まないと」
「でも後片付けが」
「ちょっとは誰かに頼ることも覚えないと駄目ですよー」
「だけど私が行かなきゃ」
「大丈夫ですって。せめて日付が変わるまではゆっくりしましょうよ」
「美鈴の言う通りよ、咲夜」

 そこでレミリアが割って入る。
 浮かせかけた腰を咲夜が再び下ろすのを見て、フランドールは不思議な気持ちになった。
 いまいち締まらないはずの姉が、時々格好良く見えるのだ。これは変だ。

「お酒のせいかしら」
「ん? どうかした、フラン、ドール」

 先ほどから、微妙に歯切れの悪い呼び方をしてくる。
 フランドールは内心で首を傾げつつ、「別に」とだけ応えた。

「そう……あー、パチェはアレだな。いつでも本を読んでるじゃないか」
「別に間を持たせるために無理して私へ話を振らなくてもいいのよ」
「ぐっ、そ、そんなことは」

 やっぱりへたれなのか。
 パチュリーにやり込められる姉を見て、フランドールはそっとため息を吐く。

「フランドール様はいかがでした? 今夜」

 のんきな声で訊ねてきたのは、美鈴だった。

「私は、あんな風に落ち着いて食べられたのは久々だったんですけどね」
「そんなに忙しいの?」
「あ、いえ、職業病、ですかねぇ」

 美鈴が視線を彷徨わせながら言うと、咲夜がすかさず「本当かしら?」と突っ込む。

「門番の評判は図書館にいても聞こえてくる。いつも元気よく居眠りをしているって」
「うぉい! パチュリー様っ!?」

 不意打ち気味の遠距離射撃に狼狽する美鈴が面白くて、フランドールはクスクス笑う。
 リビングも地下室も部屋の温度は変わらないはずなのに、おかしい。
 なんだか温かく感じられる。

「あのね」

 と肩に手を置かれ、フランドールは座ったままで振り向いた。
 そこには、どこか優しい笑みを浮かべながら皆の姿を見るレミリアの顔があった。

「口に出すと陳腐だけど、私はみんなが好き。私を支え、楽しませてくれるからね」
「お姉様……」
「私は、貴方も、貴方にもそうであってほしいと願っているの」

 フランドールは思わず俯いてしまった。
 そうやって言うだけなら簡単だろう。誰にだってできる。言うだけなら。
 だが、そう言われてホイホイ地下を出てこられるなら、とうの昔にそうしていた。
 自分の能力だって、その危険性が失われたわけではない。

「わた、私は……」

 フランドールは口ごもる。
 レミリアの、ふっと息を吐く気配が感じられた。

「貴方を愛しているわ、フラン」

 弾かれたようにフランドールは顔を上げる。
 間近で見る姉の瞳は、吸い込まれるように紅かった。

 ボーン、ボーン、ボーン

 その時、リビングの柱時計が鳴る。

 ボーン、ボーン、ボーン

 新たな一日の訪れを告げるその音。
 それを聞きながら、しかしフランドールは時が止まったような感じがしていた。

 ボーン、ボーン、ボーン

 ずっと地下で独りだった自分の今までが頭をよぎっていく。
 まるで走馬灯とかいうやつみたいだ、とフランドールは頭の片隅で思った。
 それは、今までの“いつも通り”への弔いだったのかも知れない。

 ボーン、ボーン、ボーン

 日付が変わる。
 咲夜や美鈴、パチュリーがこちらを見ているのがフランドールにもわかった。
 眼前の姉は、どこか張りつめたような表情をしている。

 フランドールは大きく息を吸い、吐いた。
 小さく「私も」と頷く。そしてレミリアの胸の中へ飛び込んだ。



「私も――レミィお姉様のことが、大っ嫌いっ!!」





 今日から始まるフランドールの、それが新たな日常への第一歩であった。





   ~完~





昨年ぶりです。
もしかして、一年ってあっという間じゃないですかね。
この感覚も嘘ならいいのですが。

ZUNさんとお読み下さった方々に感謝を。
また来年?
S.D.
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コメント



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4.274636指導員削除
久方に御話、楽しませて頂きました。お待ちしておりました。
随所の小ネタにクスっときたりふきだしたりしながら
(いつも思いますが、キャラクターが枠を飛び出ず「らしく」振る舞いながら
それでいておかしみを感じられるお話の運びには平伏します)
だんだんイイハナシダナーという展開にほっこりしていたら
さらに素敵に、この日を絡めてオとすとは。最後にもう一つサプライズ、
彼女たちのディナーとは異なるものの、いい意味で意表をつかれたよう。
来年もまたお会いできることを楽しみに。
6.274636指導員削除
お疲れ様です! 小ネタの数々、楽しませてもらいました!
特に笑ったのは、

>>クソ忙し……失礼、お大便忙しい時に
 失礼とはなんだったのか
7.274636ナルスフ削除
お大便忙しいwwww
みんなかわいいなあ!
8.274636智弘削除
タイトルにすごく納得
9.274636レミフラ教原理主義者削除
完璧ですわ、かわいすぎ笑えすぎ、うぎぎにエイプリル企画のお気に入り機能がないのが悔やまれます。
13.274636指導員削除
すごい良かった、また書いてください
14.274636指導員削除
非常に面白かったです。
言葉苦手なので点で気持ちを、ってまぁここの得点は何の指標にもなりませんがw